そう言えば どこ行ったんだろう?
「石崎が監督なら応援しない」 と言ってた人たち。
09年 歓迎ムードで迎えられた石崎監督だったが 様子見だった初年度から一転
翌年の暮れには 解任派の声が強まった。ただ その声も無理はない 09年は6位で
シーズンを終えるものの 翌年は内容も結果も散々な13位。昇格やチーム強化を
期待した人にとって 決して許せるものではなかったのだろう。だが 当時 ネットで
見る文字には 人格否定までされていて およそサポーターの声には思えなかった。
中でも 腹立たしかったのは 「石崎が監督なら もう応援しない」 という声。
それは 決して少なからず。ネット上のアチコチで見掛けたし 周りからの声もあった。
成績への不満や チームに対してのジレンマがあって当然だろうし 監督に対して
好き嫌いがあっても不自然じゃない だが それが理由で 「応援しない」 というのは
どうかと思った。単なるファンならいい が サポーターなら いついかなる時 状況でも
「応援すること」 が目的になるはずだ。そんな 一番必要なものさえ持たないヤツに
語る資格があるか!まして 「応援しない」 などと宣言する事に何の意味があるか!
と当時かなり憤慨していた。いや憤慨どころじゃない。 監督が嫌いというだけで
応援しないなんていうヤツは 馬に喰われて死んでしまえ!とさえ思っていた。
オレは 馬に完食されたことが ある。
あれは 99年のこと。あの岡田武史氏がコンサドーレの監督になった時のことだ。
フランスW杯を終え 元代表監督・日本初W杯指揮者として札幌に迎え入れられた。
当時 「岡ちゃんブーム」 が起こったほど 北海道は歓迎ムード一色だった
が 周囲の熱が高まれば高まるほど オレの心は氷のように冷めて行った。
そうなるのも理由がある。その1つが 「フランスW杯での戦い」 だった。
日本がW杯に出場する それは夢のような出来事だった。憧れを越え 実現不可能と
思っていた大会に出場できるのだ その高揚感は半端じゃなかった。そして期待した
日本が世界を相手に どんな戦いを見せるのかと 大会が始まるまでの数ヶ月間
夜も眠れぬほど 期待に期待した。がしかし そこに戦いはなかった。
ただただ防御し なす術もなく 敗れ去る日本。一番 悔しかったのは 同じ初出場の
ジャマイカにさえ 悲壮感を持って戦った事だった。相手は出場の喜びを体で表現し
サッカーを楽しみつつ戦っていたのに 日本は爪痕も残す事なく 全てに完敗した。
ゆえに あのフランスW杯を終えた時 残っていたのは 失望感しかなかった。
世間では そのストレスを選手(主に城彰二)にぶつけていたが 本来その標的は
選手じゃなく 「無様な戦いをさせた監督にある」 と思っていた。それが理由の1つ。
そして もう1つ。オレの心に氷河期を招いた理由がある。こっちの方が深く 根深い。
「外れるのは …カズ 三浦カズ」
その言葉に 一瞬 耳を疑った。W杯を直前に控え 代表に呼ばれたカズだったが
最後の最後に 帰国を命じられたのだ。あり得ない事だった。若い未知数の選手なら
呼んでみて 様子を見て 使う使わないの判断があるだろう だがカズは違う。実績も
十分で プレースタイルも能力も 当然知っていての召集である。だから 大会直前で
呼ばれたベテランの選手は普通 使われる。だが 岡田監督は カズを直前で帰した。
全く意味が分らなかった。考えられる理由は ケガやコンディションが相当悪かった事
ぐらいだが それは周囲の人間に確認すれば すぐ分かる事だし それぐらいはやって
いただろうと予想できる。であれば他の理由は何か?当時 思い浮かんだのが
「力の誇示」 だった。
W杯最終予選の終盤で加茂監督が更迭され 急遽 監督に就任した岡田氏。
それまではコーチであり 監督と選手の橋渡し的存在だった岡田氏が スライドして
監督になったのだ。だが当初 選手との関係は あまり変わらなかったように思う。
ましてカリスマ性の強かった加茂氏とでは 選手の尊敬度みたいなものが全く違った
のではないだろうか。近しすぎる選手との関係性を絶つために 打って出た手が
カズを切る ということ。
選手にしてみれば 「あのカズさえ 帰す」 というのは大きなインパクトがあったと思う
結果それが 「代表監督としての力の誇示」 になるのだ。監督を頂点としたチームの
ピラミッドを作るために カズを利用した そう理由付けるのが 一番 簡単でもあった。
真実は本人からも語られてないし 本当の理由は今も分からない が そう解釈した。
「外れるのは …カズ 三浦カズ」 その言葉の瞬間から 岡田武史が大嫌いになった
そして フランスでの失望感に繋がる。当時 W杯の試合を見ながら 好き嫌いを越え
「許せない」 という感情にまで至っていた。もはや断絶である。根本から 嫌った。
空白の1年半
99年 岡田氏がコンサドーレの監督になってから オレには空白の1年半がある。
99年から00年の秋まで 全くスタジアムへ行かなくなったのだ。それほどまでに
岡田武史を拒絶した。また周囲の歓迎ムードも 嫌悪感を煽った。
「この監督は チームに何も齎(もたら)さない」
そう思ってただけに クラブの判断やサポーターの反響にまで 苛立ちをもった。
なぜレンタルだらけにする監督を支持するのか なぜ5バックの戦術を認めるのか
そうした不信感と 元々あった岡田氏への嫌悪感が 拒絶を増大させていたのだ。
ただ テレビで放送される試合は必ず見ていたし 順位もチェックしていた それでも
どうしてもスタジアムへ行く気にはなれなかった。それがサッカーファンとしての意地
でもあると思っていた。がしかし同時に サッカーファンとしての矛盾も感じていた。
サッカーファンとして岡田氏を拒絶したとしても サッカーファンとしてスタジアムを
拒絶する事は あり得ない。そこに大きなジレンマがあった。
気になるが 行かない。行きたいが 感情が邪魔して 行けない。そんなジレンマが
しばらく続き 自分でもどうしようもなくなった頃 救世主が現れた。 カミさんだった。
カミさんは 少しづつ 諭(さと)すように オレをコンサドーレへと戻して行った。
最初は練習見学に誘い 選手の色んな情報を伝える そうして 1年半が過ぎた頃
試合へと誘った。最初は 「絶対 行かない!」 と言い張ってたが 柔らかく説得され
とうとうスタジアムへ行った。久しぶりに観た生のサッカーは格別だった。
様々な感情も ジレンマも スタジアムの感動には代えられない。1年半のブランクは
あっという間に吹き飛んだ。試合後すぐに ハーフのシーズンチケットを買った。
「石崎が監督なら応援しない」 と言っていた人たちは今 どうしているんだろう。
去年 昇格が近づいた頃 何食わぬ顔で戻って来たんだろうか。それとも今も許さず
応援を止めてしまったんだろうか。どちらにせよ オレにその人らを責める資格はない
監督が嫌いだからスタジアムに行かない という事を実際にやったのだから。
ただ 許さないなら許さない方がいいと思う。嫌いなら嫌いでいいと思う。
半端に 「成績が良くなったから 行く」 と納得させてしまったら また次 負け出した時
結局 来なくなってしまう。それじゃ何の解決にもなってないのだ。嫌いなものは嫌い
許さないものは許さない としながらも 「それと応援は別」 と分離できれば チームを
応援し続けられると思うのだ。実際は そう簡単に割り切れるものじゃないだろうが。
また サポーターなら監督や選手を嫌いになってはいけない とも思わない。
人の感情だから 好き嫌いは当然ある。誰もが 嫌いな選手の1人や2人いるだろう
それでも多くの人はチームを応援している。それがサポーターの本質なのだろう。
例えどんな理由があっても 応援を止めてしまえば それはサポーターではなく
であれば サポーターづらした発言は避けるべきに思う。まして 「応援しない」 などと
宣言する必要は全くない。離れる時は 黙って去るのが 応援の流儀なのだ。
オレには 「馬に喰われて死んでしまった1年半」 の経験がある。
今思えば それも必要な経験だったと思う。あれから10年以上が過ぎた今も
コンサドーレを応援しているのだから きっと何かの栄養素になっているのだろう。
そんな経験をした自分が 「応援しない」 と言った人たちに 言えるのは
スタジアムが解決する
好きも嫌いも 許すも許さないも クソみたいな意地も 全部 スタジアムが答えてくれる
行きさえすりゃ 解決するのだ。もし それでも解決しないなら それはきっとサッカーや
応援が合わない人だ。もうスッパリ諦めた方がいい。また 今年 負け出した時に
「応援する気が失せた」 と感じたなら そんな人も この際スッパリ離れた方がいい。
チームやサッカーから離れられない人間は 一度でも戻れば 解決するのだから。
スタジアムにさえ行けば そこには 許すも許さないも 好きも嫌いもなく。
ただ サッカーがあり ただ 応援がある。それが 空白の1年半で 出した答えだった。
サッカーなんて 多分そんなもんだ。 ただし 岡田武史の事は今も大嫌いだが。