優れた監督には 人一倍の執念がある。
昨日 自分はオヤジブリだという事を書きましたが 実は そんなにジブリ作品が好き
ってわけじゃないんですよ。レイアウト展に行って気づいた事なんですが 結構 見て
ない作品や興味のない作品がありましてね。 じゃジブリの何が良いかって言うと
宮崎駿の妄想の世界 が好きなんですね。
あの妄想をパンパンに膨らませてるであろう世界観が たまらないんですね。
で たぶん作品を作る時 まずは もの凄く妄想すると思うんですよ。キャラクターなり
ストーリーなり 発想の原点みたいなものが浮かんで そこから妄想を発展させて行く
と思うんですね。で だんだん頭の中で形作られて行く みたいな。
宮崎駿にとって この妄想してる時ってのが 「至福の時間」 じゃないかと思いますね
そこには何の制約もなく 思い通りの世界が作られるのですから そりゃ楽しいですよ
ただ普通の人は 妄想は妄想で終わっちゃうんですが 宮崎駿はそれを画に出来る
それも限りなく忠実に表現できるって所が この監督の凄いところだと思いますね。
要するに僕らは 宮崎駿の妄想の世界を観てる と。で それに魅了されてる と。
たぶん 妄想を忠実に表現してるからこそ 純粋なものを感じるのだと思います
だから宮崎作品は感動するんじゃないかなと思いますね。
ただ 妄想を形にするってのは本当に簡単じゃなくて 今なら巨匠になりましたから
ある程度は自分の思い通りに作れるでしょうけど そこに至るまでは闘いの連続
だったかと思います。資金を調達し 色んな所から制約を受ける 口も挟まれる
だけども宮崎駿は 宮崎駿の世界を貫いたんじゃないでしょうかね
結局のところ その執念みたいなものが 今日の地位を築き上げたのだと思います。
で その執念の一端は レイアウト展でも垣間見えましたね。
たまたま自分の前で見ている人たちが アニメーションの専門学校生だったらしく
色々と解説していたのですが とにかく 「描き込みの量が凄い!」 と驚いていました
確かに 1枚1枚の描き込み方が半端じゃなくて 例えば 千と千尋なら あの銭湯
みたいな建物を 細部に至るまで描き上げてる。もののけなら 空から見た数百という
人物を 1人1人ちゃんと描いてました。その描き込んだ量の膨大さは
こだわり と言うか それを通り越した 執念を感じましたね。
なぜ 作業の一工程に過ぎない物にそこまで書き込むか というと おそらくですが
アシスタントに全部を伝えたかったから だと思うんですよ。全部を自分でやれるなら
問題はないのですが 多くの人の手を使って作り上げるものですから じゃどうやって
自分の意志を伝えるかって言ったら 上手く説明するか ほぼ自分でやるか の二択
しかないんですね。で 説明の得意じゃない宮崎監督は 描き込んだ と。
徹底的に描き込む事によって 自分の意志を形作らせたかった
そういう事じゃないかと思いましたね。そこに 執念を感じたんですよ。
例え手間が掛かろうと 時間が掛かろうと 様々な弊害があろうと どんな事をしてでも
「自分の作品には 自分の意志を込める」 そうした執念を感じました。
「ワールドカップの時の じゃないですよ その前の代表ですよ」
コンサドーレが目指すサッカーは?と聞かれて 石崎監督は そう答えてました。
あえてW杯を否定したのは 「信念」 だと思います。これまで何度か言っていた
「バルサのようなサッカー」 という目標を 変わらず持ち続けてる証明だと思います。
ただ そこに至るまでは簡単じゃない 本当に 簡単じゃない。
今の様に 勝てなくて 思い描くサッカーも出来ないのではあれば いっその事
勝つためのサッカーに変えてもいいんじゃないかと思います。
だけど 石崎さんは やらない。やらずに 1年半もの間 辛抱強く 目的に向かって
進ませています。毎日毎日 少しづつ 遠い目的地に向かって 進ませています。
それは 「執念」 じゃないでしょうか。
自分の思い描くものに信念を持ち それを具現化させる事に 執念を持つ。
それが石崎信弘という監督なのだと思います。
宮崎駿と石崎信弘
映画監督とサッカーの監督 という職業も全く違いますし 人格も違います。
また 片方は完全なる成功者で 一方は 成功途中者でもあります。
今の2人を同等に語る事は出来ないのでしょう。
ただ どこか似たものも感じます。
例えば 不器用なところ。器用に上手く立ち回れる事が 常に正しいわけじゃなく
不器用ながら 自分の信念に実直に。そうした所も似ていると思います。
また 困難な事に挑戦した という意味でも 2人には共通するものがあります。
簡単じゃない事を分っていながらも 自分の意志を貫き通し 通そうとしています。
そして それを具現化するために 2人は 執念を持っています。
2人にある共通点 それは 優れた監督の資質 と言えるものではないでしょうか。
だから 後は 結果として残すだけなのです。ただ それだけなのです。