昨日 平壌で行われたW杯アジア予選。
北朝鮮の応援は よくあるサッカーの応援とは違って 「歓声」 がメインでした。
北朝鮮の選手がボールを持つと途端に ワーという凄まじい音量の大歓声が起こる
四方八方から敵意が向けられる。その中でプレーする日本の選手は怖かったと
思いますね。なんせ相手は 「11人+5万人の声援」 ですから。
コンサドーレが昇格争いをするようになって 応援に変化が起こりました。
試合前 スタジアムの観客が立ち上って 選手を迎えるようになったのです。
選手入場の時 ゴール裏からの合図で スタジアム全部が スッと立ち上がる
今日 始めて来た人も 10年SS席の人も 立ち上がって選手を迎え入れるわけです
それは 壮観ですね。これだけの人がついてるんだから 頑張れ と 胸が熱くなります
で この 「立ち上がる」 というもの。行動としては ただそれだけなんですが 気持ちが
もの凄く変わると思うんですよ。自然と 「参加する意識」 が生まれる というか。
サッカーの応援 というと何となく “ゴール裏だけのもの”ってイメージがありますが
スタジアムまで来る人は 多少なりとも応援の意識はあると思うんですね。
ただゴール裏でハードな応援するまでのものじゃなく でも何らかの形で応援したい
漠然とながらも そう思ってた人は たくさんいたんじゃないでしょうかね。そうした人が
立ち上がる事によって参加意識を持つわけです。それは大きな変化だと思いますね
これまでなら ただの観客だった人が 一転して 参加側になるわけですし その数が
2倍3倍に 膨れ上がったんですから グッと 「Home感」 が強くなりました。
その効果があって コンサドーレは去年までと全く違うホームの戦いを見せています
大きな声援に応えるべく 懸命に走ってますし それが結果にも表れています。
ゆえに。応援の力は偉大だなと実感してますね。
ただ ゴール裏の応援が 応援の全てじゃない とも思ってますね。それはゴール裏を
否定するわけじゃなくて 「ゴール裏も応援の一部」 という考えですかね。
応援は それぞれの考え方や方法でいい と思いますし 応援は スタジアム全部で
するものだと思うんですよ。ゴール裏以外の席は その3倍以上あるわけで 数として
考えると むしろ 他席の方が スタジアムの雰囲気作りには大事だと思いますね。
ゆえに。 「歓声」 って大事だと思う。
「固唾を呑む(かたずをのむ)」 という言葉があります。緊迫した場面で 声が出ず
ただ見守る という時に使われるのですが サッカーの場合 必要ないと思うんですよ
いや実際は そんな場面 多々ありますよ。シュートの時とか 大ピンチの時とか
シーン…ゴクッ ってなりますし。ただ 大チャンス・大ピンチにこそ 声を出すべきだと
思うんですね。また ちょっとしたプレーにだって 歓声は大きな力になるでしょうし。
例えば ボールを奪えた時 ワーっと歓声が上れば 選手は気分が良いでしょう。
例えば 前を向いた選手にボールが渡った時 歓声が上れば 選手も燃えるでしょう。
例えばピンチの時 例えばシュートの時 例えばカウンターの時 そこに歓声があれば
選手は勇気づけられるのだと思います。プレーの1つ1つに反応があるのですから。
また 歓声は文字で書くと 「ワー!」 ですが 実際はワーじゃなく。
それぞれが それぞれの言葉で叫んでるんですね。例えば 頑張れ!であったり
例えば 行けー!であったり 守れーとか集中ー!とか 名前を叫ぶ人もいるでしょうし
右だ左だコーチングしてる人もいる。そんなゴチャ混ぜの声が 「歓声」 なんですね。
自分は そんな歓声が 凄く大事だと思っています。歓声がスタジアムを作ってる と。
応援を司(つかさど)っているのは あくまでもゴール裏であります。
そこからの熱がスタジアム全体に波及して 声援のうねりが起こるのですから。
また 今のコンサドーレは コールリーダーが各所に周って 想いを伝えた成果が
スタジアムの一体感を生んだものです。そうした 「核」 は必ず必要だと思いますね。
ただ ゴール裏以外の場所の人は それぞれが核じゃないかと思います。
隣の人と同じじゃなくてもいいし 皆が見てない所を叫んでもいい 自分の感性で
思った事 感じた事を瞬間に叫んでいいと思うんですよ。まぁ野次はいらないですが。
とにかく せっかくスタジアムに来たのだから 声だけでも参加すべきだと思いますね
中には 「静かに観たい」 って人もいるでしょうけど 加減や叫ぶ言葉さえ選べば
そういう人たちに 遠慮する事はない と思いますね。だって そこは家でも店でもなく
我々が応援するチームの ホームスタジアムですから。
昨日の平壌のスタジアムは 異様な迫力がありました。
その 「歓声」 には自国を勝たせよう という強い意志が込められていました。
それは応援を越えた感情 殺気に近く。日本は その迫力に完敗したのです。
ただ それを責める気はないですね。もし自分がそのピッチに立っていたら 5万人が
自分に敵意を向けてる と想像してみたら 恐怖しかなく。体は動かないでしょうし。
日本にも浦和を始め 5万人入る試合がありますが どれほど人が居ようと 昨日の
平壌のような怖さは持たない 持つはすがないわけです。国民性が全く違いますし
スタジアムで 戦争や 生や死の匂いまでは 絶対しないですからね。
ですが昨日の試合にはそんな匂いがありました。それが震えるほど怖かったですよ
それほどまで 平壌のスタジアムにはパワーがありました。
北朝鮮が勝ったのは チーム力じゃなく スタジアムの力。 歓声の力でした。
我々がリーグ戦で 平壌のような迫力を持つ事は出来ないでしょうけども。
我がチームを勝たせるために 少しでも 選手を鼓舞し 僅かでも 相手を萎縮させる
そのための応援をしたい と思いますね。そうして 勝ちたい 勝たせたい と。
そうなるために 声援を。90分で 1回でいいから 「頑張れ!」 と叫んでみて下さい。
その声が 多くの言葉に混じって 歓声になります。
そして その歓声は スタジアムの力になります。