最近つくづく 「サッカーはメンタルの戦い」 だなと思う。
昨日のコンフェデ・イタリア戦 3-4の激闘の末 日本は敗れた。
あのイタリアから3点も取ったのだから 世界にインパクトを与えたのだろう。
だが あれは惜敗のようで 惜敗じゃなかった と思う。
イタリアには ずっと余裕があったように見えた。
余裕と言うと言い過ぎだが 少なくともイタリアは 動揺してなかった。
前半 早々に日本が2点リードしても イタリアは焦らず 動揺せず 戦っていた。
多分 「探っていた」 のだと思う。日本の力がどれくらいか 日本の弱点はどこか
試合開始から数十分間は 探りのため時間を使う というプランだったと思う。
その間に2点取られた事は さすがに予定外だっただろうが あくまでも攻められる
いや むしろ “攻めさせる” のが狙いだったわけだから 動揺しなかったのだろう。
こうした戦い方は非常に危険だが 動揺しないメンタルがあれば 可能なのだ。
勿論 イタリアには力があり 選手個々の能力にしても 身につけた戦略にしても
日本より遥かに高い。だが日本とイタリアには メンタルという決定的な壁があった
その揺るがない自信は 日本がどんなに頑張っても 越えられない壁だったのだ。
結局 日本は イタリアのメンタルの前に屈した と言える。
サッカーは チームの競い合いであると共に メンタルの戦いでもあると思う。
相手に屈しない精神力 相手より上回る勝利への意欲 そうした戦いが
“もう1つのサッカー” ではないだろうか。
個人的には その闘いが好きだ。恐怖と戦い 臆病と戦い 相手の内面と闘う。
そういう姿勢を見せてくれる試合が好きだ。逆にスコアで相手を上回ったとしても
精神戦で負けたなら 全く納得しないし そんなのは勝利じゃない とさえ思ってる。
コンサドーレも この前の富山戦に勝利したが メンタルで勝ったかと言えば 違う。
富山も決して良くはなかったが コンサドーレも同じようなものだった。
ピンチを迎えれば動揺し 相手が立ちはだかれば 逃げてしまう そうした戦いを
ホームでやっていたのだ。だから せっかくの勝利も 何かスッキリしなかった。
もっと内面を燃やせと思う。もっと相手のメンタルと 自分のメンタルと闘えと願う。
サッカーは メンタルの戦いである。
失点する恐怖と戦い。
ドリブルを止められる恐れと戦い。
ボールを奪われる怖さと戦い。
流れを変えられないもどかしさと戦い。
襲い来る動揺と戦い。
相手と戦い 自分と戦う。
そこに 目には見えない 心の戦いがある。
それが面白い。
それが サッカーでもある。