「コンサート 行けなくなったんだけど 行くかい?」
切っ掛けは姉からの電話だった。それは 30年近く前のこと。
子供の頃からあまり音楽に興味がなかった。
好きな歌手がいたわけじゃなく 自らレコードに針を落す事もなかった。
ただ姉の部屋からフォークが聞こえた事や 友達が来ると必ず 誰かが
音楽を掛けていた事が 自分と音楽の繋がりだった。
それも高校を卒業すると環境が変わり また音楽から遠ざかりつつあった。
それでも 僅かに繋いでいたものが
カセット
10代の終わり頃 当時 母親と暮らしていたが 自分の部屋にはテレビがなく
ベッドにラジカセが置いてあるだけだった。日の当たらないジメッとした
家に帰ると まずカセットを鳴らした。流れたのは サザンオールスターズの
“NUDE MAN”。 毎日そればかり 繰り返し聞いた。
その頃 特にサザンが好きだったわけじゃなく アルバムの中に好きな曲が
あったわけじゃなく ただなんとなくBGMのように流していた。
テープは 彼女が持って来てくれたもの。
彼女とは高校の同じクラスだった。その頃 誰かがレコードを買うと
カセットに録音して 仲間内で回すというのが 習慣みたいになっていた。
それが高校を卒業してからも続いていたのだ。
当時 彼女とは遠距離恋愛で会うのはせいぜい月一回ぐらい それでも彼女は
健気(けなげ)に通って来た。来る時は いつもカセットを持って。
持ってきたテープは他にハマショーや甲斐バンドや長渕もあったと思うが
なぜかサザンのNUDE MANだけは よく聞いた。
たぶん 替えるのが面倒だっただけだろう。毎日毎日 飽きずに聞いた。
カセットが 擦り切れるほどに。
よく ”カセットが擦り切れるほど聞く” と言うが 本当にずっと掛けてると
テープが伸びて変な音になる。またラジカセの中でテープが絡まって
外す時に折れ目が出来たり 今のデジタルではあり得ない事がよくあった。
このテープもあまりに聞き過ぎて 音はヨレヨレだったが それでも聞いた。
そんな NUDE MANの中で 最も印象的な曲が ”DJコービーの伝説”。
アルバムの1曲目の曲で 多分聞く回数が多かったから印象に残ったと思う
それともう1つ。この曲が強く残ったのは 音楽と全く関係ない事だった。
彼女が録音に失敗したから
テープを最初から再生すると イントロのギターが1度 “ザっ” と入る
そして一拍して普通に録音されていた。その頃 彼女とこのテープを聞く時
いつも「おまえ 録音失敗したべ」と言って笑った。彼女も横で笑ってた。
次にカセットが擦り切れるほど聞いたのも サザンだった。
NUDE MANから2年後 “人気者で行こう” というアルバムだった。
そのテープも彼女が持って来たもの。聞いてすぐに「もう1本持って来て」
と頼んだ。1本は家用で 1本は持ち歩き用。2本 持っていれば カセットが
擦り切れる事もないだろうし どこでも聞けたのだ。会社でも掛けたし
車でも掛けた とにかく1日中 “人気者で行こう” を聞き続けた。
そんな日が 2か月ほど続いた時のことだった。姉から電話があった
「コンサート 行けなくなったんだけど 行くかい?」
サザンのコンサートに彼氏と行く予定だったが 用事ができて行けなくなり
チケットが2枚あるという。今なら やったラッキー!と飛びつくのだが
その時はあまり乗り気じゃなく「んー 彼女に聞いてみる」とだけ言った。
彼女も休みが取れるか 微妙なところで “どんな手を使ってでも行きたい”
という反応ではなかった。そんな あまり乗り気じゃないオレたちだったが
“まぁ行くだけ行ってみるか” ぐらいの気持ちで姉からチケットを貰った。
それが2人 初めてのサザンだった。
真夏の真駒内屋外競技場。席は確かアリーナの後ろの方だったと思う。
パイプイスがズラッと並べられた後方 段差が付けられた場所だった。
開演を待つ間 今はサポートメンバーの斉藤誠が前座を務めていた。
時間が近づくと 高揚感は次第に高まり 会場がザワザワする 前座が下がる
サザンのメンバーが出て来た。それぞれの楽器にスタンバイした
聞き馴染みのあるイントロが流れる ”JAPANEGGAE” だった。
アルバム “人気者で行こう” の1曲目。繰り返し聞いた最初の曲だ。
イントロが流れる と同時に 桑田佳祐が出てきた。
能のお面と着物みたいなものを被っていた。 会場が一斉に立ち上がる。
ただ 憶えてるのは そこまで。
途中 桑田がバケツの水をかぶって スライディングしたのは憶えているが
それ以外の事は 楽曲もパフォーマンスも ほとんど記憶にない。
コンサートの帰りは 彼女と歩いた。
真駒内競技場の周りには 帰る人たちで溢れ みんなテンションが高かった。
大きな声で歌ってる人もいた。オレンジ色の街灯と 道行く人の高揚感と
冷めない興奮 そんなものが混じり合い 2人で歩き続けた。
どれくらい歩いただろう 2時間か3時間か わけもなく ただ2人 歩いた。
サザンが好きになった。
彼女が持って来たカセットと たまたま貰ったチケット。
そんな始まりだったが その時から サザンが好きになった。
振り返ってみると 思い出のいろんな所にサザンが流れている。
そのほとんどは大したものじゃなく 日常的な 思い出として残すには
あまりにも小さなものだが そういうものの方が 自分たちにとって
本当は大事なものなのかもしれない。最近そう思うようになった。
曲が流れて 聞きながら 小さな思い出が蘇る すると 何かこみ上げてくる
悲しい曲じゃなく 悲しい思い出でもないのに なぜか こみ上げてくる。
だけど多分 小さく 何でもないからこそ きっと こみ上げるのだろう。
あの真駒内から 30年近く経った。また サザンを聞きに行ってくる。
あの頃 カセットが擦り切れるまで聞いた曲を歌ってくれたら と思う。
もし ”DJコービー” を歌ってくれたら。そのイントロが流れたら。
きっと オレは笑うと思う。
その横で カミさんも笑うと思う。
「お前 録音 失敗したよな」 と。
また思い出を増やしに行って来ます。