あの前俊が 変わった。
前田俊介は どこへ行っても変わらなかった。
天才肌のプレイヤーにありがちな 気まぐれな閃きと守備意識の欠如は
組織的なサッカーにとってリスクであり 今まで多くの指導者が改善を求めた
だが 前田俊介は 頑なに変わらなかった。
いや むしろ変わらなかったからこそ 前俊だったのである。
閃きとは感性が生み出すもので いつどこで閃くか 本人さえ分からない
例えば誰も気づいてないスペースをいち早く察知する感覚や今ここを通せば
ビックチャンスになるという感覚は その瞬間でなければ浮かばないものだ。
またそれは学んで得られる力ではなく 生れ持った才能としか言えないのだ。
だが そんな不確かなものを維持するためには 何かを犠牲にしなくては
ならなかったと思う。他の選手と同じ事をし 同じ感覚になってしまえば
感性はいつしか鈍ってしまう だから前俊は自分の感性を尊重した。
誰にどう言われようと 頑なに自分を信じ 助言を拒絶し 貫き通して来た。
ただ その代償に欠落してしまったのが 守備意識であり 汗であり 努力であり
もしかすると “チームワーク” だったのかもしれない。
そんな前俊が今 変わりつつある。
コンサドーレのサポーターならお気づきだろうが 今季の前俊は何かが違う。
前線の守備を怠らず 攻守に渡り走り回り ゴールや勝利には誰よりも喜ぶ。
更に以前は見られていた 審判への異議など無駄なカードを貰わなくなった。
こうして前俊は守備意識も汗もチームワークも内面さえも 他の選手と同じく
いやむしろそれ以上の輝きを放ち 今コンサドーレに不可欠な存在となった。
その変貌ぶりに驚きつつ ぺトロヴィッチもシャムスカも才能を認めながら
変えられなかった選手が なぜか札幌で “自然に変わりつつある” のだ。
コンサドーレの何が前俊を変えたのか?
そんな疑問がある。去年開幕戦で前俊が見せたプレーは確かに凄かった
PA内でパスと見せ掛けドリブル突破した時は鳥肌が立った だがそれ以外の
守備であったり 内面的なものは それまでのイメージと変わなかったのだ。
だが あれから約2年が経ち 今の前俊の印象は 全くと言っていいほど 違う。
頑張るし 頼りにもなる。また若手とベテランとの接着剤的役割も担っている
ようで おそらく誰も予想だにしなかったほどの 前俊の変貌なのである。
ただ なぜ変わったかは 正直 分からない。どんなタイミングで 何があって
今の前俊になったか不明なのだ。それでも考えられる理由はいくつかある。
1つは年齢。年齢不詳の前俊だが 現在27歳である。砂川と同級生と言っても
疑わないだろうが ジャニーズの山Pより1こ下なのである。これ本当である。
そんな27歳という年齢は サッカー選手として ”脂が乗り” 中心選手としての
自覚や家族への責任感を持つ時 それが前俊を変えた最も大きな理由だろう。
また その年齢的なタイミングで石崎監督と出会えた事が転機なっただろうし
今年は財前監督に信頼され ほぼ全試合に起用されてるのも大きいと思う。
もう1つ考えられるのが “環境” である。これは好意的憶測の上の妄想だが
もしかすると “北海道という環境が 前俊に合った” のかもしれない。
この広大な自然や煩わしさのない人間関係が 前俊からストレスを失くし
自然に変われたのではと思う。 まぁ全ては憶測に過ぎないが 前俊の変化は
サポーターにとっても 前俊本人にとっても "喜ばしい変化" に違いない。
ただ1つだけ 残念な事がある。
ファンタジスタの消滅。
常に感性を研ぎ澄まし 見る者の意表を突く そこにある驚きや感動や興奮が
サッカーの面白さでもあった。だが時代は流れ いつしかファンタジーは消え
現実的なプレーや ミスが起こらないプレーばかりが優先されるようになった
今 ファンタジスタが絶滅の危機に瀕してるのだ。
曽田雄志なきあと 前田俊介は 現存する最後のファンタジスタである。
誰よりも危険で 誰よりも鋭いそのプレーは 多くのDFを恐怖に陥れて来た
また見る者を驚かせ シビれさせたプレーは サッカーの醍醐味でもあった
だが そんな前俊から ファンタジーが消えつつある。
頑張って守備をするたびに 真面目に走るたびに ひと粒の汗を流すたびに
ひとつ笑顔を見せるたびに 前俊からファンタジーが失われてゆく。
そんな気がしてならない。走らないから 頑張らないから 仏頂面だからこそ
前俊であり 天才的な感性が保たれて来たはずなのだ。
だが 前俊から その力が徐々に失われようとしている。
それが少し淋しい。
現存するただ一人のファンタジスタから今 ファンタジーが消えようとしてる
それはファンタジー絶滅の危機であり 前俊が前俊でなくなるという事である
それに対する残念な思いは サッカーファンとして拭いようもない。
だがサポーターとして当然 頑張る選手に失望などなく むしろ誇りに思う。
どこへ行っても変わらなかった選手が ここ札幌で変わってくれたのだから
何か自慢したくなるのだ。どうだペトロヴィッチ と。ゆえに前俊の変化には
誇りと自慢と頼もしさと少しの寂しさ そんな複雑な思いが絡み合っている。
こうして前俊は 大きく変わった。
以前のような 走らない気まぐれな天才ではなくなった。
チームのために汗をかき チームのために体を張り 時折 狂おしい笑顔を見せ
監督やチームから サポーターからも 頼られ 愛される選手に変貌したのだ。
もう誰からも “かつて天才と期待されたプレイヤー” などと言わせない。
天才は今 頑張るプレイヤーとして変化し 開花したのである。
それは変化と言う名の成長であり 新たなる前俊の可能性でもあるのだろう。
内面的にも プレーも 少し大人になったこれからの前俊に期待したい。
いや 待て。
ちょっと 待て。
前俊が変わったのは 内面とプレースタイルだけなのか?
他に 最も大きく変わった所はないか?
否!あるではないか!
ビジュアルが!では、検証してみよう。
これが 以前の前俊である
今年1月の前俊(イメージ)そしてこれが 現在の前俊である。
今年10月の前俊(イメージ)とんでもなく変化してる。
変化しすぎて まるで別人のようではないか。
まるで別人のプロポーション芝の上のエンジェル夏の日の1993ではないか。
週一で見てるとハッキリ気づかないが 比べてみると こんなにも違う。
Before と Afterで こんなに変化した選手なんて 他にはいないだろう。
もはやダイエット本を出版すべきだし 彦摩呂に読ませたいほどの変化である
また ここに至るまで壮絶な戦いがあった事を我々は認識しなければならない
このビジュアル的変化こそ 我々が褒め称えるべきものなのだ。
がしかし こうなると問題になってくるのが 次のシーズンオフである。
年明けに 前俊がどんな変化をしてくるか 非常に気になってしまう。
シュッとした前俊で来るか それとも餅のように膨れ上がった前俊で来るか
前者ならチームに大きな力を与えるだろうし 後者ならまた半年 掛かる
主軸の選手だけに そのプロポーションによってチームが左右してしまうのだ
それを考えると 今から期待と不安でいっぱいになってしまう。
いずれにせよ ”前俊の変化” が
コンサドーレの鍵を握っているのは間違いない。