ふと思う。
日本は本当に “攻撃的なサッカーを目指してる” のだろうか と。
コートジボワール戦後 選手は 「自分たちのサッカーが出来なかった」 と言い
ザッケローニは 「もっとアグレッシブに戦うべきだった」 と語った。
共に “攻撃的” という意味があるのだろう。 選手が言う 自分たちのサッカーとは
攻撃的なサッカーを指すだろうし ザッケローニ監督の言うアグレッシブも おそらく
攻めるというニュアンスがあると思う。 ただ 何か違和感みたいなもの感じた。
両者に “大きな食い違い” があるのではないか と。
我々が思う攻撃的とは 単純に攻める事で 人数を掛け 多彩な攻撃を仕掛ける
あるいは 多くの選手がシュートをバンバン放つ というイメージを持つのだが
ザッケローニが考える攻撃的とは “守備も含めた上での積極性” みたいな事を
指すのではないかと思うのだ。 その認識の差は 小さいようで実は大きいと思う。
言うなれば “単純な攻撃” と “攻める守備” という全く異なるスタンスなのだ。
W杯を見てて いつも思うのが 「どこの国も守備的に戦ってる」 という事だ。
チャンピオンズリーグのようなクラブの大会であれば 完成度の高いサッカーを
披露できるが 集合離散を繰り返す代表ではそうはいかないだろうし
短期決戦のW杯で 結果を出しやすい守備的な戦いをするのは必然でもある。
今大会を見ても オランダやドイツは大量得点で勝ったが 戦い方は慎重だった
開幕戦のブラジルも同じで どの国も無暗に攻撃しないのがW杯の戦い方なのだ
それだけ権威ある大会という事だし 緊張と慎重こそが W杯の醍醐味なのだが
それを知るザッケローニが 本当に攻撃的なスタイルを構築して来たのだろうか
ましてイタリア人監督が 攻撃サッカーを目指したのだろうか と疑問に思うのだ。
ザッケローニの基本戦術は あくまでも守備的だと思う。
それは “カテナチオの国の人” というのもあるし 3-4-3のシステムを構築し
いつでも5バックで戦えるよう準備した事でも 基本的なスタンスは表れていた。
その辺は西大伍を代表に呼んだ時期に試していたが 日本のスタイルに合わず
というか理解されず 結局 3-4-3 (守備的) のシステムは断念したと思う。
とは言え そう簡単に攻撃力を上げる事は出来ず 世界と戦う素地を作るために
前線から連動する守備を徹底的に鍛え 主導権を握る戦い方を教えたのだろう。
今回 コートジボワールとの対戦で想定外だったのは その前線からの守備が
機能しなかった事であって 決して攻撃力不足が問題の本質ではないのだろう。
また もっと根本的な問題を言えば “監督と選手の認識違い” だったと思う。
選手は 「日本は攻撃的」 と認識し 監督の本質は 「守備的」 その差である。
そもそもザッケローニが目指していたのは 守備に労力を惜しまない戦い方で
例えば試合がフラットな場合 多くの選手がガンガン攻め上がる事を良しとはせず
基本は守備を重視しながら ピンポイント的に攻める というものだったと思う。
それがなぜか “攻撃的” という風に伝わり 選手たちも 我々も 「日本=攻撃的」
という認識を持った。 そしてその認識の違いに気づかず
大会を迎えてしまった。
だから あの初戦で 攻めるか守るか ハッキリしなかったのではないだろうか
監督は “アグレッシブに守る” と思っていたが 選手は “攻撃的に” と思った
そうした認識の違いが 迷いとしてコートジボワール戦に出てしまったと思うのだ。
そしてもう1つ。 もし仮にザッケローニが 攻撃的なサッカーを作っていたとして。
あのコートジボワール戦 再逆転は出来ただろうか 日本の攻撃力で可能だったか
と考えてみた。 冷静に振り返えれば 「多分無理だろう」 と思った。
1点ビハインドのコートジボワールは猛攻を仕掛け 日本はただ耐えるだけだった
そこへドログバが投入され 更に勢いづいた相手に 日本は怯えてしまった
こうした状態になってしまえば 失点は必然だし そこから反撃する力は奪われる
香川のプレーに表れていたように 人は窮地に追い込まれた時 その本質が出て
しまうものだから あれだけ怖がれば おそらく逆転は不可能に近かったと思う。
本質的にメンタルが攻撃的な選手は本田だけ というのが日本の弱点なのだ。
そう考えると。 日本が攻撃的サッカーを構築するのは 難しいだろうと思う。
サッカーのスタイルは 国民性(地域性)や風土 あるいは特徴などが融合されて
作られるもので 例えば南米は駆け引きが得意だし 欧州は組織力が主になる
そうした事を考慮すると 日本は決して攻撃的な国ではないと思うのだ。
かと言って どんなサッカーが適してるかは 正直 素人の自分に明確な答えはなく
ただ 勤勉で組織を重んじる国民性と 持久力や技術 または俊敏性・機動力など
それらの特性を サッカーに用いてくれれば とは思っている。
ザッケローニもオシムも こうした日本人に合った戦術を熟慮したと思うが
“守備的なサッカーをする” という事は 国民に受け入れられなかっただろうし
また日本人のフィジカルやメンタルから 守ろうと思って 守り切れる力はない と
感じていたと思う。 だから “攻める事で守る” という接点を見出したのだろう。
ただそれが “攻める” の所だけが独り歩きし いつの間にか 多くの人の認識が
「攻撃的なサッカーが日本のスタイル」 になったのではないかと思うのだ。
日本が 「日本のサッカー」 を構築するには まだまだ時間が掛かると思う。
ドイツ、オランダ、ブラジル、フランス、ユーゴスラビア、そしてイタリアと 今はまだ
それぞれの監督から それぞれの国のサッカーを吸収してる段階なのだろう
今後は そこから得たヒントと日本人の特性を融合し 形作られるのだと思う。
ただ 攻守一体のサッカーにおいて 本来 攻撃的や守備的の線引きは曖昧だし
“W杯を守備的に戦うのは必然” という認識は 持たなければならないと思う。
テレビでは 「ギリシャ戦は攻撃的に!」 と知った顔で言うヤツがいる
渋谷の交差点では 敗戦でもバカ騒ぎするような 薄っぺらいヤツらがいる
それらが言う 「攻撃的なサッカー」 が どれだけ困難なものか 玉砕覚悟のものか
それすら知らずに言う。 いつまでもそんな浅い風潮に流されてしまうのであれば
日本のサッカーの構築は遅れ続けてしまうかもしれない。