バルバリッチが監督に就任して約1か月が経つ。
そこで この監督が何を求め どんなサッカーをしようとしているのか
妄想と憶測を交えつつ アレコレ考えてみた。
まずはバルバリッチがどんな人物なのか ちょっと探ってみたい。
1962年生まれ52歳。クロアチア出身。選手のキャリアは華々しくないが
A代表歴1試合と五輪代表に選ばれている。現役引退後は指導者の道に進み
スペインやボスニアヘルツェゴビナなどのクラブでコーチ 監督を務めた。
52歳という年齢や監督としてのキャリア また愛媛で指揮を執った経験など
経歴は申し分なく ”よく この安い給料で来てくれたなぁ” と感謝する。
ちなみに先日 千歳空港で偶然 コンサドーレ御一行様と遭遇したのだが
いっちばーんテンション上がったのが バルバリッチを発見した時だった。
なんせ初バルバである それも生リッチだ 興奮を抑えきれず近づいてみると
何か怖かった。目の窪みというかホリの深さが尋常じゃなく 怖かった。
このバリアフリーの時代にあの段差 お年寄りの方は気をつけてと思った。
それと バルバリッチから滲み出るオーラから もう一つ感じたものがある
“厳しさ”
それは我々日本人には決して発せられないオーラと言うべきだろうか。
日本人の監督にも厳しい人は数多くいて 札幌でも柳下監督や石崎監督は
厳しい部類に入るだろう。だがバルバリッチのそれは異種・異世界のもの
本格的な怖さと厳しさを持っているように感じた。
そう感じたのは おそらく “生き様” から来るものだろう。
バルバリッチが生れ育った国はずっと内紛が続いていた そのため我々
日本人が経験し得ないものを経験して来ただろうし その生き様みたいな
ものが雰囲気に表れていたのだ。サッカーはあくまでもスポーツだが
バルバリッチから感じるものは ”生か死か” みたいな迫力があり
それは日本人の監督には到底持てないものだと思った。
ただそのオーラはガチで怖い。
空港ロビーで通訳と話してる様子を見ていたが チラっと目が合っただけで
チビりそうだったし 警備員たちは超緊張したに違いない。
またバルバリッチから感じる厳しさは 自分自身への厳しさでもあると思う
自分自身にも甘えは許さず 大袈裟に言えば ″命懸けでサッカーをして来た”
みたいな厳しさがある。そこに生き様という背景が加わり あの怖いほどの
迫力になるのだろう。こうした怖さや厳しさは ともすれば甘くなりがちな
札幌の環境に 最も必要で 最も欲していた要素だったかもしれない。
その点においては大きな期待がある。
だが問題は バルバリッチが
どんなサッカーを目指しているのか
そして それがコンサドーレに合うかどうか
どんなに優秀で 優れた経歴があっても チームに合わなければ意味がない。
特にコンサドーレは 自然環境やチームを取り巻く環境に少し特殊な所が
あるため 監督の性質によっては 合う合わないが大きく出てしまう事がある
そこで バルバリッチの目指すサッカーが札幌に合うか否かを考えてみた。
まずバルバリッチのサッカーを考えた時 真っ先に浮かんだのは “オシム”
その経歴や出身から考えても オシムの影響を受けてないはずはない。
また 愛媛でのサッカーも 本当にやりたいサッカーだったのか不明なため
祖国の偉大な指導者オシムを参考にするのが最も分かり易いと思うのだ。
オシムと言えば ”考えて 走るサッカー” それまで技術優先だった日本に
知力と走力の重要性を訴えた。その成果はジェフで十分に証明され 代表や
国内全てのサッカーに大きな影響を及ぼした。そのオシムの教え子の1人の
バルバリッチも基軸は やはり同じ理論 同じ戦術であると考えられる。
ちなみに バルバリッチがオリンピック代表の時 監督はオシムだったそうで
そこで培ったものが 後の指導に息づいていると思う。
ただ 考えて・走るサッカーの印象が強いオシムだが 本来それが軸ではなく
“守備の積極性” と “闘争心” が本質的な軸だと思う。
おそらくオシムが ”考えて走る” を提唱したのは 闘争心を除外したからで
本来サッカーにあって当然の闘争心が 日本人に無かったのが理由だろう。
いくら闘争心を持てと言っても それは本質的なもののため どうやっても
植えつけられなかった。そこで 知力・走力を高める事で 組織力を上げる
という方へシフトしたと思う。言うなれば ”仕方なくの考えて走る” であり
良く言えば “日本人に合わせた戦略” でもあったと思う。バルバリッチも
同様に愛媛で初めて日本人を指導した時 その闘争心の無さに驚いたと思う
それまで自分がやって来たサッカーと考え方や本質がまるで違っていた
ただ技術は高く 練習も真面目に取り組む姿勢には 好感を持ったと思う。
日本人をポジティブに受けつつ 不足した闘争心と守備力アップを図る
それが 札幌でバルバリッチがやろうとしている事ではないだろうか。
例えば前節の岡山戦 終盤で2点差になった時 DFの薗田を入れた 普通なら
試合を締めに入ったと思うが 薗田はボランチに入り 積極的に攻撃した
それがバルバリッチの本質的な戦術だと思う。守るだけの守備ではなく
積極的にボールへ関与する事で 守備強化を図る と言うか。
そのプレーをするには勇気や闘争心 そして知力や走力も必要になる。
また 守備の選手が動く事で バランスを取る選手 飛び出して行く選手も
出て来る そうした動きが組織力を高める作用もあるのだ。
システム上は5バック+1の形だが 決して守備的というものではなく
積極性があれば “攻撃的な守備が出来る” という バルバリッチが目指す
サッカースタイルを 少しだけ見せてくれたような場面だった。
もしあの終盤のサッカーが定着できれば コンサドーレは確実に強くなる。
ただし それまでにどれ位 時間が掛かるか?
ぶっちゃけて言えば 北海道人は 待つのが嫌いだ。
それは短気というものではなく 寒い中 外で待たない性質だからだ。
例えば飲食店では 待つ人がいれば 余程でなければ すぐ次の店を探すし
レジの混雑には異常なほど敏感になる。そんな道民が待てるのだろうか?
まして前監督の財前氏とは正反対のタイプ・戦術なのだから 戦術浸透に
時間が掛かるのは明白で ばらくの間は 試合によって波があると思う。
実際ここ僅か3試合でも 草津戦と岡山戦では 全く違うチームのようだった
それだけ戦術の違いが大きいのだから 定着するまでに時間が掛かるのは
当然なのだが そこまで待てる度量がサポーターにあるかどうか。
それが この先に待ち受ける 一番 大きな課題ではないかと思う。
だが 待つだけの価値はある。
既存の守備的とは違う 今の守備的サッカーは現在の主流であるわけで
5バックを積極的なスタイルとして行なえれば 必ず強くなれるのだ。
また そのサッカーは 必ず面白くなる。守るためだけの守備から脱皮し
全員が積極的にボールへ関与する 全員が走り 何人もの選手が飛び出す
チャンスもピンチも全員が関係する そんなサッカーになるはずだ。
それが出来るなら 少しぐらい時間が掛かろうと 自分は信じて待てる。
バルバリッチを全面的に信頼するにはまだ早いかもしれないが。
岡山戦で見せたその片鱗は 今までコンサドーレに足りなかったものであり
必要としていたものだったと思う。“守備の積極性” と “闘争心”。
バルバリッチは それを植え付けるため札幌に来たのだ。
今は あらゆる選手を試合に出場させつつ 誰が闘えて 誰が闘えていないか
また 誰がチームに心を宿しているか を見極めている所だろう。
この監督が信条とする ”チームの機能の一部としてプレーする” 事ができて
ボール際を激しく闘えれば おそらくレギュラーを掴む事が出来るだろう。
後は 選手がしっかりアピールし 意識して闘争心を育てて行くしかない。
そして 我々はそれを待つ。どれだけ時間が掛かっても。
ただそれだけなのである。
闘える選手。闘えるチームになるために。