ここらで ちょっと説明します。
蹴馬鹿no.7 ・no.13・ no.14の「北の国から」についてですが
初めてご覧になる方には 「こいつはいったい何 書いちゃってるの?」と
ご不信にお思いになるかと思われます。
素人が あの名作「北の国から に手を出すとは!」とお怒りもございましょう。
それもまた 重々承知の上で書いたものでございます。
きっかけは「こんさくたろう」の掲示板で「北の国から レンタルで見てます」
と言うのから始まって 掲示板ですから 盛り上がるわけですよ
例えば 好きなシーン「泥札が泣ける」とか「落石の再会」とか
各それぞれに思い入れみたいなのがあって ワーワー言ってたわけです。
で そんな流れから ふと「コンサドーレと北の国からを絡めて書けないか」と
思ってしまったわけです。で 仲間内からも賛否はあったりして
「良かったよ~」とか「泣いた~」とか お褒めも頂きましたけど
「そこはサンクチュアリじゃないのかな~」という言葉もありました。
ただ 何となくですが 「02 遺言」で終わってしまった「北の国から」を
そもままにしておくのは切ない と感じていたことは事実で
自分の中で生き続ける「北の国から」を書いてみようと思ったのです。
ただ 書くにあたっては「テーマ」を持たせる ことを心掛けていました。
倉本聡が常にしていたことが出来てなければ書くに値はしないわけで
そう言った意味からも no.7の「家族」は当時の気持ち そのままでした。
ちょうどその頃 漠然とですが「家族って何だろう」と考える事が多くて
自分とカミさんや 自分と親・兄弟 自分とカミさんの両親 その繋がりを
どう持てばいいのか そんなことをよく考えてた頃でした。
ただ 答えはそう簡単に出るわけもなく それは今も模索中です。
そんなことを考えるようになったのも きっと年のせいでもあると思いますが
「家族」を書いて こういったことに正面から向き合う出発点になりました。
生活の中で上手く行かないことがあるわけですが
例えば趣味 僕らで言えばサッカーがその潤滑油になることもあるわけで
そういった観点でのコンサドーレもまた 重要な役割を担ってるんじゃないか
そんなことを書いたつもりです。
no.13の「絆」も同じように家族を題材にしましたが「結び合う」という意味では
その関係が 友人でも同僚でも恋人でも一緒で
結び合うには誰かの意志が必要になるんだ と言うことを書きました。
ちょうどその頃 「こんさくたろう」や「外伝」の繋がりが広がって行き
OSCを立ち上げたり 頻繁に飲み会を開いたりと 仲間意識が出来始めた頃で
そういった事に参加しながらも 続ける難しさみたいなものは感じてました。
例えば 仲間内でのトラブルや 何となく遠ざかってしまう事など
せっかく出来た繋がりも もろさはあるわけです
そんな時 どうやって糸を切らずに保てるか そんな事を思っていました。
「家族」を考え 「絆」を思いと その時々の自分を省みながら書いてましたが
文中では 正吉がその役割を担ったわけですが 自分に置き換えると
「オレに出来るかな…」と思ったりして。
それと「絆」には 仲間内での出来事に 今も切なくなる想いがあったり。
ただ この「絆」。 正直申しまして 外した感があります。
いまひとつ何か欠ける。感動とか笑いとか涙とか 分かりやすい部分
で あわてて挽回に入ったのが 「抱擁」です。
この「抱擁」 一部 事実があります。
文中の「ブーイングしようぜ」の所。これは実際 厚別競技場で起こった事です
その日 厚別のゴール裏 最上段で応援してたんですが
終了後 数人の男が「ブーイングしよう」を言い出しました。
ブーイング自体は否定しませんが それを同調させようなんてのは愚行ですよ。
やるなら自分で決めて自分でやる それが流儀ってもんじゃないでしょうか。
まして その頃のコンサドーレは チーム作りで右往左往してる状態
結果云々を評価する段階じゃなかったわけです。
で 「だまれや おっさん!」 になった次第です。
ただ 五郎さんみたいなことは言えなかったですよ。頭に血が上ってますから。
それでも心にあったのは五郎さんの言ったような事で
今もそのセリフは 凄く気に入った言葉。重く心に入ってます。
この「抱擁」は 人や物事 これで言えばチームを どう暖かく見守るか。
そんなことを書いたつもりです。思うようにならない時 怒りに任せたくなる時
どう対処すべきなのか?忍耐と言ってしまえばそれまでですが
愛情や愛着があれば 忍耐ともちょっと違う観点が生まれるのかなと。
五郎さんならこういう視点かな そんな気持ちも含まれてます。
ま 誰よりも先に血が上る人間が言っても 説得力ないですよね。
それから 来年あたりからはコンサドーレにブーイング ありだと思ってます。
柳下監督になって3年目。チームも随分と成長したと認識するわけで
であればプロらしくないプレーには“喝”もありじゃないでしょうか。
ただ自分がやるか って言われれば 絶対しませんけど。
だって カッコ悪いでしょ。親指下げて「ブー」とか。
オレ そういう文化で育ってないし。馴染んでないもの。