それは卒業がもうすぐの頃。
融けずに残る雪が 春を少し先延ばしにしていた。
タク 「母さん 母さーん おれのジーパン 知らない?」
母 「 ええ?ジーパン?あぁ あれなら さっき洗ったよ」
タク 「えぇっ!またっ!ダメだって!勝手に洗うなって!」
母 「あーんな汚いの 膝のところも破けてるし 恥ずかしいんだからね」
タク 「いーから ほっといてって もう絶対 勝手に洗うなよ!」
母 「あー 分かった 分かりましたっ!」
タク 「………」
母 「それより 来週でしょ行くの! ちゃんと準備出来たの?
行ってからアレないコレないって言っても 遅いんだからね」
タク 「分かってるって もうしたって!うるさいなぁ」
母 「何言ってんの もうすぐ高校生なのに 本当に一人で洗濯とか出来るの?」
タク 「出来るよ それぐらい!今はやらないだけ 向こう行ったら 自分でやるから」
母 「ほんと~?やる~?嫌よ 汚いのとか臭いのとか 恥ずかしいんだから」
タク 「あー あー わ か り ま し た っ 」
母 「あーやっぱり心配 ほんとに一人で生活出来るの?地元の高校にしたら?」
タク 「あぁ~もういいって!ちょっとショウのとこ行って来るから」
母 「はいはい あんまり遅くならないでよ」
玄関のドアを開ける。外の空気が入り込む。キンと鼻先が冷たくなる。
3月も半ばになろうとしているのに 札幌はまだ冬だ。
ザクザクと足元に音を立て ショウの家へ向かう。
辺りの窓からは明かりが漏れ 夕食の匂いがしてくる。ハァと吐く息が白い。
タク 「もしもし おれ タク 今 下に着いた」
ショウ 「おお 今 行く」
さっきまで明るさが残っていた辺りは すっかりと闇に包まれた。
ショウの玄関が開く
ショウ 「ちぃす!く~サミぃ~ヤバくない?この寒さ 早くあったかくなんねぇかな~」
タク 「サミぃな ローソン 行っか?」
ショウ 「おお 行くべ 腹 減ったし」
2人は歩き始める。アパートが建ち並ぶ脇の小道。
ザクザクと雪を踏む音が重なった。
ショウ 「 …来週か …行くの 」
タク 「 …うん 」
ショウ 「 …藤枝って 遠いよな」
タク 「 …うん 」
ショウ 「 …なんか な~ 」
タク 「 …うん …ま 自分で決めたことだしさ それより昨日の笑金見た?」
ショウ 「!見た見た アンガールズ! なまら笑った~」
2人 ジャガジャガ ジャガジャガのポーズ。 笑う。
タク 「違うって 手はこう 指は こうだって」
ショウ 「違っ こんな感じだぞ」
タク 「!あ あとアレ! アーザースっ!」
ショウ 「 山崎! 来てるね 絶対 来てるね あと 竹山」
タク 「来てるねぇ でもやっぱり ポイズンガールバンドだなっ」
ショウ 「! だな」
ローソンに着く。 タク 卵サンドとコーヒー牛乳。ショウ おにぎり2個と牛乳を買う。
店を出て 駐車スペースのタイヤ止めへ腰掛ける。 2人 食べ始める。
タク 「やっぱ牛乳か もう少し 背 伸びないとな ショウは」
ショウ 「あぁ 高校3年間で20センチ身長伸ばせって 監督に言われたし…」
タク 「…でも おまえぐらいテクニックあったら 大丈夫だと思うけどな」
ショウ 「ユースって厳しいんだ 食事管理とか 体調とか 普段からやらないと…」
タク 「ふ~ん…高校の部活の方が良かったんじゃないのか?選手権 目指せるし」
ショウ 「…うん 迷ったけど おれ やっぱ プロになりたいし そっち目指したいし」
タク 「そっか コンサドーレユースって 今まで何人ぐらいプロになってた?」
ショウ 「…5人か6人 で 今 トップにいるのが4人かな…」
タク 「 …厳しいんだな…で なれそうなのか プロに?」
ショウ 「…分かんないな 練習参加してみたけど 皆上手いし 3年やってみないと」
タク 「練習 キツい?」
ショウ 「まだ 本格的じゃないし…でも 遠いんだ練習場まで そっちの方がキツい」
タク 「へぇ… あ 曽田とかに 会った?」
ショウ 「まだ会ってねぇから それより そっちはどうよ?藤枝って」
タク 「…ん~全然 分かんねぇ でも やるしかねぇもんな」
ショウ 「知り合いとか いないんだろ?一人でキツくないか?」
タク 「うん 面接行った時 いろいろ見てみたんだ 学校とか 寮とか 練習とか…」
ショウ 「キツそうだった?」
タク 「…う~ん 分かんねぇけど みんな サッカー やってた」
ショウ 「そりゃそうだろう 部活だもん」
タク 「…いや 部活だけじゃなくて 公園とか 空き地とか そこらでみんな」
ショウ 「…へぇ 静岡って やっぱ そうなんだ…」
タク 「…うん 全部は知らないけど… なんか サッカーのまちって 感じでさ…」
ショウ 「頑張れよ 選手権 出れよ オレ テレビ 見てるから」
タク 「あぁ その前に レギュラー 取らないとな」
ショウ 「…オレも」
タク 「プロんなれよ」
それから2人は黙ったまま 歩き始めた。 ザクザク 足音が大きく響く。
ショウ 「…じゃ 来週 見送りに 行くからな」
タク 「…いいって 恥ずかしいし 一人で行くから」
ショウ 「いや 絶対 行くからな」
タク 「…あ そうだ これ 借りてたCD」
ダウンジャケットのポケットからCDを出す
ショウ 「おお 聞いた?これ」
タク 「いや まだ 録音だけした 向こう行ってから聞くよ」
ショウ 「そっか 来週またアルバム出るんだ さっき予約してきた」
タク 「へぇ…」
ショウ 「じゃ 明日 卒業式でな」
タク 「 …うん じゃ な」
しばらく歩き振り返ってみる
ショウが手を振っていた ちょっとだけ手を上げた。
また歩く。もう一度振り返ってみる。ショウはまだいた。
真っ暗で 吐く息は白い。指先は痛むように冷たい。
それでも気持ちが少し暖かくなった。
「 卒業証書… 以下同文…」
受け取るタク。振り向き 皆に向かい 丸めた証書を高々と上げた。
まるで優勝トロフィーのように。 会場から 大きな拍手と笑い声が起こる
母はそれまで目元を拭っていたハンカチで そっと顔を隠す。
サッカー部の監督が手を叩く。
呆れ顔の先生たち。誇らしげなタク。立ち上がるショウ。
母 「ねぇ タクちゃん 明日 本当にお母さん行かなくていいの?」
タク 「いいんだって 藤枝には一人で行くから 大丈夫だって」
母 「そうじゃなくて 先生とか 寮の人とか 監督さんに 親が挨拶しなきゃ…」
タク 「大丈夫だって ほら 清田から行った人いたでしょ あの人も一人で来たって」
母 「そんなこと言ったってねぇ……」
タク 「大丈夫 大丈夫 心配ないって だって恥ずかしいし」
母 「恥ずかしいとか そう言う問題じゃないでしょ まだ15なんだし…
お父さんもこんな時期に単身赴任なんてねぇ…」
タク 「いいから どうせ向こう行ったら一人でやんなきゃならないんだし」
母 「やっぱりお父さんと一緒に行きなさい 羽田 着いたら迎えに行ってもらうから」
タク 「ヤダよ 一人で行くよ じゃ寝るから」
母 「タ タクちゃん もう…」
タクの部屋。荷造り。CD 雑誌 携帯充電器 メモ書きの地図…
プルル 携帯が鳴る。 "着信:ショウ"
タク 「アーザースっ!」
ショウ 「おつかれ ちゃ~ん!!」
タク 「おっ新しいね "おつかれちゃ~ん"か 誰だっけ それ?」
ショウ 「ん~ 誰だっけ(笑) 明日 行くから 飛行機 何時?」
タク 「11時ごろ でも いいって来なくて 親だって来ないのに」
ショウ 「行く ホントはチームのみんなと見送るかって言ってたんだ」
タク 「それはヤメて ドラマじゃないし 泣くやつとかいるんじゃねぇの」
ショウ 「ヒロキは泣くな あいつすぐ泣くもん でも行かせないことにしたから」
タク 「そうだよな なんか恥ずかしいしな」
ショウ 「でも オレ 行くよ ホント」
タク 「あぁ 分かった 来てくれ JRで千歳まで行くから 8時に札幌駅な」
ショウ 「分かった 行く じゃな おつかれ ちゃ~ん!」
タク 「アーザースっ!」
~翌朝・出発の日~
母 「全部持った?忘れもんない?」
タク 「うん (アレだろ コレだろ) 持った 大丈夫」
タク 大きなリュックを担ぐ。羽田行きのチケットを確認する。ポケットに入れる。
携帯 財布 鍵 ひとつひとつ確かめながら ポケットに入れていく。
母 「タクちゃん遅れるよ~ 早く 車 乗って」
タク 「分かった 今 行く」
玄関のドアを閉め 鍵を掛ける。そっとドアを撫ぜ "行ってきます"と呟いた。
15年 見慣れた景色が過ぎて行く。ローソン。スーパー。公園。
住宅と住宅の間 僅かな隙間から グラウンドが見えた。
まだ雪に埋もれたグラウンド。 置き去りのゴール。 朝日の当る校舎。
一瞬 色んなことが蘇る。 切なくなる気持ちを かき消した。
母 「ほんとに大丈夫なの?ちゃんと出来るのかなぁ…お母さん心配で…」
タク 「 大丈夫だって 心配しなくっていいって」
母 「体にだけは気をつけてね 風邪も引かないようにね あ お薬 持った?」
タク 「持ったよ 一昨日送った荷物に入れてたよね」
母 「…そうか あ ちゃんと挨拶してよ 先生と 寮の人と それから…」
タク 「分かってる 分かってるから 大丈夫だから ね 心配しないで…」
母 「分ってるんだけど ついね 夏休みには帰ってこれるんでしょ?」
タク 「う~ん たぶん無理かな 合宿とかあると思うし」
母 「そっか… お母さん 寂しくなるな…」
タク 「 …ごめん …電話するから 」
母 「…うん 頑張って うん …」
タク 「 …うん」
母 「 …でも 心配だな …まだ 15なのに…」
タク 「 …もうすぐ 16だよ」
札幌駅へ着く。駐車場へ車を入れる。エンジンを切る。
タク 「…ここで いいよ」
母 「何 言ってんの 空港は行かないって約束したけど 駅では見送るから」
タク 「いいよ ショウ 着てくれるし ここで いいよ」
母 「 …言い出したら 聞かないもんね… 分った 気をつけて …」
タク 「 …うん …母さんも …」
母 「 …あ これ お弁当 空港で食べなさいね」
タク 「 …えぇ …いいよ なんか買って食うよ…」
母 「いいから 持って行きなさい せっかく作ったんだから」
タク 「 …だって 弁当箱どうすんの?荷物になるし…」
母 「 …お母さんね 今朝起きて 気がついたら お弁当作ってたの
こんな時なのに… でもね 他にしてあげられること 思いつかなくて…」
タク 「 … … … … 」
母 「 …もしかしたら お弁当作るの これが最後かな って…」
タク 「 …うん 分かった 空港で食べるよ 」
母 「うん 力 つくから お母さんの愛情 たっぷりだから」
タク 「…うん じゃ もう行くよ」
母 「…うん …うん … … …」
車のドアが閉まる。駅への階段を上る。
振り返る。母は車を降り 手を振っていた。
駅の中へ入ると ショウが待っていた。タクに気付き 歩いて来る。
顔を見られるは少し恥ずかしかった。
両手でパチンと頬を叩き 切り替えた。
ショウ 「オーザースっ!」
タク 「なにそれ?オーザースって?」
ショウ 「ばか アーザースってのは "ありがとうございます" だろ
なら "おはようございます" は オーザースっ!」
タク 「!頭 良い!オーザースっ!これ広めよう」
ショウ 「な でしょ でしょ 一回100円な!な」
タク 「カネー取るンかい!」
ショウ 「ま いっか 向こうで広めてくれ」
タク 「!ヤベっ 時間ない 急ごう!」
千歳空港 出発ロビー。
大勢の客。フロアの隅の方 壁にもたれ掛かる2人。
ショウ 「…でさ 無茶振り 竹山のバイオリン力士」
タク 「おー 見た見たー あれウケた~」
ショウ 「あ あれ ワッキーのやつ 見た?」
タク 「なにそれ?いつのやつ?」
ショウ 「知らないの?来週もやるから見れっ… そっか…向こう入ってるかな…」
アナウンス 「…11時××羽田… 搭乗手続き…ます…」
ショウ 「あ 時間か…」
タク 「 …そうかもな」
ショウ 「あ これ チームのみんなから みんな いろいろ書いたんだ」
ショウの手には10番のビブス。たくさんの名前と文字が書かれていた。
タク 「…へぇ 凄いな なんか 恥ずかしいよ」
ショウ 「なんつぅか みんなの代表だからな タクは…」
タク 「おまえだって コンサユースに選ばれたじゃねぇか」
ショウ 「いや おまえは凄いよ 適わないよ 一人で行くし すげぇよ」
タク 「!あ!これ ヒロキの書いたやつ 見れよ」
ショウ 「!はぁ?faitって何?ファイトのこと?なにこれ!うける~!」
タク 「すげぇ すげぇよアイツ!こんなとこで笑わせるなんて!マジ最高!」
ショウ 「分ってるねぇ!ファイト! エフ・エー・アイ・ティ! ファイト!」
タク 「どうしよう どうしようこれ ちゃんと突っ込んだ方がいいかな?」
ショウ 「やっぱ このボケには ちゃんと突っ込んでやらまなきゃ」
タク 「エフ・エー・アイ・ティ! ファイト! まじ 最高」
2人ゲラゲラと笑う。
ロビーを歩き カウンターへ向かう。
ショウ 「あれ あの機械で搭乗手続きするんじゃないの?」
タク 「マジ?おれ やったことねぇ」
チケットを取り出す。機械の前で説明を読む。
タク 「?…んん? 分かんねぇこれ… 」
いろいろボタンを押してみる。だが上手く手続きが出来ない。近くの職員が気付く。
職員 「ご搭乗手続きでしょうか?」
タク 「…はぁ 分んないんですけど …すいません」
職員 「このボタンを… 窓側と…」
タク 「出来た!ありがとうございました」
ようやく手続きを終え
振り返る タク
タク 「さぁ 行く…」
ショウ 「… … …」
ショウの頬から ボロボロと 雫が落ちている。
ショウ 「 …ほんとに …行っちゃうんだな」
タク 「 … … … 」
ショウ 「 …ほんと …なんだな 」
タク 「 … …ごめん…な 」
ショウ 「 …一緒に選手権 …行きたかったな…」
ショウはそこまで言うと
堪え切れず 声を上げて 泣き出した。
タクも ずっと押さえていた 防波堤が 崩れる。
空港のロビー。 カウンターの前。行き交う大勢の人。
2人は 泣いた。
たくさんの思い出が次々と溢れ出し
瞳の奥から流れる
2人は 思い切り 泣いた。
ショウ 「 …ごめんな 恥ずかしいよな ごめんな」
タク 「…ほんと …恥ずかしいな うん …」
ショウ 「 …そうだ これ …このCD 貸してやる 持ってけ」
タク 「…これって昨日 買ったばっかのCDだろ 聞いたのか?」
ショウ 「いや まだ…けど いいから 持ってけ でも貸すだけだからな」
タク 「…返せないって 今借りても …送るのか?」
ショウ 「全日本ユース 出て来いよ そんで 決勝まで 残れ」
タク 「 …分かった じゃ その時 返す!」
ショウ 「決勝でな」
タク 「アーザースっ!」
タクの大きな声がロビーに響く。ショウはゴシゴシと目を擦り 息を吸い込む
ショウ 「アーザース!」
タクよりも もっと大きな声で応えた。近くの客が不思議そうな顔で2人を見る。
タク 床に置いたリュックを背負う。
「じゃ」 と短く手を上げる。ショウも同じく手を上げる。
右手にチケットを持ち 搭乗口へと向かうタク。
もう振り返ることはなかった。
2人の青い翼が それぞれの道へ旅立った。
3月中旬。札幌は春と呼ぶにはまだ遠く グラウンドには足跡が残る。
それでも2人の胸は 暖かな何かに包まれていた。
いつかの日か また一緒にプレーする。
そう誓い合い 明日へと向かった。
タクとショウ。
2人は この日 少年から 卒業した。