蹴馬鹿の窓no.26「逆流」というのは 今年の5月15日に書かれたもの。
その数日前に発覚した 役員の不祥事は
我々応援する者にとって 「許しがたい」ものでした。
それまで幾つかあった出来事も “トラブル”の範囲内で
そう重くは受け止めていませんでした。
ただ 去年の「新居・飲酒事故」 今年の「役員・買春」は 明らかな“事件”で
問題の性質も違ってくるはずです。
文章にあるように チーム側の対応は正しかったと思います。
起こった出来事を重く受け止め 対処し 謝罪した。
それでも当時 言いようのない憤り(いきどおり)があって
それは当人やチームに対してではなく ぶつけようのない怒りがあって
「なぜ こうも問題が起きるのか」 そんな憤りでした。
チームもサポーターも もっと切羽詰った状態なはずで
それでも色々な所で 甘えや緩みが感じられる。
そんな思いを 蹴馬鹿にぶつけたような気がします。
昨年の新居の時。その事件を聞いたのは 実家に泊まった 朝でした。
カミさんから起き掛けに「新居 飲酒で事故起こしたんだって」と聞き
驚きと同時に どう対応するのだろうか と気になっていました。
「解雇」は正しい処罰かもしれませんが それ以外の何かないだろうか と。
そんな思いと一緒に 自分の中学生の頃のことが浮かんできました。
中学の2年の時。その頃 自分でもどうにもならない状態で
幾度となく警察の厄介になっていて 学校側でも対応を考えていたようです。
例えば 仲間をバラバラに転校させるとか 別教室に隔離してしまうとか。
そんな年の冬。もう言い逃れの出来ない事件を起こし
警察と学校側が話し合いを始めました。
隣の校長室に その言い合いは聞こえてきましたが その内容は
「施設に入れる」というもの。
少年であっても行き過ぎた事件ならば 処罰をしなければならない。
そう警察が言っていました。校長室でそれを聞きながら
覚悟をしなければならない。そう感じ 未来を捨てた。そんな脱力感に覆われました。
と その時。担任が叫ぶように 懇願します。
「どうか もう一度だけ あの子等にチャンスを下さい」
それを まるで他人事のように聞いていました。どうせ 変わりはしない。そう思い。
警察も認めない。それでも担任は 何度も何度も懇願する。
「このとおりです お願いします」
姿は見えませんでしたが それは分かりました。 土下座。
そのまま 何度も「お願いします」と繰り返していました。
まるで「金八先生」のような出来事。
あの時初めて 「誰かに救われる」という感触をしました。
結果 僕らは無事 中学を卒業でき 私は高校にも行けるようになりました。
中学生の出来事と 成人が犯した事件とでは まるきり違うかと思います。
ですが あの時の担任と同じぐらいの年になり
その気持ちが 僅かながら分かるようになりました。
人生を左右するような時。
本人よりも その周りの人間が どれだけのことができるだろうか
どれだけ真剣に関われるだろうか そんなことを思っています。
今年 コンサドーレは良い戦いをしています。
順位も 内容も 今 出来る精一杯をやっているように感じます。
5月の不祥事への対応も正しいものでした。
それでも足りないと感じるのは。そしてその答えは。
あの時の「担任の土下座」にあるような気がします。