ここらで タクとショウについて 説明させて下さい。
蹴馬鹿no.22 no.23 no.29に書かれてる人物 タクとショウは実在する人物です。
と言っても 彼らはまだ小学生で no.23 no.29は まったくのフィクションです。
今年の2月 友人コヒカの愛息子コ君の試合を見に行った感想として
no.22の「魅了」を書きました。
フットサルの大会 数チームが集まる体育館に 彼らタクとショウがいたわけです。
そのプレーぶりは文中にあるように 感動させてくれました。
そして2人のキャラクターがまた良くて。で これまた妄想癖が出たわけです。
それがno.22の「卒業」 モデルはあくまでも彼らですが
テーマの方を重視していました。
3月に入り うちの隣にある中学も卒業式が行なわれる頃。
それまで窓から見ていた 「あの選手たちも 卒業していくんだろうな」と。
卒業式の日なんかは 校門の前を通ると 妙に切なくなったり
お疲れさん とか 次も頑張れよ とか 何ら関係もない自分が思ったりするわけです。
そんな寂しさと言うか 切なさと 次へ行く逞しさみたいなものが書ければ と。
ただ 文中では いろんな事実と折り合わせて書いてみました。
例えば タクのお母さんが弁当を作ってしまうこと
これは仲間内にも中学を卒業する娘さんがいる人がいて
その人が「もうお弁当作らなくてもよくなっちゃう」そんな事を言っていました。
早起きをして弁当を作る その煩わしさと 母としての存在感みたいなものの
複雑な思いってあるわけで 特に「お弁当」には 愛情の象徴のようなもの。
セリフの中の「愛情たっぷりだから 力 つくから」は そうなんだろうなと思います。
もうひとつ。最後の空港でのところ。
タクが振り返ると ショウはすでに泣いていた。
これは自分にあった出来事で。高校を卒業し京都へ出発する 地元の駅ででした。
仲間が何人も見送りに来てくれ ありがたいやら恥ずかしいやらの見送りでした。
で ワイワイとやりながら列車を待つわけです。そんな悲しい感じもなく。
サァーっと列車が入ってくる で クルっと振り返ると 中でも親友が
これまた凄い暴れん坊な男で やたらとイカツやつだったんですが
こいつが号泣なんですよ。さすがにこれはツラかった。
それまで まったく普通の会話で 何でもなかったのに 振り返るとボロボロ。
で もっとツラいのは 列車に乗った後。向うは大勢。こっちは一人。
動き出す列車の窓を見ながら 涙こらえるのに必死ですよ。
そんな思い出も 今は遠い昔で。
その場面をオーバーラップさせて「卒業」を書きました。
そして no.29の手紙。これもタクをモデルにしてますが テーマを重視しました。
ちょうどその頃 子供のサッカーを題材にしてアレコレ言うのはどうか?
と疑問視する声がありまして。 確かに ヘンな期待感や注目を負わせるのは
いかがなものだろう という気持ちもありました。
その他にも色々思うことがあって もう彼らを題材にした話しはやめよう と思い
花道を書いた次第です。
テーマとしては 舞台を降りる時 みたいなもので
どんな職業・事柄であっても いずれ終わりが来る。
それを予感した時 もしくは終わる時 どんな気持ちで臨めばいいのだろうか
そんなことを考えながら 書いていました。
タクのように 晴れやかな気持ちで降りられれば それは素晴らしいことだろうなと
ただ そうなるにしても 友達や 母親や いろんな人からの支えがあったわけで
振り返ったときに 分かる事なんだろうなと思います。
いずれにしても タクとショウを題材にするのはこれでやめます。
ただ また違った題材を探し出すかもしれませんが。