「G+(ジータス)」っていうチャンネルをご存知ですか?
これJ:COMやスカパーなんかでも見れるチャンネルの1つなんですけど
日テレ系のスポーツチャンネル。 G+のジーはジャイアンツのG。
基本はジャイアンツ専門チャンネルです。
プロ野球シーズン中なら巨人の試合を全部流す。
それも試合前の練習から延々と流す。
もっと凄いのはシーズンオフ。キャンプの模様を流す。これは凄い。
バッティング練習なんかを 固定式カメラで延々と撮り続けてるんですよ
テレビを見てる人は 「お!今 良い打球飛んだな」 とか見るんでしょうかね。
(まぁコンサのキャンプなら確実に見ますが。録画しても見ますが。)
と そんなチャンネルです。
わたくし 蹴馬鹿としては
回線をぶっ千切ってでも見たくないチャンネルですが
そこは日テレ系のスポーツチャンネル。あるんですよ サッカーのお宝が。
日テレとサッカー。 と言えば 「高校選手権」 と 「TOYOTAカップ」
まだJリーグもない。サッカーの話題もない頃から 唯一流されてきたサッカー。
それがNHKの天皇杯・W杯。日テレの選手権・TOYOTAカップです。
今なら欧州サッカーを見ることも ごくごく普通のことなんですが
ひと昔前は欧州の選手のプレイなんて まず見る機会がない。
まして本気で臨む試合を丸々見れるなんて 他になかったですから
この日テレで流される試合 毎年ありがたく見てた次第です。
でまたこのG+。12月からは高校選手権 各地区予選決勝と
TOYOTAカップ 歴代の試合を一挙放送していると言う 豪華2本立てです。
お宝の映像を蔵から引っ張り出す 年に1度 恒例の祭りが開催されてます。
(ん?何か宣伝のようになってる… 決して回し者ではありませんよ)
でまたTOYOTAカップ。これが凄い。
第1回から去年の第25回まで 流れてるからたまったもんじゃない。
あのプラティニの寝転んだポーズで伝説となった 第6回大会。
黄金のオランダトリオ フリット・ライカールト・ファンバステンの第11回大会。
数え上げたらキリがないほど 伝説の試合ばかりです。
さすがに全部見るのは不可能で 時間の許す限りつまんで見てますが
こういったクラシカルな試合を見ることも たまには良いですね。
当時のサッカーがどうだったか また当時の思い出などと重ね合わせたり
サッカーを見るってことだけじゃない楽しさがあります。
先日見たのは第11回のACミランVSオリンピアの試合。15年の前のもの。
ミランにはオランダトリオの他 マルディーニ・コスタクルタもいて
この2人が今も現役なのには驚いたり あのバレージのプレイが見れたり
解説・松本育夫&
ゲストがカズだったり と豪華キャストにクラクラです。
15年前って言えばまだJリーグもなく カズもブラジルから帰ったばかりの頃
おそらく無名に近かったと思います
そんなカズをゲストコメンテーターとして呼ぶんですが
ミラン圧倒的有利の試合 南米贔屓のカズはコメントする場面がありません
というか憮然として 時々聞かれる質問に答えるだけ
それでも南米・オリンピアが良い攻撃をした時だけ「おおー」と唸ります。
そんなふうにピッチ内外で 随分と楽しめた試合でした。
こうして何年も経って もう一度見た時 良い思い出というか
「凄いものを見てたんだな」と振り返ることができるんでしょうね。
で このTOYOTAカップが昨年で終わりました。
今年からは世界6大陸のチャンピオンチームが参加する大会になり
その名称も
FIFAワールドクラブチャンピオンシップ
トヨタカップジャパン 2005
とまぁ長ったらしいのに変わり アナウンスも大変だろうなと余計な心配をしてます。
大会の歴史を調べると その起源は50年も前まで遡るようです
第二次世界大戦後 比較的被害の少なかった欧州と南米では
サッカーが盛んになり 人々の心に活力と潤いを与えたとか。
そんな中 1958年。W杯スウェーデン大会が開催され ブラジルが優勝します
これにプライドを傷つけられたのが 欧州。
「うちの方が強いよ」「いやオラの方が一番だべ」
そんな言い争いがあったかどうかは定かでないですが
「じゃ クラブチームで一番を決めようじゃないの」
と言ったのが レアル・マドリード会長のサンチャゴ・ベルナベウ氏
これによって1960年 インターコンチネンタルカップが始まります。
この辺り いい大人が何やってんの?と思いますが ま 分からなくもないですね。
サッカーの場合 クラブチームにしても 国代表にしても
妙にプライドとか 威信とか掛かってくる。すぐムキになるんですね。分かります。
で この南米代表VS欧州代表のインターコンチネンタルカップ
始まったはいいんですが どんどん加熱して 暴動も起こる。
あんまりにも危ないって言うんで 欧州側に棄権するチームが出てくる
終いには大会自体が中止された年もあって 継続が危ぶまれるようになります
そこで名乗りを挙げたのが 日本。
中立の立場として開催されるようになりました。
それが「TOYOTAカップ」の始まりです。
いつ頃からだったでしょうか この大会を知ったのは。
最初 日本で世界一を決める?そんなことあるわけない。と思ってました。
日本自体サッカーがマイナーなスポーツだったし
W杯は 出場も開催も夢のまた夢。そんな国ですからね。
もしやったとしても ガチンコなわけない。観光とか金とか そんなところでしょ。
と ちょっと斜に見てましたが どうも本気っぽい。
勝利したチームには号泣する選手がいたりして だんだんと見方を変えました。
確かに何十年も歴史のある大会
そう軽い気持ちで臨むわけにはいかないでしょうね。
あ これ マジなんだ。 そう気付くのに何年か掛かりました。
過去の「TOYOTAカップ」を見るにつれ
この大会の偉大さを痛感しています。
デルピエロの左45度。リケルメのフリーキック。ロベカルのシュート。
最高のプレイヤーたちが 最高のプレイを見せるため 日本に来ました。
そして目指すは ただひとつ。
地球一。
FIFAワールドクラブチャンピオンシップ
トヨタカップジャパン 2005
もしかすると この大会が そして その中のどれかの試合が
いつまでも語り継がれる 伝説となるかもしれない。
そのキャッチコピーに期待します。
地球一のサッカーを見よう。