あれは10年前の秋。96年9月。
コンサドーレのアウェイ・神戸戦へ行く機内誌に
「前園真聖vs中田英寿」 の対談があった。
当時 あの“マイアミの奇跡”を起こした アトランタ五輪の2ヵ月後
日本は前園という新しいスターを作り出そうとしていた
CMやテレビ 雑誌など 至るところで前園を目にする
そのスターの影で つねに引き立て役になっていた中田英寿
今となっては日と影の関係が逆になってしまったが
プロ1年目の中田と 3年目の前園。 プレーを見ても キャリアを見ても
前園が上になるのは ごく自然なことだった。
機内誌の対談には2人の将来について語られていた。
この19歳の若造 中田英寿の言葉を鮮明に覚えている。
「なるべく早く 海外に行きたい 欧州に」
当時 カズがジェノバへ行って 夢破れて帰ってきた頃
日本人トップであるカズでさえ 通用しないことが見えていたのだが
前園も中田も 海外への移籍を熱く語っていた。
「スペインがいい 攻撃的で できればバルセロナで」
今の中田なら バルセロナでプレーする事は 有り得ない話しではない。
ただ当時 どれほどのスーパープレイヤーであっても
日本人がバルセロナでプレーする事など 考えられないことだった。
「口のデカいヤツだな」と この無鉄砲な小僧を笑った。
「プレイヤーとして必要とされて行きたい」
中田の言葉を読み進めるうち 本気であることを感じた。
19歳の まだプロの水にも慣れてない若造の
前園の影にいる この選手が 本気で海外を望んでいる
「日本は変わって行くんだろうな」 中田の言葉にそう感じた。
「ちゃんと望まれて ちゃんとギャラを貰って プレーしたい」
海外移籍に対する思いを 夢や箔のためではなく
現実として目標を持っていた 闇雲な夢を語っているわけではなかった
確かに 当時 アトランタメンバーの多くは「海外でプレーしたい」と言い切っていた。
また 中田の言う「認められて行きたい」と言うのは カズに対する皮肉にも思えた。
いや カズ本人に対してではないのだが カズを取り巻く日本への皮肉
日本マネーの期待でしか選手を獲らない という環境を変えたかったのではないか
高校出立ての 社会の右も左も分からないような小僧が抱いていたのは
夢や希望ではなく 「野望」に思えた。日本を根こそぎ変える野望。
正直なところ このインタビューを読んでも 実現できると思っていなかった。
日本人が 欧州で 選手として認められて プレーする
10年前の当時 日本では考えられないような夢物語だった。
だが 中田英寿は全て叶えた。
自分で語った言葉を ひとつひとつ実現してしていった。
中田を見るたび あの機内誌の言葉を思い出していた
そして あの19歳の決意を ひとつひとつ実現して行く様に
驚きと 強さと 羨望を 感じていた。
孤高は終焉した。
この10年 中田は何を思って進んだのだろうか?
自身も含め 日本の不甲斐なさか?それとも今の精一杯か?
その真意は誰にも分かるはずもないが
あの最後の試合となったブラジル戦後 ずっとひた隠しにしていた素顔が
あの穏やかな顔が 全てを物語っていたような気がする。
独り決意し 独り戦い 独り叶えた。
残念な事に W杯で手渡されなかったバトンを 必ずや受け継いでほしい。
そして中田英寿を礎として 次の人間がより強い日本を作ってほしい。
素質や体格に恵まれたわけじゃなく 人並みな資質ながらも
常にチャレンジし続けた人間を 正しい礎としなければならないのだ。
機内誌の対談には こうも書かれていた。
「サッカーは職業として 生活をする金を生むためにやってます
だから30才位には引退して 次の金を稼ぐ方法を見つけます」
目標を次々と実現する姿を見ながら
この言葉も実現されるのだろうと思っていた。
中田英寿 29歳
19歳の決意は 全て実現し
今 孤高は終焉した。