久しぶりに本を読んだ。
いや 「久しぶり」なんてものではない。
もう何年も 小説どころか雑誌さえ読んでいない
己が書く物はどんなに長くなろうと気にならないが
他人の書いた物は 余程じゃない限り読む気にならない。
要するに 活字が嫌いなのだ。
そんな自分が 「絶対読みたい」と思った本がある。
昨年末に出版され 一部「よっぽどな人」の間で 話題騒然となった本
「野洲スタイル」
一昨日 買って 一気に読んだ。 面白かった。
この本に興味を持ったのは 昨年選手権を優勝した野洲高校を
題材にしていたからだが それ以上に興味を持ったのは
この本の著者 山本監督の「人となり」についてだった。
昨年1月 選手権準決勝 野洲vs多々良の試合を見て
両チームのクオリティの高さに驚愕した。
既存の選手権を勝ち抜くスタイルとは違う 華麗なドリブルと魅力的なパス
攻守が複雑に絡み合う中 繋ぎ 美しさを持ったゴール
サッカーの面白さの本質的なものが その試合 両チームにあった。
そして次の決勝戦。柔の野洲と剛の鹿児実。
対戦図として これほど面白いものはない。
そして 結果は野洲に軍配が上がった。
その決勝点は 美しく 華麗に 「野洲スタイル」 そのものだった。
野洲高の優勝は 驚きと興奮とを伴い それと同時に
「どんな人が このチームを作り上げたのか?」
その興味が一気に湧いた。
1年前の今ごろ 少ない情報の中 調べ回り 興奮のままブログに書いた。
そして調べれば調べるほど 不思議さと達成した偉業を 大きく感じていた。
「野洲高優勝」は あらゆる面で私に衝撃を与えていたのだ。
たとえ夢のような目標でも 叶うと信じることができなければ
チャンスはやってこない。チャンスが来ても それをつかめない。
叶うと信じなければ そのための地道な努力も続かない。
誰に笑われても 自分だけは自分の可能性を信じるべきだ。
山本佳司
「野洲スタイル」の中の一節。
僅か9年前 部員12人だった野洲高サッカー部
その時既に「高校サッカーを変える」という夢 いや野望を持っていたと言う。
少しづつ部員が増え やがて県内強豪校に
そして02年 選手権 全国大会に初出場を果した。
この時のキャプテンで中井という選手の事をよく覚えている
小柄ながらテクニックがあり 精神力が強かった
卒業後はJリーガーになったが 今は社会人リーグでプレーしている。
初出場の野洲はベスト8になり 中井をJリーグへと輩出した。
部員12名の無名校から 僅か5年の出来事だった。
そして その4年後。
FW青木 MF乾を擁した野洲高は 選手権制覇という偉業を果す。
自分の可能性を信じ続けたからこその 結果だった。
自分が選手たちにそう指導し 自らも夢に向かう情熱を持ち続ける。
それが一番の指導ではないだろうか。
野洲高校監督 山本佳司 43歳
その「人となり」は 昨年調べた時に少し分かった
サッカー経験のない監督。ドイツに留学し その時 サッカーに魅了された
日本に戻り 教師を務めながら サッカー部監督を始める。
そして 地元クラブチーム・セゾンFCとのパイプを深める。
ここまでは調べた時に分かっていたが 全てが究明されたわけではなかった
情熱は分かる ネットワークを作るのが上手いのも分かる
だが それだけで全国制覇まで行きつけるほど サッカーは甘くないはず
その裏側に何があるのか 本を読み進め探った。
まず「情熱」
レスリング部出身の山本氏が なぜそれほどサッカーにのめり込んだのか?
その答えは ドイツにあった。日体大卒業後 交換留学生として行った
「ドイツ・ケルン体育大学」
そこで同じく日本から学びに来ていたのが 田嶋幸三・風間八宏・足達勇輔氏
皆サッカーの勉強 及び 監督資格を取得しに来ていたのだ
身の回りの人が皆 サッカー関係者だったことから 必然的に興味を持った。
更にケルン大学の目の前は 1FCケルンのホームスタジアムで
試合のある日は 街中が機能しなくなるほどサッカー熱が高かったと言う。
そういった環境の中で 次第に魅了され のめり込んで行った。
自然と言えば 自然な流れではないだろうか。
自分の回りが サッカーに情熱を燃やす人ばかり それも本気の情熱
それも本場ドイツでだ。普通に暮していてもサッカーが身近になる。
サッカーに魅了され 情熱に触発され のめり込んで行ったのだろう。
もう一つ。蛇足になるのだが。
「ケルン体育大学」と聞いて つい最近 どこかで聞いた記憶があった。
三浦新監督 この人もまたケルン体育大学で学んでいた。
山本監督と三浦監督は同い年だが 留学した年は違っていて一緒ではなかった
サッカー未経験の山本氏と 学生時代目立った活躍のない三浦氏
少しばかり立場が似ている。両者ともプレイヤーの延長としてではなく
プロのコーチ業としてのサッカーを この大学で学んだのではないだろうか。
実際 ケルン体育大学には「部活動」なく あくまでもスポーツ学を学ぶ所だった。
山本氏は ドイツでスポーツ学を学び 日本へ戻る
地元滋賀・水口東高校で教師とサッカー部監督になった。
その時 日本の高校サッカーを見て 愕然としたと言う。
あまりもドイツで見た 「あの魅了されたサッカーと違う」ことに。
だからこそ なおの事 情熱が沸いたのではないだろうか。
魅力あるサッカー 魅力ある選手
それこそが 山本監督の「夢」である。
勝つ事が 強い事が サッカーの楽しさではない。
見てて楽しいもの やってて楽しいもの 魅了されてこそ サッカーなのだ。
ドイツで見た 誰もが熱狂するサッカーを 見たい。
今ここにないなら 自分で作り出すしかない。
そんな気持ちの原点が 読み取れた。
ではいったい どんな「方法」で 選手権優勝まで導いたのか?
ドイツで衝撃を受けたサッカー それと日本のサッカーにある大きな はざ間
それを埋めるべくして行なったのが 「ネットワーク作り」ではないだろうか。
自分がプレーで教えられない分 あらゆる所へ出向き 繋がりを作った
本に書かれていた 静学・セゾンFCの他 読売ユースにも衝撃を受けたとある。
これらのチームが 山本氏の理想とするスタイルを実践していたのだ。
先の田嶋氏 風間氏との繋がりも疎遠にしなかったはずだ
そうして 自分の理想とするあらゆる人・サッカーを吸収しつつ
ネットワークを広げていった。そして一番の成果が
セゾンFC・岩谷氏との繋がりだったのではないだろうか。
本には「セゾンFCとの出会いはターニングポイントだった」と書かれている。
セゾンFCから預かった(「預かった」と書かれてる辺りに尊敬と遠慮を感じる)
前田雅文・田中大輔を見て 岩谷氏の凄さを感じたとある。
地元の選手を地元の高校へ そうして他県への流出を防ぎ 自前で強くする
セゾンFCと野洲高校の結びつきは 色んな意味で大きなものとなった。
こうしたネットワーク作りの上手さこそが 山本監督の能力ではないだろうか。
ただネットワークは あくまでも方法であり 手段なのだ。
その根底にある 「魅力的なサッカーを作りたい」という情熱こそが
山本監督をつき動かしている力なのだ。
「野洲スタイル」という本を読んで その事がよく分かった。
残念ながら 野洲高校の連覇はならなかった。
だが「選手権が全てではない 高校サッカーで燃え尽きてはいけない」と
語る 山本監督。その「夢」や「野望」こそ 燃え尽きていないのだろう。
今年 マリノスへ入団した乾を見ながら 野洲の「夢」を重ねていきたい。
昨年は
「野洲に始まり 中のW杯 最後にちょっとコンサドーレ」
という1年だった。
それほどまでに熱くさせた野洲高校。そして監督。
山本佳司という同世代の人物が成したもの これから成そうとするもの
あらゆることに共感している。
そしてセゾンFCの岩谷監督 この人もまた興味深い。
もっともっと知りたいことはあるが 練習も試合も見れない距離間では
こうした本やネットでの情報だけが頼りになる。
久しぶりに活字を追ったが 面白かった。
「野洲スタイル」 まだ買ってない“よっぽどな人”は
ぜひぜひ読んでみるべきだ。
「誰に笑われても 自分だけは自分の可能性を信じるべきだ」
40男が 臆面もなく語る「夢」という言葉。
そして成し遂げたもの。
その裏側が 僅かながら見えてくる。