昨日 スポーツ記事について取り上げたが 今日 またも驚きの記事を見つけた。
それはまさに「スクープ!」としか言い様のない記事
Sの真実をまた一つ暴(あば)いた驚きの内容が記されていた。
その記事が
これ
これはまさしくスクープである。
この記事でカンナバーロは自信をなくし プジョルは引退を仄(ほの)めかすだろう
それ程までに世界を震撼させる記事と言って過言ではない。
「この記事のどこが?」と思われる方もいるだろう がしかし よく読んで頂きたい。
文中には 「曽田雄志がオフを利用して熊本城を見学した」となっている
問題は その後の一節だ
高所恐怖症ながらも 地上60メートルの天守閣で自身のプレーをイメージし
となっている。これは衝撃の事実である。
この1行に 曽田雄志の また新たなる真実が語られているのだ。
「高所恐怖症」 これは別に不思議ではない。
曽田雄志とて 元を辿れば人である。全てを超越した者ではないだろう
好き嫌いもあれば 苦手なこともある。まして高所恐怖症ぐらい あって当然だ。
本当の衝撃は その次に書かれている事ではないだろうか。
60メートルの天守閣で自身のプレーをイメージ
この1行を よくよく理解してもらいたい。
一瞬 「その場所で考えただけちゃうの?」と流してしまいそうな文章である。
だが違う。曽田雄志に限って言えば この文章がこう受け取れるのだ。
60mの高さで 自分がプレーする
まさか とお思いでしょう。だが記事の対照が曽田雄志である。
そこの所をよくよく踏まえ考えてもらいたい。
どうだろう 「まさか」と思いつつも 「もしや」とならないだろうか。
曽田雄志なら有り得るのだ。
もしもこれが事実なら 60mの跳躍力なのだ。やはり人を超越している。
いや 今までも確かに 天空の覇者だった。事実 昨年フクアリで見せた
曽田雄志のオーバーヘッドは遥か高く天に届かんばかりだった
だが それは私の想像の世界が少し加味されているはずだ
あの時 飛んだのはせいぜい47~8mである。
いくら曽田雄志と言えど 50mが限界だろうと思っていたのだ。
だが違う。曽田雄志は私の想像を遥かに越えた超人 いや鳥人である。
曽田雄志に対する限界点を甘く見ていた私のミスである。
地上60mでイメージする自分のプレー。
そんな事を考える人間は 曽田雄志をおいて他に居ない。いるわけがない。
この事実を知れば カンナバーロもプジョルも自信をなくしてしまうだろう。
この記事は そういったことにも気使ってか 衝撃の事実の部分を
オブラートで包んである。それが 前に書いてある
「高所恐怖症」 である。
曽田雄志が高所恐怖症 となれば 誰もがそこへ気が行く
「ああ…そうだったのか 曽田は高所恐怖症だったのか」と思う人もいれば
「にもかかわらず あんなに高く飛んでいたんだ」と感心する人もいる
または 「じゃ 自分で飛んで 自分でビビるのか?」と妄想を膨らませる人もいる
高所恐怖症というキーワードに多くの人間が喰いつくという現象が起きるのだ。
だが 本当のスクープは その後に隠された一文なのである
言うなれば 「高所恐怖症」は
カモフラージュ用の単語
真実を書きながら さり気なく隠す そこにこそスクープがあるのだ。
「曽田雄志の60m跳躍」 が世に広まれば あらゆる所に影響を及ぼすだろう
だからこそ カンナバーロへの配慮と「高所恐怖症」のカモフラージュがある。
実に用意周到な記事ではないだろうか。
これも全て曽田雄志自身が書いたシナリオだろう
事実を発表しながら 配慮も忘れない。完璧な記事になっている。
私は この記事を読んで 驚きと共に感動した。さすがだ 曽田雄志 と。
最後に。 この記事の中で どうしても疑問に思った事がある。
それは「なぜ熊本城だったのか?」と言う事だ。
他にも己の高さを誇示できるものはたくさんあったはずだ
それを なぜ熊本城で表現したのか?それがどうしても気になった
そして考えた。あらゆる資料に目を通し ひとつ導き出した答えがある。
札幌ドーム ピッチから天井までの高さ 約60m
これではないだろうか。
自分の身体能力と同じ高さ。
間違いない。
曽田雄志の守備範囲はドームの天井まで。
そういうことなのだ。
そして彼が 取材陣を引き連れ 熊本城まで行かせた理由は
何よりも訴えたかったことは
ただ一つ
シュュュューーー
ガッツーン!
ぼく 天井に あたま つくよ!
ただこれだけなのだ。
また一つベールを脱いだ曽田雄志
3月10日は 世界を驚かせるに違いない。
期待しよう ドーム開幕戦を。
そしてドーム関係者は 今すぐ 天井の補強を!