昨日 夜中に太目が冷めた いや フッと目が覚めた。
で 何気にJCOM・TVを見たら G+(ジータス)で「99コパ・アメリカ」の
日本vsペルー戦を再放送してました 「懐かしいなー」と思いつつも
大した見るべきところもないんで 映画チャンネルに替えて
しばらくしてもう1回 G+に替えたところ 今度は同大会のパラグアイ戦
「99 コパ・アメリカ 日本vsパラグアイ戦」 と言えば
吉原宏太 日本代表初出場の試合
これは見ない手はない。
時計は「午前4時」を指していましたが 見ましたよ。最後まで。
見始めたのがちょうど後半からだったんで 「いつ出るか?」と
真剣に見入ってたんですが 吉原の登場の前に 試合の方がヒドかった
前半すでに2点を取られて 後半も立ち上がりからガタガタ。
この大会パラグアイが開催国で モチベーションが非常に高かったのは事実ですが
日本代表の戦い方がまーブザマで 攻守共にお粗末な出来でした
過去の試合 それもヒドい内容とあっては
もう吉原のプレーしか見るべきものはない しかも明け方の午前4時
「早く コータ 出ねぇかなー」 それしかなかったですよ。
で 3点目を取られた直後 後半20分ごろ 出てきました 吉原宏太が。
思えば 初芝橋本高校という 全国ではそう強豪校ではない所から
選手権で活躍し 札幌のオファーを受けた選手
当時はJリーグブームもまだ加熱中で しかもユースもまだ不十分な時代
高校選手権は格好のスカウト場でした 実際 全国出場チームには
かなりな数の 「J内定者」 がいて それ以外でも スカウトの目に掛かろうと
必死にアピールする選手が多くいました
吉原宏太も選手権前はオファーを受けてなく アピール組の方だったはずで
試合後のインタビューでは
「まだ就職 決まってません!Jリーグの皆さん よろしくお願いします!」
と 叫んでたような記憶があります。
確か 選手権ダイジェストか何かで取り上げたんでしょうけども
そのインタビューを聞きながら 「こういう高校生も出てきたか…」と
まー明るいっちゃー明るいが ちょっと呆れた感じも持ったんですが
その彼にオファーしたのが コンサドーレですからね。
当時は あの
「バカ!バカ!」連発な人も含めて
サプライズ・オファーとでも言いましょうか 結構 馬鹿っ気のある人事でしたね。
で この屈託のない吉原宏太君 入団してみると そこそこやるときた
技術はそんなにないものの スピードや意欲といったものが高く
記念すべきチーム初のゴールは 96年開幕戦 彼が挙げました。
しかも顔立ちは どことなく気品ある王室顔なもんだから
一気に「コータ君フィーバー」が到来したわけだ
ただ 当時 本人はそういったアイドル的な扱いに戸惑っていたようで
プライベートまでに及ぶフィーバー振りには困惑していましたね。
そんな彼が 着実に能力を伸ばしつつ 99年五輪代表に初選出されると
一気に開花というか プレーのキレはもう神ががってました
五輪アジア一次予選を4試合で7得点 その勢いのまま
とうとう ついに 待ちに待った フル代表選出
そしてパラグアイ戦 後半20分 城との交代で入る 背番号9をつけた男
吉原宏太の登場!
もう何年も前の映像なんですけどね 嬉しかったですね
時計は午前4時半近かったけども その時ばかりは眠さも吹っ飛びました。
吉原がピッチに入る時 所属の所に「コンサドーレ札幌」と入っていて
フル代表では 後にも先にもこの時だけですからね。
しかも生え抜きの選手。やっぱり栄光ですよ。輝かしい栄光。
ただ プレーの方はチーム全体も 吉原個人も 今ひとつ
あの五輪予選で見せたキレには程遠い出来でした。
まぁパラグアイのモチベーションや 日本代表の全体の悪さもありましたし
吉原自身 五輪予選から直で地球の反対側パラグアイに飛び 即 試合
超ハードなスケジュールで出場という ちょっと気の毒な状態でしたから
その辺は 多少 差し引いてあげてもいいんじゃないかと思います。
それと 本人には当時 いろいろと苦悩があったんじゃないか と。
代表での活躍とコンサドーレでの居場所 気持ちの温度差
いろんな面で歪(ひずみ)があったような気がします。
このパラグアイ戦のプレーでも 思うように行かないジレンマが見えて
当時の状態と重なって見えたような …まぁ 憶測ですけどね。
あれきりコンサドーレからフル代表は選出されてませんが
今いる選手たちから また選ばれるようになって欲しいと切に願いますね。
吉原の代表選出だけを過去の栄光にしないで
もっともっと貪欲に 目立てる場所に行けるように
個人の活躍が ひいてはチームの勢いに繋がるように
そう思った 2月の明け方でした。