そのフリーキックは まさに魔球だった。
昨日 五輪アジア2次予選 対香港戦があった。
試合は見てないが ニュース映像で流された本田圭佑のFKは まさに魔球。
強いインパクトで蹴られたボールは 一度 右に軌道を描きながら 次の瞬間
左へと方向を変えた。香港GKはなす術もなく ただ見送るだけだった。
あんな見事なブレ球 いや魔球 は見たことがない。
その時 本田圭佑の伝説が生まれた。
本田圭佑を最初に見たのは 彼が星陵高校 2年の時。
jcomチャンネルのG+で放送された “高校選手権・県予選決勝” だった。
全国大会なら正月に見ることができるが 県大会・決勝戦となると その地域に
住んでなければ 見るチャンスなどない試合である。そんなお宝映像だったのだ。
とは言え 石川県に注目してたわけじゃなく どんな選手がいるかも知らなかったが
解説によると エースの豊田(現・山形)が グランパスに内定してるとの事で
豊田を中心に その試合を見ていた。
だが 試合が始まると どうもその豊田が目に入って来ない。
悪いわけじゃないが 常に目立つ存在じゃなかったのだ。いや厳密に言うと
豊田がどうと言うより 豊田よりもっと 圧倒的な存在感も持つ選手がいたのだ。
それが 当時 星陵2年の本田圭佑だった。
10番を背負い。チームを背負い。先輩の大エースまでも足先で動かしていた。
「なんちゅう 生意気な選手だ」 そう思うも それだけの技術も精神力も持ち合せた
素晴らしい選手だった。試合を見る中心を決めてからは ずっと本田圭けを見た。
そして 見れば見るほど 魅力的な選手だった。
ボールを持てば常に何か仕掛ける アイデア。
それを具現化する テクニック。
大きなプレッシャーの中でも 大胆な事が出来る精神力。
どれを取っても あまりにも強く あまりにも魅力的な
そして プロ向きな選手だった。 とにかくシビれた。シビれきった。
こいつは すぐに出てくる。
それは予感と言うより 確信に近かった本田圭佑の活躍。
あれから3年半。 とうとう昨日 魔球と言う伝説を作り上げた。
だが その伝説も まだ序章に過ぎない。
これからも多くの人に 衝撃と感動を与え続けるだろう。
その左足で そのクソ度胸で 日本の何かを変えていくだろう。
そんな確信がある。だがまだ序章に過ぎない。
本田圭佑の伝説は これからである。
【ここで問題】
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それはどこでしょうか?