アジア杯 イラクの初優勝で幕を閉じた。
サウジは強かった。 屈強なDF。ブラジル人のようなFW 9番。
一瞬の隙も見逃さないカウンターの強さを持っていた。
だが イラクはその上を行く強さだった。90分 最後の最後まで集中し 走り 守った。
タフなゲームを制したのは タフなチームだった。
常々サッカーに対して思う事がある。
「サッカーは スポーツなのか?戦いなのか?」 という疑問
大前提は「スポーツであること」だが それが「プロの試合ならばどうなのか?」 と。
個人的には 「スポーツという前提」があって その上に「戦い」があって
その更に上に 「エンターテイメント」 というのがプロの試合だと思っている。
「観客を魅了してこそ 興行の価値がある」 というのが自論なのだ。
だが それも カテゴリーによって多少 認識も変って来る
例えば コンサドーレを中心に見た場合 J1の試合はパフォーマンスとして
「面白い試合」を望むが 優勝が絡んだ試合は 「戦い」 を見たいと思っている。
またチーム自体も「優勝や昇格を狙うチーム」と「チーム作りが重点のチーム」では
その据え所も 若干 違うのではないだろうか。
前者ならば 「常に戦い」 後者ならば 「ベストゲームを目指す」 のような。
無論 どのチームも どんな試合も 勝つために全力を尽くしているのだろうが
根底の部分で どちらに比重を置いているか は各チームにあると思う。
チーム作りが重点のチームは 「スポーツ」としてチーム能力を上げるトレーニング
優勝や昇格を狙うチームは 常に「戦い」に重点を置いたゲーム を
主目的としているのではないか と思っている。
これらの事を 日本代表に当てはめてみると。
W杯が終り 監督が代って暫くの期間は トレーニングと位置づけていいだろうし
1年ほどは真剣勝負の場もないため 結果に拘る必要もない。
ただ 今回のアジア杯のように 例年より1年早い開催とは言え
国際大会の真剣勝負 まして2大会連続優勝を飾っているのだから
この大会を 「トレーニング」と位置づけるわけにはいかないのだ。
重要なのは 選手もコーチも 「戦いとして捉えていたか どうか」
それは 勝ち負けの結果よりも 重要なことに思える。
今大会の日本代表に 「戦い」の意識が見られただろうか。
その疑問がある。
スポーツとしてのサッカーは良いものになって来た。
だが 今大会で それを望んではいなかった。
90分間 常に「勝つためだけ」のサッカーを望んでいた。
真剣勝負とは そういうものではないだろうか。
また 今大会 対戦相手に 「戦うチーム」が多かったのも 比較させた理由だ。
オーストラリア。1人少ない状況でも キューウェルはやるべきことをやっていた。
サウジアラビア。GKが時間稼ぎで波を消す。試合巧者はサウジだった。
韓国。同じく1人少なくなっても 彼らは戦い切った。
これらの 「戦うチームに 戦えなかった」のが 今回の結果だったように思う。
その象徴的だったのが 3位決定戦のPK戦。
ホンミョンボコーチ 「制裁覚悟」の気迫 と ロッカーに下がるオシム
2人の差が スポーツか 戦いか の差に表れて見えた。
オシムに体の心配があるとしても そういった監督である事は事実で
戦えなかった日本代表 というのも事実なのだ。
強くなる手順はどの方法でも構わないが 「戦う事への意識」は
後から付くものではないように思う。特に代表は 「まずあって然るべき」 ものに思う。
今年 コンサドーレの試合に ストレスを感じないのも
「選手が戦う事を意識している」 からだ。
一番 大事と思われる部分で 彼らは 応えてくれている
個人能力が劣っても チーム力が劣っても 「戦う姿勢」 は最後まで見せている。
そこへの満足感は十分に与えられている それが今年のコンサドーレなのだ。
サッカーは スポーツか?戦いか?
どちらに重みを置くかは その時々のチーム状態で変ってもいい。
だが 真剣勝負の時だけは 「戦い」を優先させなければ 勝ちを掴む事などない。
それが出来ない選手は青を着てほしくない。それが出来ない監督も必要ない。
それが 「代表」 というものではないだろうか。
今日も日の当らない場所で ボールを蹴る選手がいる。
泥にまみれ 土で擦り剥き 草に滑り込む選手が 何万 何十万といる。
その頂点の僅かな人間だけが あの青のユニフォームを着る事が出来るのだ
それだけは 忘れないでほしい。
代表サッカーは 「戦ってこそのもの」 だと思っている。