反町康治 43歳。
五輪出場 そして日本の未来は この男が握っている。
先週末 突如 襲った オシムのニュース
元々心臓に不安を抱えていたため 「命がけ」 の代表監督就任ではあったが
こういった形で 退任の可能性が起こるのは 非常に残念なことに思う。
ただ 日本代表はそうも言ってられない。次の監督を選ばなければ進めないのだ。
確かオシム就任時の話しでは 「2年ほどオシムに その後 反町に」 という計画が
あったように思う。反町氏は五輪代表の監督を務めながら 同時にA代表のコーチ
としてオシムのサッカーを学んで 引き継ぐ という計画だと聞いていた。
それを聞いた時点では これまでのように 「行き当たりばったり」 な要請ではなく
「計画性としては悪くはない」 ぐらいに思っていた。
だが その後の反町監督の力量を見ていると 「代表監督には まだ力不足」 と
思わずにいられない。五輪予選の戦いを見ていても
今ひとつ 「チームをどうしたいのか?」 が見えてこないのだ。
当然 その後のA代表就任が含まれているのだから オシムの指針を取り入れ
なければならず 「反町康治」 としてのサッカーは二の次にしなければならない。
そういった足かせがあるのは事実だろうが 「それにしても」 な所がある。
例えば これまで多くの選手を五輪代表に呼んでいるが
その選考基準も今ひとつ見えてこない。札幌の石井もそうだが ちょっと呼んでは
みるものの定着はさせず かといって今だに 「軸となる選手」 も決まっていない。
五輪予選の始まった当初は平山を使い続け 成長を待つのかと思えば
今はベンチを温めるだけ。軸になる選手も キーになる選手も 決めずに
色んな意見を取り入れながら 結局 中途半端なチームになっているように思う。
また オシムの指針でもある 「考えて走るサッカー」 も出来てはいない。
先週末のベトナム戦もロング主体のサッカーだった。リスクの軽減は分かるが
土壇場だからこそ身に付くものもある。この時点で継承出来ないならば
本大会も同じロング主体のサッカーになるように思う。それでは意味がない。
その昔 日本のサッカーは 「オリンピックが全て」 だった。
W杯など 夢のまた夢。「出場したい」 などと口にすれば いい笑い者になったのだ。
釜本時代の銅メダルはさすがに覚えてないが その後の日本代表が
常に必死で目指したものは オリンピックであり そこが夢の舞台でもあったのだ。
それはアトランタから3大会連続出場中の今も変わりはない
日本の若年層世代は 確かに強くなったが 出場する難しさは変わるものではない。
風潮的に 「五輪は出場して当然」 のようなものがあるが それは違う
今日のようなシチュエーションで試合出来る事が 「賞賛に値する」 と言えるのだ。
ただし 日本代表における 「五輪代表の位置づけ」 が変わってきている。
以前は 「出場する事が全て」 だったが 五輪予選・本大会を戦うことで
「何を得られるか」 を重要視する時期になったのではないだろうか。
例えば 先日のACLのように クラブチームが強化され レッズが覇者となった
例えば A代表が3大会連続でW杯に出場出来るようになった
これらの事が 日本のサッカーとして重要視されるべきもので
ユース世代や五輪代表については 「強化」 の一環として位置づけられるものだろう
だからこそ 本大会出場が目的ではなく 「その過程にある戦い」 こそが
重要視されるべきものなのだ。結果ではなく 過程。それが五輪代表の目的である。
そう踏まえた上で 今回の五輪代表。
結果を重要視しているか 過程を重要視しているか そのどちらとも言えない。
それは代表監督一人の責任ではないが 「チーム作り」 と言う意味では
明確さが足りていない。前回の山本氏がそうだったように 迷走しているように思う。
アテネの時は 本大会に至っても迷走し 結果も得られず敗退した。
同じ轍を踏むような真似だけはしてほしくない
今 反町康治という男が成長しなくては 五輪代表は成長しない。
今 反町康治という男が成長しなくては 日本代表が迷走する。
そう思えるほど 反町康治は日本のキーマンなのだ。
反町康治 43歳。
同世代のこの男が日本の鍵を握っている。
「板ばさみ世代」 であり 「中間管理職」 的雰囲気も 実に日本人らしい。
その苦しさも その重さも そのやりがいも 何となく分かる。
ただ 今のままなら 「自分じゃなくてもいい」 のだ
自分にしか出来ない 自分だから出来たこと そういうものを求めてほしい。
お偉いさん方を 全部 敵に回してでも 「自分」 で戦ってほしい。
それが日本を救うことに繋がるはずだ。
今夜 行われるサウジとの決戦。
互いに出場権を賭けた戦いになる それは簡単なものではないと思う。
選手は自分らの持てる力の全てをぶつけなければならないし
監督に掛かる重圧も 相当なものに思える。
ただ 結果ではない。
五輪代表に 結果だけを求める時代は終わった。
自分が 自分として戦えたか どうか
それが与えられたテーマのように思う。
だからこそ 「脱皮」 が必要なのだ。
そのために そのためだけに 戦え ニッポン。
頑張れ 五輪代表。
頑張れ 反町康治。