何となく思う 「コンサドーレは 今 試されてるんじゃないか」 と。
世の中に起こる全ての出来事には 何らかの理由があって
例え偶然に思えることでも 「そうなるための理由がある」 と 思ってる。
だから コンサドーレが この2試合 すんなり昇格にならなかったのも
きっと何か理由があるんじゃないかと思った。
例えば 「試される」 と言うような。
2年前の10月 仙台へ行った。試合の後 仲間たちと牛タン屋へ入ったのだが
店に入るなり店員が 僕らの格好を見て 「コンサドーレの応援ですか?」 と聞いた
確かに仲間の何人かはレプリカを着てたのだが 急に聞かれたもので戸惑った。
聞くと その店員はベガルタを熱く応援してるらしく その日の試合も当然チェックを
入れてたと言う。当時 仙台は昇格争いギリギリの所にいて その日の札幌戦は
絶対に落とせない試合だった。が、結果は2-2の引分。ベガルタとしてみれば
「痛い結果」 と言わざるを得なかった。 店員は沈んだ表情で言った
「もう昇格は厳しいですよ・・・」
確かに その試合 ホームで勝点1しか取れなかったのは痛いだろう。
だが私は 「仙台 可能性がありますよ」 と言った。 それは社交辞令ではなく。
と言うのも その2試合ほど前の 仙台vs甲府の試合をテレビで見ていのだが
それが本当に良い試合だった。昇格争い最大のライバル 甲府との直接対決
このシチュエーションで 勝ったチームが 「昇格に値する」 と思ったのだ。
ベガルタは その激闘を1-0で見事に勝利した。
残念ながら その年 仙台は昇格しなかったが 「するための理由」 は存在した。
翻って 今年のコンサドーレに 「するための理由」 は存在するか と考えた。
いや 考えなくても 十分に 「昇格に値するチーム」 だと思っている。
あれだけ1試合1試合を 懸命に戦うチームは そうないと言っていい。
どんなチームも頑張っては いる。頑張っては いるが あれほど懸命なのは
コンサドーレが1番だろう。まぁ身びいきが かなり入っているだろうけど。
ただ 客観的に見ても あの戦力で ずっと首位をキープしているのは
能力や戦術を超えた所での力が大きいのは明白で そこに理由があるはずだ。
それが 「懸命な戦い」 と言う他 言葉が見つからないのだ。
だが ここに来ての 「すんなりと行かない理由」 それが何なのか知りたい。
チームの戦いとして 決して間違ってはいない だが足りない何かがある
だから この 「もたついた期間」 があるのではないだろうか。
思うに。
色んな時を経て 随分 ニガい想いもした。
それでも段階を一つ一つ昇って ここまで来た。
昇格する資格はある。
だが 「最後に もう一度 確認せよ」 と言っているのではないだろうか。
例えば コンサドーレのこれまでを振り返ったり
例えば 自分の応援を振り返ったり
それはセンチメンタルなものではなくて もっとシビアな反省みたいな
「自分は精一杯やっただろうか」 とか 「チームはどうだっただろうか」 とか
足りなければ 次の力へ変えなければならないし
精一杯だったなら 不安を覚えることなく 堂々と最終戦を待てばいい。
そういう事を作るための時間なのではないだろうか。
「昇格」 という存在をハッキリと前に置き 対峙して自分を省みる。
そのための時間なのではないだろうか と。
現実的に言えば 「省みて」 何かが変わるものでもない。
「反省しました だから 昇格できますよね」 なんて事はあり得ないわけだ。
もっとシビアに言えば まだ 昇格どころか 何も手に出来ず終わる可能性もある
そんな不安を持ちつつも 「待たなければならない」 と言う事実
それをどう自分の中で捉えるかが大切なんじゃないだろうか。
もし2節前 あの鳥栖戦の後 すんなり昇格が決まっていたら今の時間はなかった
勢いのまま 喜びだけがあり すでに来年の事を考えていたと思う。
だが3つ空いた この空白の時間が 何かのため必要だったのではないだろうか。
そういう疑問を持ってみてはいかがでしょうか。
チームは 昇格に値するか どうか。
自分の応援は 昇格に値したか どうか。
何かに 「試されている」 ような気がします。