おふくろ 俺も 「吾亦紅(われもこう)」 が沁みる歳になったよ。
「吾亦紅(われもこう)」 という歌をご存知だろうか。
ご存知もなにも たいそうヒットしてる曲だそうで ♪あなたに~ あなたに~♪の
“たに~”の所が印象的な曲だ。世のおじさん方は この曲を聴いて涙し
流れた涙で支笏湖の水位が上がった と聞く。それほど沁みる曲なのだ。
実のところ このオレ つい最近まで聞いた事がなかった
紅白に出たらしいが それも見る事はなく 一度 テレビでチラっと聞いただけで
その時の印象が 「これはダメだろ」 というものだった。ダメだろって意味も
悪いっちゅうわけじゃなく 「泣かされる」 と直感したわけで 何も自ら そういう方面の
感情に向う必要はない と出来るだけ避けるつもりでいた。
だが 先週末 カミさんとカラオケに行って 回避できない局面にぶち当たった
分厚い曲本を見ながら カミさんがこう言ったのだ 「あ この歌 今1位なんだ」 と。
“この歌”とは もちろん 「吾亦紅」 のこと。ちょっと嫌な予感はした。
「カラオケで号泣」 は一度 やっちまってるから それだけは避けたい。
でもちょっとは 聴いてみたい。そんな小舟のように揺れる心を カミさんは
問答無用なリクエストで送信がなされた。イントロが流れ 歌詞が画面に出る
「吾亦紅(われもこう)」
すぎもとまさと
♪ あなたに あなたに 謝りたくて
仕事に名を借りた ご無沙汰
あなたの あなたの 見せない疵(きず)が
身に沁みて行く やっと手が届く
ばか野郎と なじってくれよ
ダメだろ こういう詞は。完全に 「泣かせ」 に行ってるじゃねぇか。
だいたいにして こういう泣かせに行くものは好かん。
さだまさしにしても浅田次郎にしても クサく泣かせに行く そんな手に乗るか!
と思っても ダメだな。やっぱり沁みるものは 沁みる。
特に男は 母親の事となるとダメなのだ。
どんなに荒くれた野郎でも おふくろの事だけは弱い。あれは何だろうな。
偉大なんだよな おふくろって。夜なべして手袋編んだり 雨の降る日は傘になったり
そういう何つうか どうやったって逆らいようのない大きさがあるんだよなぁ。
男は12~13才ぐらいになると母親が ウザったくなって 何となく離れる
感性も違うし 細かい事も言うし 「オレに構うなよ」 みたいな感情が出てきて
それ以降 母親の事ってよく分らなくなる。拒否反応みたいなものだろうか。
で 逆に父親の方は 自分が働くようになって 社会人として自覚が出てきた頃
20代後半から30代半ばぐらいになると 父親の背中みたいなものが見えてきて
「ああ オヤジもこうやって来たんだな」 とか少し分るようになるわけだ。
そして母親の事が分る と言うか ちゃんと見られるようになるのは それ以降
30後半から40過てからかな。自分が家庭を持って 親になってたり カミさんを見て
初めて 母がどうあったかとか 母親の大きさとか 自分の母に対する想いとか
そういったものを感じれるようになるんじゃないだろうか。
だた 自覚した時には もう母親も年老いて 人によっちゃ もういなかったりして
何つうか やっぱり 「吾亦紅」 なんだよなぁ。ただ 謝りたいな と。
まぁ かあちゃんの話しは どうしてもしんみりしちゃうな。
最近 読んだブログで 「母」 を感じたものがあった。
それが 「しまふく寮通信」 りょうぼ。さんのブログ。
4月3日掲載の 「食べて休んで練習して。」 っていうエントリーで
その中の一行を読んで 「ああ これが母親の気持ちなんだな」 と思った
悔しくても 食べて 寝て、またがんばって。
こういう言葉があった。
この言葉は男の感性にはない と思う。悔しければ それだけで目一杯になって
飯に感情は行かない。だけど母親は違う。どんな時も飯を食わせる。
元気がなければ 力をつけるために。動きまわれば 「腹が減ってるでしょう」 と。
それが 母親 というものなのだろう。
りょうぼ。さんの一行には 母親が詰まっていた。
今は悔しくても 食べて 寝て そして力をつけて また頑張ればいいさ
そう言っているのだろう。そうして背中を少しだけ押しているのだろう。
そして思った
多分 自分もそうされて来たんだろうな と。
母親の感情というものを分りはしなかったが こうしてこの歳になると分って来る。
自分の気づかない所で 心配されてたり 励まされていたり
そうして何とか足元の道をよろよろと歩いて来たんだろうな と思ったりする。
でも その時は気づかないんだよ。
いちいち言ってくる事に腹が立ったり 何かと言えば 「飯食え」 だし
オレの好きなようにさせろ と思ってたよなぁ。
でも今となって分るのは それが母親ってもんなんだな とね。
どんな時も自分が台所に立って ちゃんと飯を食わせて 元気を出させる
それが かーちゃんなんだろうな。でまた それは母親が母親として
「自分の出来る応援」 なんだろうな。
りょうぼ。さんは 寮生の母親ではないけれど こうした母親の目を持ってて
自分の作るものに注いでいて 選手たちもそれなりに分る年でもあるし
今食べてる飯に 「頑張れ」 ってメッセージが詰まってる事も感じてる と思う。
そういう場があって良かったなと思いますよ 本当に。
そして 世のお母さんたち
自分の息子が反抗期で 「このガキャ!」 なんて思ったり 悩んだりしてる人も
いるでしょう。でも 少しかは分ってるんですよ 母の偉大さを。
でも照れくさくて そういう態度には出せないし 例え今はどうしようもなくても
いずれ必ず 感謝します あなたに。ずっと心にありますよ ありがとう と ごめん が。
だから安心してて下さい。
しまふく寮に感じる 母の目。
吾亦紅で沁みる おふくろの存在。
どちらも この年になって ようやく分ったこと。
おふくろはまだちゃんと生きてるから これから親孝行も出来るけど
照れくさくて やっぱり大した事は 出来ないだろうな。
でもさ 今度 会ったら ちゃんと飯 食うから
それで安心してくれるなら なんぼでも食うから
心配しないでくれよ。ごめんな。
おれ おふくろが少しだけ 分る歳になったよ。