あなたはスタジアムに行って 何を願いますか?
北海道の人は寒さに強いと思われがちだが とんでもない。
おそらく日本で最も寒さに弱い人間 いや正確には寒さに弱いと言うより
寒いのが嫌いな人間である。
現に冬の北海道に来た人なら分かると思うが 冬場の室内は26~7℃はある。
下手すると30℃ぐらいにする人もいる。真冬にTシャツと短パンでアイス!
これが “北海道の正しい冬” なのだ。 どうだマイったか 本州の人よ!
と そんな自慢はどうでもいいが ”道民は寒いのが嫌い” これは事実である。
だから冬は出来るだけ外に出ないようにするし 出るなら完全防寒で外出する
うっかり薄着などあり得ないのだ もしあった場合 それは即 死に直面するし
ちょっと道に迷ったぐらいでも -20℃の世界なら ”向こう側の案内人” が
軽く寄って来る 急いでウヨウヨ寄って来る。そして軽く連れてかれる。
そんな危険が この北の果て 北海道には日常的にあるのである。
あの時 オレたちは ”生きて 帰ろう” そう願った。
あれは忘れもしない 03年12月7日のことだ。
その日 室蘭入江競技場では天皇杯2回戦が行われた。
コンサドーレ札幌vs静岡産業大学。プロ対大学の対戦 力の差は歴然だったが
その年のコンサドーレは無残に崩壊し クラブもチームもサポーターも
全てがバラバラのボロボロになった年だった。
その前年のオフ 昇格の目標を明確に掲げ J2としては反則級の補強をした。
ホベルッチ ベット ウィルの豪華な加入と監督はジョアンカルロスが就任し
”昇格間違いなし” と謳われたが リーグが始まってみれば 全くの体たらく。
噛み合わないチーム&補強費に見合わない成績と 散々なシーズンを送り続け
まさに暗黒時代を漂わせていた。そんな時代にあって 心のよりどころとして
残されていたのが 天皇杯。 監督が代わろうと 外国人が全取っ代えだろうと
どんなに真っ暗闇だろうと僅かな光があれば そこへ向けエネルギーは保てる
この年の天皇杯は まさに ”唯一の希望” でもあった。
そんな失意と希望の1年が終わろうとする頃 天皇杯が近づいた。
”12月” の ”室蘭”である。室蘭入江競技場は その名の通り 入江にあるわけで
競技場のすぐ後ろは海である。となれば ”浜風” が吹く。その浜風が強烈で
春先や秋にここで試合をすると大体は凍(こご)える。寒いじゃなく凍える
そんな場所で ”12月に試合” なんて・・想像するだけでストーブを点けた。
そして迎えた試合当日。やや怯えながらも 決心した。室蘭へ行く!と。
天皇杯は我々に残された 唯一の希望。コンサドーレを応援する者として
ここは行くしかない そう決意し “ある程度の覚悟をもって” 室蘭へ向った。
友人Rと共に車を走らせ 僅かな光に向かって突き進んだ。
だが高速を走ってる途中 何か異変に気づいた 車が妙にフラつくのだ。
何となく 嫌な予感がした。すると友人Rが言う
「今日 風 凄いっすね」 と。
その日は室蘭方面は 突風が吹き荒れる最高の観戦日和だったのである。
それじゃなくても浜風にやられる入江。そこへ来て 更なる突風。
もはや ”ある程度の覚悟” じゃ全然 足りない事を予知した。それでも。
「スタジアムに着けば 風は止んでるんじゃないの」
そう言ってみた。それがただの強がりなのか もしくは単なる現実逃避なのか
自分でも分からないが そうでも言うしかなかったのだろう。
だが競技場に着いても その風は止む事はなく むしろ更に強さを増していた
“これはあかん 外に出たらあかん そんな予感” 道産子の血がラップ調に叫ぶ
だが 無情にも車は競技場の駐車場に着いた。ビュービューと風が鳴る。
少し小高い場所に車を止め 車内からグラウンドの様子を眺めた。
「へー ここからでも見えるんだ」 さり気なく言葉の中に安全策を提案した
がしかし その提案は無視された。そちゃそうだ ここまで来てスタジアムへ
行かないわけにはいかない 行くしかない!よし行こう と思った瞬間
ゴォォー またもや突風が吹いた。その音はまるで獣の雄叫びのようだった。
“やっぱりヤダ!車から出たくない!” 道産子の血が完全に警告音を発した。
だが時は残酷なもの 試合開始が刻一刻と近づく。
車内は無言のまま時は流れた。後は どっちが ”あの言葉” を言うかだった。
2人とも あの言葉だけは避けていた だが言わなければ 始まらない。
このままずっと車内に居るわけにはいかない。年上のオレが言うべきか?
それとも人として真っ当な友人Rが言うべきか?暗黙と沈黙が車内にあった
やはり ここは先輩のオレが言うべきだ そう決意し 思い切って言ってみた
「このまま ここ(車内)で見ますか?」と。
友人Rはハハハと乾いた笑いを向け そして言った
「じゃ 行きますか」
入江競技場には風を遮るものはなく 自分の身は自分で守るしかなかった。
ただメインスタンド中央には僅かな屋根があり そこだけが安全地帯に思えた
この寒さ この突風の中で 晒されたまま 2時間 居るのは 危険極まりなく
やはりここは命の安全を優先し 当日券はメインスタンドの席にした。
だが チケットを買い 中に入ろうとした時 またもや突風が吹く ゴォオオオ!
今度は車内ではなくダイレクトだ。この身 この心 全てに突風が突き刺さる
「なぁぁぁあああぁーーー!!!」 自分でもビックリする声が出た。
人間 本当に危険な目にあうと「きゃー」や「わー」ではなく「な行」 だ。
なぜだか な だ!これは人類生態学の新発見ではなかろうか!と思った。
そんな突風を喰らうも防寒は完璧である。フード付のダウンジャケットと
鼻から下はタオルマフラー ジーパンの上にトレパンを履き そして手袋。
そんなパリコレを越えたファッションで だけど目は何かに怯えているのだ。
これは怖い この姿でコンビニは何も売ってくれないし 銀行なら即逮捕だ。
だがこの完全防寒も3秒後には脆くも崩れる。悪魔のような冷たい空気は
僅かな隙も見逃さず ありとあらゆる隙間から入り込む。首の隙間 足の隙間
少しでも油断した場所があれば冷気は忍び込み 少しづつダメージを与える。
それは次第にボディブローのように効いてくる。かなり高度な戦法である。
車内で怯えさせ スタジアム前で先制パンチ 座席に座ればボディブロー
入江の浜風はハードパンチャーでテクニカルな 超ー強えーボクサーなのだ。
オレはビビってた。世界チャンプ ”イリエ 浜風” の強さに超絶ビビってた。
次はどんな攻撃をお見舞いされるか恐怖に怯えながら 試合開始を待った。
メイン海側の席に座りじっと待つ。だがどうも変だ。思ったより全然 寒い。
ここなら大丈夫と思ったメインスタンドも 全然 大丈夫じゃなかったのだ。
確かめると その日は海側から風が吹き横から当たる 屋根など意味なかった
仕方なく反対側へ移る。そこは中央ブースを隔てるため いくらか風を防げた
だが 寒い。ぜんぜん 寒い。 いや 寒いより 痛い。 ぜんぜん 痛い。
寒い時に ”寒い” と感じるぐらいまでなら まだイイ方なのだ。
寒いを通り越した所に”痛い” がある。北海道人なら誰もが知る感覚である。
ちなみに 痛いを通り越した先にあるのは ”暖かい” そして ”眠い” である
そこまで行った人に証言した例はないが おそらく例の案内人を見ただろう。
いや そんな事よりも 室蘭 寒痛いのだ。ピリピリとした寒さが体を刺す。
もはや試合が始まっても じっとしてられず 絶えず体のどこかを動かした。
動かしてないと感覚がなくなるのだ。指先 耳 足先 が痺れるように痛く
その内 体が震えだす。そして震えだしたら止らない 常にガクガクしてる。
こうなると次は喋らなくなる。ガクガクで無言である。この状態は一見して
静かな人に見えるが 体内はガクガク祭り開催中なのである。
もうだんじりかねぶたかぐらいの盛大な祭りが 体内で開催されているのだ。
そして。前半を半ば過ぎた頃だろうか さーーーっと白いものが横切った。
向こうに見える茶色と緑の混じった芝 そして目の前を横切る無数の白いもの
そのコントラストが艶やかに そして美しく 目に飛び込んできた
雪だ。
「わぁ 雪 フフフ」じゃない。そんな素敵なシチュエーションではない。
我々が最も恐れていた事態に今突入したのだ!分かるか その恐怖その絶望!
”その内 晴れるさ” なんて淡い期待はもうとっくに捨てていたが ここに来て
まさかの 雪。 しかも まだ前半。
おい どうするよ これ。 帰るか?帰れるか? 帰れるわけねぇじゃねぇか。
じゃ 居るか? このまま吹雪の中 ここにいるか? もしや死ぬんじゃねぇか?
フワフワと舞い落ちる雪を見ながら そんな事を思った。
強風・寒さ そして雪。次々と襲う苦難 だが 試合が中断される様子はない。
なら 居るしかない。そう覚悟を決めた。だがそれは小さな決意ではなかった
オレたちは無事 生き残れるのだろうか そう心配した。
降り続く雪と吹き荒れる風は止む事なく我々を襲った。そして前半の終了。
ハーフタイムに”せめて温かい物を”とチョコレートドリンクを買いに行った
”あと45分か” そんな重い気持ちで席へと戻る。真っ白く雪で覆われた座席
体を震わせ 声も発しない人々 それらを過ぎ 座席に近づいた時 衝撃が走った
座席で待つ友人R。その後姿は まるで雪山遭難者。
救助隊の到着を待ち ただひたすらに耐えるが如く ジッと動かない友人。
カップを持ったままオレは固まった。過酷と呼ぶには余りにも過酷過ぎる
”生”と”死”の境がそこにあった。もはやこれは サッカー観戦なんかじゃない
命を賭けた生還の物語だ!本当の本当に負けられない戦いが ここにあった。
そして 声にならない心の叫びが湧き出て来た
なぜに オレたちは ここまでして サッカーを観るのか!
後半が始まるも もう試合がどうなってるのかよく分からない。
攻めてはいるものの 決定的チャンスでミスをする。点を取っては取られる。
いくら力の差があろうと くだらないミスをすれば 縺れた試合になる
そういう典型的な試合になっていた。だが 怒る気力などない。
そんな事よりも 自分の命が大切だった。ギリギリの戦いがそこにあった。
寒さは痛さに変わり そして無の状態が訪れる。そこはもう寒さも痛さもなく
柔らかな温もりがオレを包む。そして ”向こう側の案内人”に誘われる。
そいつに身を任せれば きっと楽になれる 痛さも寒さもない世界に行ける
そう感じていた。すぅーっと引き込まれる。一歩 二歩 と近づいてゆく。
が そこはサッカー。チャンスがあれば ハッと我に帰る。
そうして何度も あちらとこちらを行ったり来たりするのだ。ちょっとでも
油断すれば簡単に連れて行かれるのだ。 とんでもなく危険な状態である。
そう考えるとあの試合 縺れた事で命拾いしたのだ もしワンサイドだったら
連れてかれた人は大勢いただろうし 案内人は大忙しだったに違いない。
また 一人じゃない事も命拾いに繋がった。 オレも友人Rも 常に気を使った
どちらかが連れてかれそうになった時 話し掛けるのだ。会話は何でもいい
「あのキーパー眠いだろうな」とか「ヘディング痛そう」とか意味など無用
大事なのは “命の確認” だ。そうして話し掛け 隣人が眠ってないかどうか
連れてかれそうになってないか 常に気にし 声を掛け合うのである。
”チャンスで外す実力” と ”安否確認してくれる友人” が生き残る術だった。
そうして試合も ようやく終盤に近づく。無事 命を繋ぎ 勝利が見えてきた。
80分…85分 88分 試合終了まであと僅か。やっと終われる やっと帰れる
もうすぐ暖かい場所へ行ける そう思った。がしかし これで安心しては
いけなかった。まだ先に とんでもない事態が待ち構えていたのである。
延長戦。
90分を終える間際 静産大に同点弾を叩き込まれたのである。
その瞬間の事を どう表現していいか分からない。ここまでも既に限界だ。
だがそれで終わりじゃない。どうだ この恐怖感。叫ぶ言葉は な行じゃない
な”ぁぁああぁあだ。 「な」に濁点だ。生態学であり得ない声が出た。
指先は痺れ 足先の感覚はとっくになく 耳はついているか何度も確認した
それほど過酷なのに延長戦。もう勝ちも負けも 雪も風も 寒さも痛みも
全てが “無” である。 心も体も全ての感覚を無にし ただひたすらに耐える。
あの時 オレたちの心にあったのは
生きて 帰ろう
ただ それだけだった。
”そんな大袈裟な” と思われるかもしれないが 本当に そう思ったのだ。
”生きて帰りたい” それは あまりにも悲しく 切実な願いだったのである。
今 こうして振り返っても あの時の試合の事は ほとんど憶えていない。
ただスタジアムの前で強風が吹いた事 ハーフタイムに戻った時の友人の後姿
そして延長戦決定の時の言葉に出来ない感情 それらの残像が残っている。
”サッカーは楽しむべきもの” といつも訴え いつも楽しんではいるが
さすがに あの試合は ”楽しい” を越えたものがあった。越え過ぎていた。
サッカーの観戦に行って 願ったのは 勝利でもなく 楽しさでもなく
”ただ 生きて 帰りたかった” それが我々の願いだったのである。
それは きっと間違った願いなのだ。
この生還の物語を かの会長さんへ捧ぐ。