世の中 何が怖いって 「トラウマ」 ほど怖いものはない。
一昨日の夜 12時頃だったかなぁ 用があって外へ出たんですが ちょっとだけの用
だったんで サンダルで出たんですよ。で ドアを出て 廊下があるんですが そこから
見える窓の様子が どうもおかしい。普段は真っ黒いはずの窓が 白い。真っ白い。
「まさか」 とは思いましたよ。だって 寒い事は寒かったですが まさか そんな 急に
ヤツらが来るわけない。何の連絡もなしで 来るわけない。せめて電話でもくれれば
こっちの心構えも出来るっちゅうものなのに… そんな事を思いながら もう一回
窓の外を見たんですよ。そしたらね やっぱり 来てましたよ ええ ヤツらが
「冬」 と言う名の ヤツらが。
「あっ」 っと思った時には 時 既に遅し。急なご来道に 何の準備もしないまま
ジャージにトレパン サンダル履きですよ。もう靴 履き替えるのもメンドくさいし
そのまんま 外へ出ましたよ ええ。僅か15m先に行って帰ってくるだけの用なのに
その時間の 長く感じる事と言ったらもう だって想像してごらんなさいよ
薄着で サンダル そんな格好でね 零下の気温 5cmは積もった雪の上を歩くって
これ やっちゃあ いけないこと ですよ。ヤツらを舐め過ぎてましたよ。
サンダルから出てる 指先の痛い事と言ったらもう … 無事 帰った途端 泣きましたよ
ストーブの前に足先 出して 涙 拭いましたよ。怖いわー冬。侮れんなー11月。
と まぁこんな体験 北海道に住む人間なら どうっちゅう事ないものですけど
ただ毎年 毎年 「冬到来」 の最初の時期は 何かしらの痛い目に遭うんですな。
わかっちゃいるんだけど どっか油断してるのか それとも 「まだ冬じゃない」 って
認めたくない気持ちがあるからなのか どうしても先制パンチを喰らいますね。
まぁ先制パンチどころじゃない事も 時にはありますけどね。いきなりKO! とか。
で こうした痛い目で何が怖いか って言うと。その瞬間の痛みよりも
トラウマ
ですよ。このトラウマってやつが めっちゃ怖い。めっちゃ強い。トラウマ最強説ですよ
あいつは何だろなー。後々の後遺症があるんだよなー。それも長ーく 残る後遺症。
例えばね 雪の中 サンダル履きで外に出たとしましょう その時は 寒くて痛い
頭の中は 「なっーー!」 つって叫びまくってるんですが それは瞬間の事なんですよ
家に帰れば どうっちゅう事ない。ケガもない。すぐに治まる傷なんですね。
ただ問題は 心に出来た傷。これが治したくても 治しようがない ときた。
次また外に出なくっちゃならない時に 一瞬 躊躇(ためら)うわけですよ
行くしかないのは決まってるのに 一瞬 「どうしようかなぁ」 なんて思ったりするわけ
でまた これが仕事とかじゃない用だった場合 「どうしても」 じゃなかったりすると
「出るのは止めとこうかな」 ってなったりする。これが後遺症ですよ。
これこそが トラウマ ってヤツですよ。
心にどっかに 「あんな寒い思いは したくない」 ってのがずっと残ってて
そいつが急に 己を支配するんですな。「外 出たら寒いよ~ 痛いよ~」 つって。
その囁(ささや)きがまた 結構 強烈で 腰が引けちゃうわけね。冬場の外出には。
で この事を 「サッカーの試合」 で考えてみると。これが かなりな痛手なんですよ。
例えば 明後日の試合 札幌開催だったら どうだったか と推測すると
ドームがあるから試合は出来る。だけど行く人の立場なら 「寒いのに わざわざ」 と
思っても これ不思議じゃないわけ。まして 今 「冬到来」 の まさに始まりの今ですよ
毎年 味わうあの 「あぁ…冬か」 の失望感。その真っ只中。そんな時にですよ
なにも好き好んで 外に行く必要はない。家のテレビで見れるなら そっちにしたい
と思うのが これ道産子の性(さが)っちゅうもんじゃないですかね。
しかも 「待ち」 なんて考えたらもう 「あーやっぱり止めとこ」 と思うのは責められない
そう考えるとね 今回はアウェイで良かったな とも思いますけどね。
ただ 「じゃ12月の試合なんて誰も来ないじゃん」 と思われるでしょうけれど
そこはそれ 「何が何でも行く!」 って人が数千人はいますし リーグ戦の状況や
対戦相手によっては 行く人はいる。覚悟さえ決まれば 行くんですよ 道産子も。
ただその 「覚悟」 を決めるまでが 大変なだけで。
とにかく この11月下旬から12月中旬ぐらいまでは マジでツラい時期ですよ。
今までは 当たり前に出来てた事も 急に変わる時期。
突然やって来た冬に ダメージを喰らいながらも 順応して行く 準備期間なわけ
その間 外に出るだ 出ないだ 行くだ 行かないだ 様々な葛藤を繰り返しながら
12月の中頃を過ぎると ようやく 冬に対する準備と覚悟が出来るわけです。
まぁそれまでは ほんとにツラいっすね。この微妙な季節は罪作りだぜ まったく。
という事で トラウマ。
日常に起こった小さなダメージが 積み重なって 脳裏に焼きつき
それが後々に 「行動の制御」 にまで影響を与える。そう考えると 怖いね。
12月の室蘭とか 雪なのにサンダルとか そういう後で考えれば
「もうちょっと準備しとけば 何とかなったんじゃね」 的なやらかしも 本人にとっては
かなりな痛手で そりゃもう グッサリと突き刺さった恐怖感があるわけですよ。
「寒い」 と思った瞬間 「蘇る12月の室蘭」 みたいなね。
そうすると二の足を踏んじゃうんですよ。色んな事に。 それが 本当の痛手なわけ。
やっぱトラウマ 強いわー。尾を引く強さだもんなー。最強かもわからんね。
ちなみに このトラウマさん 語源はドイツ語の 「trauma」 から来たらしく 決して
「トラ と ウマのハーフ」 を意味するものではないよ。これ豆知識!…でもないな。
さて 本題。
この長さを前振りにするのが 蹴馬鹿よ。どうだ参ったか 読んでる人たちよ。
一昨日の夜。足先を痺れさせて 家に帰って ストーブで融かしながら見たW杯予選
ドーハでの一戦。
彼らにトラウマ何てものはなく。あの日本中が 「あっ」 っと言った悲劇のトラウマは
すっかり過去のものと化してました。試合は本当に 完勝でしたからね。
こうして 「ドーハ=トラウマ」 的なものは一切 感じさせなく それは素晴らしい事
ではあるんだけど 同時に 「傷跡もない」 ってのは どこか少し寂しいものもあるわけ
内心 オレは 「今の選手たちにも どっかには残しててほしい」 と思ってますよ。
じゃないと あれだけの痛みを持ったのに それまで失くしてしまったようで その辺が
寂しいな と。あの時 受けた痛みの代償として 何かの足しにはしてほしいですよ。
悲劇は悲劇として 捨てつつも そこから残すべきものは残して
いつか訪れる 「悲劇の前触れ」 に その教訓を活かせればいいんじゃないか
と 思ってますよ。
そう考えると トラウマも悪くはないね。
そこに 怖さがあるわけだから 人は警戒するし 準備もする。
何より 二度と起こさせないための 力が湧き出る
そういう効果もあるんじゃなかろうか と。
コンサドーレも 同じ道を歩いているようで 実は違う道じゃないか と思いますね。
たくさんある痛みは 決して 失われてなく 必ずどこか身になり 実にもなり
今 色んな行動や 決断に加味されているように思います。
過去に被(こうむ)った痛みは 必ずや 何かに役立ってますよ。
道産子は 伊達にトラウマと戦っちゃいませんよ。必ず 何かを得てますよ。
オレは そう思います。
まぁ サンダルで雪の中 歩いたオレが言うのもなんですけどね。
何の教訓も得てないな オレ。おかげで またトラウマが増えましたよ。
やっぱ オレに 「トラウマ退治」 は まだ困難なようです。