つまりは 自分の才能を信じ続けれるか どうか。
一昨日のエントリーでは 自分の “選手権馬鹿” っぷりを自慢したが 往年の
サッカーファンには こうした高校選手権ファンというのが少なくない。
Jリーグが始まる前は ”サッカーと言えば選手権” と呼べるほど人気が高く
代表や日本リーグより注目が高かった。そんな選手権ファンたちが その後
地元クラブや代表 海外など あらゆる分野のサッカーに散って行ったのだ。
ただ自分もそうだが対象は変わっても それぞれの原点は変わっていない。
高校サッカーが 自分の原点である事に変わらないのだ。
「北海道にも こんな選手が出てきたか」
高校生の鈴木智樹を初めて来た時 そう思った。
最初に見たのは彼がコンサドーレユース3年の時。確かプリンスリーグだと
思う。厚別で行われた試合で 鈴木はチームの中心としてプレーしていた。
魅了された。
およそ高校生らしからぬ落ち着きと 狭い局面でも相手を交わす技術
そして ピッチ全体を見渡せる広い視野。 こんな選手を待ち望んでいた。
鈴木は ただ上手いだけじゃなく “チームを動かせる選手” だった。
チームを導き サッカーを司っていた。 それは決して大袈裟な表現ではなく
鈴木から感じる才能は この先 コンサドーレの未来さえ担ってると思えた。
その才能は 小野伸二と重なった。
小野の特長は高い技術と広い視野 この小野こそ日本最高のサッカーマン
だと思っている。そんな小野と同じ質を感じさせる選手が 今 目の前にいる
それもコンサドーレユースに。それは驚きと喜びと そして魅了された。
鈴木のプレーで 最も魅了されたのは ”裏へ落とすボール” だった。
それは小野伸二も得意とするプレーだが 鈴木のそれも全く同じ質のもので
FWの動き出しやタイミングを見計らい 裏へ止まるボールを蹴り込む。
一見 簡単に見えるが 俯瞰的視野がなければ出来ず 高い技術も必要になる
だが鈴木は それを苦もなく 当然のようにやっていた。その技術やメンタル
そして才能に「ようやく北海道から こんな選手が出てきたか」と思った。
その時は夏で まだトップ昇格するかどうか 定かではなかったが
間違いなくプロになるだろうし プロになれば活躍する と確信をした。
そこまで確信するのは 自分なりの理由がある。
選手権ファンの自分は人一倍 高校サッカーを熱く真剣にプレーを見る。
それは単に試合を見るのではなく 彼らにある ”才能” を見ようとするのだ
まだ完成されてない才能が 今後どうなるか プロになれるか否か あるいは
プロになったとして活躍できるか否か そんな事まで想像し ワクワクする。
ただの蹴馬鹿なおじさんが そんな事まで想像して 高校サッカーを見るのは
どうかと思うが そんな見方が 高校サッカーの楽しさだし 醍醐味なのだ。
高3の鈴木に プロを感じた。確かな技術と落ち着き そして広い視野。
それは未来のコンサドーレを担う才能だと思った。
いや コンサドーレだけじゃなく 北海道さえ担うだろうと思っていた。
いずれ 鈴木智樹が 北海道を変える と。
それは丸2年間 公式戦に出られずとも 捨てる事のなかった願いだった。
今回 鈴木が引退を決め フロントに入ったのには様々な理由があるだろう。
中でも2年間 出場機会がなった事は 大きな理由になると思う。
例えば他チームへ移籍しようにも 最近の実績がなければ 売り込みが難しい
どのクラブの強化部も サテライトの実績や2年前の資料では 獲得にまでは
踏み切れない。 また最も大きいのは ”本人の気持ち” ではないだろうか。
例えば JFLや地域リーグに移籍先があっても 彼にその情熱があるかどうか
”また出られないかもしれない” という恐怖を きっと持ってしまうだろうし
長期間 削られ続けたサッカーへの情熱は そう簡単に再燃できないと思う。
出場から遠ざかった2年の歳月は 鈴木からあらゆるものを奪ったと思う。
そうした感情や状況の中 クラブ側から要請があれば フロントとして
携わるのは不自然な決断じゃなく。ましてコンサドーレは育った場所だ
そこに留まるのも当然だと思える。 だから鈴木の決断は 理解できる。
またクラブは こうしたフォローで責任を取るのも 正しく思えるし
こうして内部にチーム出身者が増えていくのも 悪くない事なのだろう。
と、あらゆる事情を考えても 鈴木智樹のフロント入りは 納得できる。
だけど やっぱり 現役を続けてほしかった。
鈴木には それだけの才能があったし 期待もした。
それらの感情を そう簡単に捨て去る事はできないのだ。
本人の決断は十分に理解も出来るが
だけど あまりもにも もったいない。 もったいなさ過ぎる。
そう思ってしまう決断だった。今も ”もしかすると” という前提で思うのは
一旦フロントへ入り その業務をやりながら 移籍先を探すんじゃないかと。
そうしてほしい気持ちと してほしくない気持ちと 複雑な想いが交差するが
何よりも 本人がその気持ちになるだろうか とは思う。
”サッカーを楽しむ” ことさえ 失ったかもしれない と。
それを取り戻す労力はきっと大変で 削られる時間に掛かった以上の時間と
エネルギーが必要になる。そう考えると 無理な期待は出来ないのだろう
それは分かっているが。だがあの才能を失うのは あまりにも残念に思う。
つまりは 自分の才能を信じ続けれるか どうか。
どんな職業であろうと 誰もが一度は自信を失う時がある。
他人の凄さに劣等感を持つ事もあれば 失敗をし 信頼を失う時もある
また自分のポストを失ったり 変えられたりすれば 自分の存在意義さえ
疑問を持ってしまう。そうした時 何が自分を奮い立たせるだろうか。
もう一度 自分を復活させるため 何を源に 踏ん張るのだろうか。
家族がある人は それが源になるだろうし 金や名誉を懸ける人もいるだろう
また 存在意義への意地 というものもあるはずだ。
源となるのは 人それぞれだろうが 中でも一番 大切なのは
自分の才能を信じること。信じ続けることだと思う。
どんな苦境にあっても 自分の才能を信じていれば 揺るがないものが出来る
失敗や力不足など 例え苦しい状況になっても 揺るがないものさえあれば
”成功への一片” として乗り切れる。信じる事には そんな力があるのだ。
特にサッカー選手の場合 その才能を信じ切れるかどうか が大きいと思う。
どんな選手であろうと 生涯レギュラーを約束された選手など存在しないし
選手には必ず冷遇される時がある。その時 自分の才能を信じているか否か
またその才能を伸ばす努力を怠るか怠らないか そんな事が大事だと思う。
サッカー選手という特殊な職業にあって ”信じる” という源は
今 持ってる技術や能力よりも 重要なものと思うのだ。
鈴木智樹は 自分の才能を信じ続けられなかった。
信じていたかもしれないが 続けられなかった。それが もったいない。
もっとチャレンジして もっと自分を発揮して もっともっと自分を信じて
ほしかった。今更ながら それが本当に残念に思う。
冷静さを持つ選手だけに 自分の才能まで 客観的に捉えてしまったのか
もっと ”無暗” な所があっても 良かったのではないだろうか と思う。
現役を長く続ける選手や 飛び抜けて活躍する選手には その無暗さがある
そして その無暗さの根底には必ず ”才能を信じる力” が宿っているのだ。
これからはスカウトとして ”才能を信じる力を持つ選手” を発掘してほしい
その能力だけは 教えて培われる力ではないのだから。
7年前の夏。
その高校生は 俺を驚かせた。
およそ高校生らしからぬ落ち着きと広い視野。
そして 絶妙なタイミングで送り出される裏へのパス。
俺が思う 理想のサッカーマンが そこに居た。
その選手の活躍に その可能性に ワクワクした。
あの時の感動を ずっと忘れずにいた
そして 今も 忘れられずにいる。
鈴木智樹の ”これから” に捧ぐ。