もしかすると。
夢を捨てることは、
夢を持つことより 、
大切なのかもしれない。
近ごろ 歌手が「夢を持とう!」とか「夢を捨てないで!」なんて
歌うのを聴くとちょっと違うかのなぁと思うようになった。
まぁその辺は歳取った証拠なんだろうけど
最近 夢ってのは つくづく難しいと思うようになったのである。
何かしらの成功者が ”夢を持とう” と言うのは 間違ってないと思う
夢を持って努力したおかげで 成功したわけで 例えばアンジェラ・アキが
”武道館でコンサートをやりたい!” という夢を持って 冷蔵庫に貼って
毎日 見てた と。で 実際にその夢が叶って 観客の前で言うわけだ
「だから みんなも 夢を持って! あきらめないで!」 と。
そういうのを見ると素直に凄いと思う。
だが その反面 そのメッセージをずっと言えるか?と疑問にも思うのだ。
例えば 5年後10年後 全く売れなくなって もがき苦しんだとして
それでも夢を捨てない自分を肯定出来るか 多くの人に言えるかと思うし
もしかすると 善良な心っていうのは ”こんな苦しい想いは 皆 しないで” と
訴える事じゃないかと思ってしまう。まぁそんなのは歌わないだろうが。
若い人が夢を持って そこに向って進んで行くというのは 絶対に正しい。
そのエネルギーは人生において重要だし そういう人の行動は周りの人まで
感化させるわけで 社会においても自身においても 絶対に必要なのは確か。
ただ そうしたちょっと熱い世代を卒業すると 次に大事になるのが
“どのタイミングで 夢を捨てるか” という事だと思う。
元々我々のような一般人は そう大袈裟な夢を持っているわけじゃなく
そこそこ好きな仕事に就きたいとか まぁまぁの生活がしたいとか
良いお母さんになりたいとか そんな感じだろう。それでも子供の頃は
歌手になりたい!みたいな 漠然とした夢は あったんじゃないだろうか。
だが そうした夢は とうの昔に捨て 大人になるにつれ もっと現実的な
“目標” へとシフトするのが 大多数の人だと思う。
ただ我々のような ”捨てた側の人間” が挫折感の中で生きてるか?と言えば
決してそうじゃなく ”現実に生きる事こそ大切なんだ” と分かっている。
むしろ それを理解した時から 本当の人生が始まる と思う。
夢を持つ事が大切なのは知ってる 夢に向い進む力が大事なのも知ってる
だが それと同等か それ以上に 大切な事もある。だから あえて言う。
夢を捨てよう。
相川進也が 現役引退を発表をした。
この選手が札幌に来た時は 本当に嬉しかったし 期待もした。
特に 高校サッカーファンの自分は 選手権で活躍した選手が来た事が嬉しく
これから10年 ストライカーは安泰だし 代表も間違いないと思っていた。
だが入団時すでに膝を痛めていたようで 何度 宮の沢へ練習を見に行っても
別メニューで 結局 デビューまでに約1年の時間を費やした。
忘れられないのが 03年のホーム最終戦。 素晴らしいゴールを決めた事。
その年 コンサドーレは散々な年だったが 相川や新居や岡田の活躍があって
閉塞感のある年の最後の最後に 見事なゴールを見せてくれた。
彼らの放つ輝きこそが希望であり その僅かな光に 俺たちは すがった。
だが現実は厳しく。あの時 希望だった選手たちは 今はもう誰も居なくなり
そして今 ”相川の引退” という現実にまで行き着いてしまったのである。
昨日のエントリーの鈴木智樹もそうだが 期待した選手の引退というのは
寂しさや 勿体なさでいっぱいになる。もうちょっとやれなかったかな と。
ただ その決断は否定しない。したくない。
才能や年齢という可能性がまだあったにせよ “現実を選ぶ事” も大切な事。
我々のような おっさん世代になると こうした分岐点が大事に思うし
その時 本人が真剣に考えて そして出した答えなら間違てはいないと思う。
相川本人には今 悔しさや不安もあるだろうが 早くに切り替えた分
違う可能性も一杯あるのだから 彼の これからにエールを送りたいと思う。
相川が引退する一方で ”U18の鶴野が水戸に入団” というニュースが出た。
彼の場合 自チームで昇格という夢は叶わなかったが プロへの夢は叶えた。
この鶴野は一度だけ見たのだが 突破が得意で とにかく意欲が見えた
それは ”プロになりたい” という強い意志だったように思った。
そんな彼に「夢を捨てよう」などと絶対に言えない。
その夢に向いどこまで突き進んで行けるか 楽しみにしている。
「夢を捨てよう」
それは 決して良い言葉でも 耳障りの良い言葉ではなく。
だが 人生において 重要な言葉に思う。
いつか分岐点に差し掛かった時 その決断も必要になるのだろう。
例えば家族が出来た時 あるいは自分の可能性 そして限界が見えた時。
いや そんな大袈裟なものじゃなくても もうちょっと現実的に考えたならば
例えば今年 コンサドーレに対して 期待が高く 昇格を現実的に意識する。
ただそれが上手く行かなかった時 やっぱりどこかで諦めななければならず
そのタイミングは 人それぞれだろうが ”最後まで諦めない” という事が
決して正しいとは思わない。 どこかで潔く諦めて 切り替える。
そうした決断も大事じゃないか と思うのだ。
自分が思うに ”昇格を諦めない” というだけが 正しいサポーターじゃなく
今は諦めたとしても 次の応援するモチベーションを作り 前向きに応援する
それもまた正しいかなと思うのだ。もし今年そういう気持ちになったなら
その時は ここで 宣言しますよ「オレ 今年の昇格は諦めました!」と。
ただ それだけじゃなく “だけど 応援します!” と付け加えますが。
その時はぜひ「おめぇ諦めが早ぇえんだよ!」ってブーイングをどうぞ。
ただそれが自分なりのタイミングだし 次の楽しみ方も持っていると思う。
”夢” を持つ事は大切なこと。
だけど ”捨てる事” は もっと大切なこと。
それは若い頃 散々聞かされた言葉だが そのたび ”情けねぇな” と思った。
そんな大人を馬鹿にしてたオレだが とうとう言う側の立場になった
その事に 何となく寂しさはあるのだが 何か安らぐような気持ちもある。
バイタリティ溢れる成功者が「夢を持て!」と叫ぶたびに こっちとしては
「いや 捨てちゃっても かまわないんじゃない」
と言いたかった。だから たまにはいいんじゃないか こんな人間がいても。
自分のような ゆるゆるの人間が 何となーく 緩い気持ちで 緩さの方へ導く
だけど そういう人間には それなりの決断で 現実を選んだ自負がある。
そんな我々は美しい言葉だけに踊らされない 逞しさを持っているのだ。