フロンターレのサポーター 大事なのは 今 じゃないかなぁ。
■ ナビスコ杯・決勝 FC東京 2-0 川崎フロンターレ
試合 見ましたよ。FC東京が見事なサッカーで優勝しましたね。おめでとう。
下馬評では 「川崎有利」 が圧倒的に高かったですが FC東京は 持ってましたねぇ
特に18歳の米本と 20歳のGK権田。この若い2人が どえらく 持ってました。
まぁ米本くんの事を しばらく湘南の寺川だと思ってたのは内緒の話ですがw
で FC東京のすばらしー優勝も 今やすっかり日陰になっちゃったようで。
表彰式での態度が良くなかったって事で フロンターレがえらい事になってるそうな。
試合は見たんですけど 表彰式までは見てなかったんで 知らなかったんですよ
で 今 Youtubeで見たり それに対する意見なんかも見てみたんですが
まぁ森の態度なんかは 「そりゃダメだろ」 とは思いますね スポーツマンじゃない と。
ただ かと言って ヨソの人間がギャーギャー ヒステリックになるほどのもんじゃない
とも思いますけどね。当事者たちが それなりに改めればいいんじゃないか と。
でも協会の方々は かなりなご立腹の様で。賞金を剥奪するとかしないとか。
それもどうなかなーと思いますけどね。だって 決勝まで来たのは事実だし
その前に敗れ去ったチームの分まで含めて の栄誉でしょ。それも全部 消し去って
しまう様な事は ちょっと違うかなと思いますけどね。どうしても処罰するってなら
選手に チップスターのCMを1年間 無償でやるとか ナビスコからガムを発売して
森君をCMキャラクターにするとか。じゃなかったら リッツを30秒で食え!とか
おやつはオレオだけ!とか そういうものにしたら良いと思いますけど。ええ。
そういうシャレは通じないか。ないな。
でまぁ 今回の件について フロンターレのサポーターはどう思ってるのか?って
ブログを巡ってみたんですよ。って 2つっか見てないんですけどね。
ただ その2つってのが面白かった。1つ目は
ここ 等々力ブルースカイさんって所の
「許せぬ誇大バッシング」 というもの。協会幹部が必要以上にバッシングしてる と。
で もう1つは
ここ 蒼と黒の神話さんって所の 「罪なき者まづ石を擲て」 というもの。
2つ 書き位置みたいなものは違うんですが サポーターの在り方が見えて来ます。
例えば チームに不祥事が起った時 または チームの成績が芳しくなかった時
そのチームをサポートする人間は どう捉えればいいかって頭を悩ましますね
腹を立てて ただヒステリックに騒ぎ立てる人もいるでしょうし 「だって しょうがない
じゃないかー」 つって えなり君的境地に至る人もいる。または 現実的な問題を
全部 吹っ飛ばして 「全然 悪くない! 問題もない!」 と逆ギレ気味の人もいる。
そうした様々な意見も サポートするがゆえの意見なんですね。
で 自分なんかは ヒステリックに騒ぐだけってのは ちょっと違うな と思いますね。
何かあった時 腹が立つのは分かります ただ そこで客観的な立場になっちゃうのは
サポートじゃないと思うんですよ。良い時には一緒に居るんだけど 立場が悪くなると
パッと離れて立ち位置を変えてるみたいな。むしろ 悪い時に どうするか?ってのが
サポーターじゃないかと思いますね。その時が一番 サポートを必要とする時だから。
そういう意味では 等々力ブルースカイさんの様に 怒りの対象を別にもって行くって
のも チームを守ってるっちゃ守ってるわけです。方法が良いか悪いかは別として。
で 自分としては 蒼と黒の神話さんの意見に共感しますね。
「しかし僕らだけは分かってあげなければいけないんじゃないでしょうか」
サポートってのは こういう所から始まるわけですよ。
特に俺らコンサドーレのサポーターにおいて 不祥事ってのは対岸の火事じゃなくて
むしろ これまで火ダルマになった事 数度。ただ その貴重な経験の中で学んだのは
しばらくは頭を低くして 耐える ことぐらいだったんじゃないでしょうかね。
で 今ならもうちょっと進んで 「どう守るか? どう一緒に痛むか?」 みたいなものを
考えると思います。腹の底では 「こいつら~(怒)」と思いながらも グイっと引寄せる
そういう姿勢にね 多少なりとも なれる様な気がするんですよ。
今回の件 フロンターレはクラブ・選手 共に猛省すべきは当然として。
サポーターが どれだけ力を与えられるかって時だと思います。
だから 今なんですよ。今が凄く大事。今どう思うか 今何が出来るか 今どの立ち位
置になるか そういう本質的なものが浮き彫りになるんじゃないでしょうか。
この瞬間 客観的になった人は 次の喜びの時 本当に喜べるか?と思いますね。
また こうした不祥事や問題は 今度 自分の所で起きるかもしれないわけです
その時に 自分はどうあれるか?何が出来るか? が問われるんじゃないでしょうか。
ただの猫っ可愛がりじゃなく。かと言って 他人じゃなく。
そういう理想のサポーター像というものに 日々近づいて行かにゃならんと思います
まぁ 「泣」 く日もありますが それでも 「美」 しく 「巣」 で 「叫」 びましょうよ。