バンクーバーも無事 閉幕したようで。
結局 オレが全力で見たのは フィギュアの真央vsヨナ と 開会式!でした。
なんでなのかあの開会式を完全で見ましたね。ええ 3時間 ビシーっと見ましたよ
で 始まった途端 フヮ~っとなった と。もちょっとちゃんと見りゃ良かったかなぁ。
でまぁ終わったって事で テレビでは総括みたいな話しをしてまして。
何でも日本の五輪予算って そんなに多くないそうで 今回メダルをたくさん取った
韓国なんかは かなりなお金を掛けてる様ですね。まぁ国の経済状況もありますから
一概に 「もっと掛けろ」 とは思いませんし 何より 「掛けりゃイイってもんじゃない」
と思いますね。だって選手強化よりもっと大事な 競技人口をどう増やすかって事や
そのスポーツをいかにして多くの人に馴染んでもらうかって事が御座なりですから。
僕らの子供時代には 「スキー授業」 や 「スキー遠足」 ってのがありましてね。
学校の授業としてとか 行事として スキーがあったんですよ。スキー授業ってのは
近くの山やスキー場へ滑りに行く 手身近なスキー学習です。一応 授業ですから
先生がボーゲンなんか教えたりして 体育の冬バージョンって感じでしたね。
で スキー遠足ってのは もちょっとゴージャスと言いますか 遠くの大きなスキー場へ
行くわけですよ。チャーターバスで行って 1日滑りまくって帰ってくる行事でした。
ただですね 実はこのオレ 「スキーが好きーじゃない」 って言う 道産子において
致命的な欠点がございました。小学校の頃から このスキーに関わる行事になると
もーテンションもダダ下がりで いっつも 「休みたいなー」 って思ってましたよ。
ただ中学になると若干 スキー関連行事も減ってきまして だいぶラクになりましたね
で 高校に入って さすがにもうスキー授業なんてないだろって高を括ってたんですよ
ところがだ この高校とんでもねー素敵な高校でして「勉強できねぇなら体 鍛えろ!」
ってポリシーを持ってたんですね。しかも校長が “元スキーの五輪候補になった”
というお方。だもんだから スキー関連行事満載な高校 スキー授業なんかは
週1回ですよ 週1回。丸1日 スキー場行って 滑るだけ。それを1・2月の2ヶ月間。
ビックリっすよ。3学期の時間割出た時 最初 何の悪ふざけかと思いましたもん。
毎週木曜だったかなぁ スキー授業。朝 現地集合するんですが スキー場に着いて
ロッジっての言うの?俺らはスキーハウスって言ってましたけど そこで出席 取るん
ですが それがまた雑な取り方で 「おーい みんな いるかー?」 みたいな感じですよ
だもんだから 休むヤツが多くてね テキトーに返事しとけば出席になりますから。
しかも出席だけ取って さっさと帰るヤツもいる。そんな中 残った精鋭たちが板を履く
わけですよ。で ABCの班に分かれる。Aが上級者で アホみたいに上手いヤツら。
ただただ上級者コースを滑りまくるんですが 遠くで見てても マジで上手かったすね
で Bが普通で Cは初心者つうか ファミリーゲレンデでちょろちょろするだけです。
でまぁオレは普通のB班だったんですけど 普通つっても 皆かなーり巧かったですよ
そりゃそうですよ 小学校の時からみっちり 鍛えてますもん。山育ちですもん。
でこのB班の良さは そこそこ滑れるし コースも厳しすぎず緩すぎず 丁度良い感じで
滑れたんですね。生まれて初めて 「スキーが楽しい」 と思えたのは この時でした。
ただ 問題と言うか 対応に困った事がありまして。このスキー授業には一応 指導の
先生がつくんですが A班には指導の必要がなく C班は一緒に滑るだけって感じで
で 問題はB班ですよ 我らがB班についた指導者は 校長。
最初 どう対応していいか困りましたね。アホ生徒と校長って フレンドリーな繋がりは
皆無ですからね。しかも この関係を繋ぐのはスキーだし。なんせ元五輪候補ですよ
スキーにはアイデンティティを持ってる校長さんですから 超真面目に指導するわけ。
だけどほら生徒が残念だから 相手が校長だからと言って手加減しないアホっぷりを
発揮するわけ。で まず1本目は全員 リフトで上までは 行くんですよ。上まで行って
校長の後ろへ着く。すると校長は 「じゃ私の後をついて来て下さい」 って言うんだね
で みんなもその時は 「わかりましたー」 って返事をする。で 1つ目の斜面を滑る
校長の1本目の後を 皆 綺麗になぞって滑るんだね。で 斜面を滑り降りた所で
校長は振り向いて見てるわけ みんなちゃんと滑ってるから 満足気。ニコニコ顔だ。
で 次の斜面も同じ様に 「じゃ私の後をついて来てください」 つって滑り出すわけ。
でもまぁ生徒さんたちはアレだから なんとなーく列を離れるヤツがいるんだね
で自由な方向へ滑り降りてる すると一人また一人と自由なシュプールを描くわけだ
まぁそれでも一応 2つ目の斜面を滑り降りて また校長が 「じゃ私の~」 と言うわけ
でもほらB班のBはBAKAのBだからさ もう制御が利かないんだね。校長の言う事
なんて聞きやしない。そのまま自由に滑り降りて行っちゃうんだな。
1本目を滑り降りる頃には 皆バラバラに滑ってますよ。一人残らず全員がフリーに。
結局 1本目の最初の斜面だけが 校長とアホ生徒との繋がりで 後は糸の切れた凧
になるってんだから お気の毒な関係っちゃ関係だったね。
それでも校長は一人で滑ってましたね。だって スキーが好きーだから この人。
でまぁリフトに乗りながら 一人で滑ってる校長を見ると なんか悪い事したなーって
思うんですよ。だから 「コーチョー ちょっと待っててー」 つって一緒に滑りましたね。
言うことは聞かなかったけど みんな校長の事は嫌いじゃなかったし 自分なんかは
この校長のおかげで スキーが好きになりましたもん。いやほんと 感謝してます。
あんなに嫌だったスキーが 面白いなーって思えたのは 指導しつつも どうしようも
なかった俺らを 校長は暖かく 心広く見てくれて 自由にさせてくれたから でしたね。
今にして思うと 校長は スキーを好きなってほしかったんだろうな と。
誰よりも自分がスキーの楽しさを知ってるから 好きになってほしかったでしょうし
何よりも 「ウィンタースポーツに馴染ませたかった」 ってのが校長の信念だったと
思います。そりゃそうですよ 僕ら北海道に生まれ育ちながら ウィンタースポーツに
馴染めない また楽しめないってのは そりゃ大きなものが欠落してる様に思います。
馴染ませるための手段を 学校行事としてやるのがいいかどうかは賛否のある所で
しょうけども 少なくとも僕ら世代は 先生が導いてくれてました。
今もそれらしき行事はあるそうですが 行う学校の数はグッと減ったらしく その辺は
分るものもあります。そりゃそうですよ。寒い中 何を好き好んで 外に出るかと。
でまた 怪我の恐れのあるスキーをやって 受験になんか差し支えたら大変ですし
年に1・2度しかやらないものに 板だウェアだって経費が掛かるのも何だし って事で
「スキー授業をやらない学校が増えた」って事でしょう。それは分ります。分りますが
だけど どうなんだろ?僕ら北海道の人間が スキーを捨てちゃっていいんだろうか?
1年の3分の1を雪と共に過す我々が 雪と遊べないってのは それでいいんだろうか
雪を避けてしまう事が 正しいんだろうか? 雪は不必要なものなんだろうか?
そんな疑問が起ります。ここは東京じゃなく 沖縄でもなく 雪が降る北海道ですから
来年も再来年も10年後も 50年後も 必ず雪が降る北海道なんですから。
降り積もる雪は 僕らのアイデンティティじゃないかなぁ。
テレビゲームは楽しいですし 外に出なくて済みます。けども 遊びや運動は
やっぱり自然の中で 自然と共にやるべきかなと思います。そうして何かを尊ぶ心
みたいなものが育まれるんじゃないかと思います。まぁよく分んないですけどね。
ただ もし次のオリンピックを強化しようと思うのなら 金や物じゃなくて
もっと違う もっと大事なものから 始めてほしい と願います。