昇ってゆく人を見るのは
喜びであり 楽しみであり
勇気を与えられる。
映画 ゴッドファーザーの面白さは 成り上がる生きざまにある。
イタリアのシチリアから1人の少年がアメリカへ逃げ延びる所から始まり
やがてマフィアの巨大ファミリーになって行く物語である。
成り上がるドン・コルレオーネが卓越していたものは ”勝負勘と度胸”。
危険を察知する能力と ここぞという時の度胸で サクセスを築き上げた
男なら誰もがこの映画にシビれるし 人が昇りゆく様を見るのは痛快である。
西大伍が卓越しているのは
そのチャンスを逃さない力とクソ度胸。
先日発表になった ”西大伍 鹿島完全移籍” のニュース。
全てが喜びじゃないが 西本人と 西を見続けている我々にとって
このサクセスは誇らしく 勇気を与えられる。
何よりも ”これからの北海道のサッカーに力を与えた” と思うのだ。
西を最初に見たのは高校生の時 ユースの練習試合かプリンスリーグだった。
当時は体が小さく細く ただボールテクニックは優れている選手で
率直に言えば ”どこのクラブにも必ずいるような選手” だと思った。
もし彼がプロになるとしたら 強さを持つか 誰よりも卓越したテクニックを
身に付けないと通用しないんじゃないか と思ったのを憶えている。
とにかく体の細さが難点で 当時の西にトップ昇格の予定はなかったそうだ。
そんな西に 最初のチャンスが訪れる。
05年 全日本ユース選手権。西にとって高校最後のチャンスと言える大会が
最初のチャンスとなった。この大会を準優勝で飾ったコンサドーレユース。
その原動力になる活躍が認められて 西はトップ昇格を果たしたのである。
それが 西大伍 1度目の チャンスを活かす力。
こうして大きな夢を叶えた西だったが プロ生活のスタートは順調な滑り出し
とは言い難く。1年目の練習では紅白戦すら出場できない姿を何度も見た。
そんな中 西の努力は凄まじく 練見に行く度 体が大きくなるのが分かった
特に首の太さが際立っていて フィジカルをプロレベルに持って行くという
努力 いやそれを越えた執念みたいなものを感じた。
体が日増しに逞しくなった2年目。それでも試合の出場機会はなかった。
当時 頭に浮かんだのは野田達郎の事。野田はユースの1つ上の先輩で
同じくトップ昇格したが出場機会はなく 僅か1年で戦力外を受けた選手。
その後 大学進学の道を選んだのだが 野田の件に対するクラブへの不信は
確かにあった”だったら なぜ昇格させたのか?” という疑問が。
そんな感情が生々しく残る中 西大伍に野田を重ねていた。
1年半もの間 出場機会は無く ましてレギュラーなどはるか遠い場所。
そんな所に西は居のである。ただただ練習するだけの毎日。
おそらく西にとって 2年目の夏は本当に崖っ淵の気持ちだったと思う。
西は このままチャンスもなく 終わるかもしれない
そう思っていた。それでも初出場のチャンスは与えられた。
だが残念ながら 大きな活躍は見せる事は出来なかった。
そして西は 2度目のチャンスであり ピンチを迎えるのだった。
07年秋 当時 チームはJ1昇格へ向け進撃を続けていた。そこで言い渡された
”ブラジル留学” それは西にとって厳しい指令だったと思う。シビアに言えば
“昇格への戦力になっていない” と言う事である。ただ当時のクラブの想いは
来年も残すという事だろうし そのための修行みたいな親心があったと思う。
“これが転機になれば” という想いが。それに応えられるかは本人次第だが。
このブラジル留学が 西にとって大きな転機になった。
3ヵ月の予定だった留学中 チームに怪我人が続出し 西は急遽 呼び戻される
その直後のアウェイ愛媛線 後半に投入された西は 残り時間僅かなところで
劇的なゴールを決めた。
あまりにもドラマチックなゴールだったが このゴールが生まれたのは
単なる幸運や偶然ではなく 海外で受けた刺激が感性を高めたからだと思う。
結果的に西のブラジル留学は最高の形となって表れたのだ。海外留学という
ピンチの中で感性を高め 呼び戻されれば 劇的なゴールでチームを救う。
まさにピンチをチャンスに変えた瞬間だったと思う。
そのゴールは西の転機であり 後のサッカー人生を大きく変える1点だった。
それが 西大伍 2度目の チャンスを活かす力。
それからの活躍は目覚しく。翌年08のJ1では27試合の出場。
翌年09年はGKを除く全てのポジションでプレーするという異例の起用で
いつの間にか西は チームに無くてはならない大きな存在になっていた。
その経験は 西にとってプレーの幅を広げる事や能力を伸ばす事に繋がった。
そして その年の暮に発表された 新潟へのレンタル移籍。
札幌で生れ育った西が 札幌を出るには 大きな決断が必要だったと思う。
それでも決意したのは この移籍が ”自分へのチャンス”からだろう。
札幌を出ること。それが 西にとって3度目に訪れたチャンス。
当然 本人は悩んだと思う。
自分が生まれ育った街を否定する事が 自分の成長に繋がる事に。
ただ だからこそ 力を付けて戻らなければならないと このチャンスは 必ず
活かさないと という想いがあったのではないだろうか。
そうした西の頑張りが実を結び 新潟でのレギュラーを掴み取る事が出来た。
結果 西は3度目のチャンスもモノにした。徐々に付く力も 実感したと思う
そうして新潟でプレーし J1で戦う内 様々な感情が湧いて来たのだと思う。
そして今回 4度目に訪れたチャンスは 鹿島への完全移籍。
日本のトップで どんなプレーが出来るか どこまで通用するか 強い好奇心が
湧いてると思う。また 退路を断った事で 西の決意は固まったとも思う。
後戻りは出来ない以上 前へ進むしかない 行ける所まで 突き進むしかないと
西は これから間だけを見据えていると思う。だから この鹿島への移籍は
チャンスを活かした のではなく チャンスを与えられただけなのだろう。
西の本当のチャンスは 本当のサクセスは ここから始まるのだと思う。
それが海外移籍か 代表か 鹿島を世界に引上げる事なのか まだ分らないが
4度目に手にするものは きっと 今まで以上の大きなものに違いない。
西の本当のサクセスは 今 始まったばかりである。
僅か3年半前。
プロでいられるかどうかギリギリだった選手が
紅白戦にも出られなかった選手が 体を鍛えて鍛えて鍛えて
何とか試合に出られるよう 必死に食らいついて。
そんな西が 今 誰より高く昇って行く。
そのサクセスは 札幌の我々でさえ壮観で 誇り高く思う。
また その足跡は 北海道のサッカーに大きな影響を与えるものだろう。
他の誰でもない サッカーを志す少年たちに。
どんな厳しい環境も努力と勇気があれば 乗り越えられると 西は見せた。
そうした 少年たちに与えた夢や希望は 計り知れないほど大きいと思う。
西に憧れた彼らが 次のコンサドーレや北海道のサッカーを担うのだから。
「ダイゴにさ お前 カンナバーロになれって言ったんだよね」
2年前 村野さんが話してくれた ダイゴのこと。
普段は鬼のように厳しく 面と向かって誉める事などしなかったはずの人が。
「そしたらさ あいつ こーんな太い首になりやがって」
そう言って 嬉しそうに 誇らしげに 語った。
あなたが育てた選手は
あなたが期待した選手は
あなたが願ったように 成長しています。
ありがとう。