「コンサドーレ 潰れたんだって?」
高校の教室。クラスのヤツが そう言った。正確には まだ潰れたわけじゃないが
潰れる寸前である事は違いない。僕は小さな声で 「いや まだ…」 と言い返した
すると他のヤツが 「え コンサドーレってまだあったの?」 と言った。
2人とも 全く悪気なくそう言うのだが 僕は何だか恥ずかしく そしてツラかった。
20××年11月。コンサドーレの公式HPから 重苦しいコメントが発表されていた
「どうかお願いします コンサドーレを助けてください」 と結ばれた文章には
経営が逼迫(ひっぱく)してる事が書かれてあり 存続の危機に直面している事と
この状況を打開するためスポンサーやサポーターに協力をお願いするものだった
その文面は切実で 僕は読みながら心が苦しく だけど 覚悟みたいなものをした。
「コンサドーレ 潰れるかもしれないんだね」
父にそう言うと 父は 「いや まだ分からんさ」 と言った。
夕食を食べながらも父は録画したコンサドーレの試合を見てる。
それは10年以上前の試合 2011年の最終戦だった
「おい見ろこれ 4万人も集まってるんだぞ」 懐かしそうに 誇らし気に父は言う。
ただ そんな話しは もう何十回と聞いたし 一応 僕もその場所に居たのだから
正直 どうでもよかった。それよりも問題は コンサドーレの存続の事だった。
2013年 J2に降格したコンサドーレは それから低迷を続けた。
資金力の無さが選手層に響き J2でさえ勝てなくなっていた。また その前年から
開始されたJFL降格が チームにもサポーターにも焦りを生ませていた。
焦りがプレッシャーを生み 勝てなくなる 勝てない試合が続くとサポーターが離れ
入場料収入に影響を与える。そして人気の低迷は スポンサー料にも響いた。
悪循環だった。僕らはドロのようなグレーの渦に 丸ごと飲込まれてしまったのだ。
「あの時も これぐらい人が入ってくれればなぁ…」
父は 4万人入った録画の試合を見ながら そう言った。
低迷を続けたコンサドーレも 1度だけ昇格争いに加わった事がある。
条件付きだったが その最終戦に勝てば3位になれる というものだった
だが最後の最後に 力尽きた。相手のチームは助っ人の外国人を加入させたが
コンサドーレにはその資金がなく 総力戦で負けた。だが問題は戦力だけじゃなく
昇格が懸かったホームの試合でも 来場したサポーターは たった7千人だった。
父が嘆いていたのは その事である。4万人も入ってくれれば その応援の熱量は
膨大になるし それは必ず選手の力になったはず。2011年がまさにそうだった。
だがそれから数年が経ち 当時のコンサドーレには昇格への期待が薄れていた。
その原因は 何度も繰り返す降格。1度や2度の降格なら また頑張ればいいと
思えるが それが4度にもなると 上がっても また降格するだろうと思ってしまう
また 例え昇格しても そのリーグ戦が無残なら やはりサポーターが離れてしまう
そうしたネガティブな渦が サポーターから希望を失わせてしまったのだ。
昇格に対する願望や期待を失ったサポーターからは 応援の熱量が減った。
毎試合 小さくなる声は スタジアムから活気を奪って行く。それとは対照的に
スタンドの空席は瞬く間に増えて行く。それはチームの戦いにも影響した。
J2の下位を彷徨うチームは いつしか目標を失い 後は転がり続ける石のように
JFLへと落ちてしまった。それでも僅かに残ったサポーターは何年も頑張ったが
ここに来て とうとうチーム存続の危機が迫っていたのだ。まさに土壇場だった。
「まぁだけど 何とかなるさ 何とかしなきゃな」
夕食を終えた父は そう言いながら コップのビールをグィっと飲み 食卓を立った。
そんな父を見ながら 少し安心し だけども 大きな不安が消える事はなかった。
父は 僕が生まれる前からコンサドーレのサポーターだったらしい。
普段はあまり喋らない父だが コンサドーレの事となると饒舌になり よく昔の事を
話し出す 「誘致の署名活動したんだ」 とか 「ぺレイラやフッキもいたんだぞ」 とか
僕が生まれる前の事を何度も話してくる。正直 めんどくさく思っているが
コンサドーレの事は好きだから 嫌な気持ちはしない。多分 僕も父親になった時
同じ事をするのだろうと思う。 嫌がる息子をスタジアムへ連れて行ったりとか。
父と最初にスタジアムへ行ったのは 僕が5歳の時だった。
薄っすらと憶えているのは チョコレートドリンクの甘さと 父が喜ぶ姿だ。
その日は寒く 母が 「風邪 引かせないでよ」 と小言を言いながら 何枚も重ねて
僕に服を着せていた。そして最後に父がレプリカのユニフォームを着せてくれた。
それは真新しく。後で聞いた話しだが 父は僕が生まれた時 すぐに買ったそうだ
だけどサッカーに興味のない母が まだ連れて行っちゃダメと言っていたので
それを着る機会はお預けになっていた。そして僕が5歳になった時ようやく許可が
下りたそうだ。その時の父の喜びようが 微笑ましかったらしい。
「お父さんね ニコニコしながら リュックに色んな物 詰めて 最後にそれ出したの」
と 母が小さなレプリカユニを指しながら言った。それが父の夢だったのだろう。
いつか一緒のレプリカを着て 僕と観戦する日が来るのを 楽しみにしていたと。
ようやくその日が来て 試合は確か勝っていた。甘い甘いチョコレートドリンクと
ゴールが入るたび 大喜びする父 そして帰り道 大谷地でフルーツケーキを買った
そんな事を憶えている。多分 あの時 父は本当に嬉しかったんだろうなと思う。
色んな夢がいっぺんに叶って だけどまだまだ これからの楽しみもあって。
そんな事も知らぬまま 僕はサポーターになって行った。週末は友達とも遊ばず
スタジアムか テレビの前にいた。物心ついた時から それが当たり前だったから
別に不思議に思わなかったが 今考えると 随分 無茶な父である。
僕が好むも好まざるも考えず サポーターの英才教育をしたのだから。
正直 小学生の時はそれが嫌だった時もある。コンサドーレのクリアファイルを
使ってたら 友達にからかわれた事もあったし 土日は遊ぶ約束が出来なかった。
中学になると 友達は皆 部活に入ったが 僕は入らなかった いや入れなかった
なんせコンサドーレがある。放課後は一人淋しく帰る事が多かった。
そして高校では 好きな子が出来ても言えない。それも きっとコンサのせいだ。
コンサドーレのせいで 僕は彼女が出来ないんだ! と思うようにしてる。
ただ1度だけ 「僕は行かない」 と断った事がある その時に母がレプリカの事を
話してくれた。お父さん 凄ーく 喜んでるよ と。それからは黙ってついて行った。
「お前のお父さん 地下鉄駅の前で 何か配ってたぞ」
ある日 クラスの友達が そう言って来た。最初は何の事だか全く分からなかった。
父はいつものように会社に行き いつものように帰ってくる。確かにここ1か月位は
朝1時間ほど早く出てるし 帰りもちょっと遅くなってるが それは仕事の都合だと
思ってた。だが友達の話によると どうやら朝 チラシみたいな物を配ってたらしい
何のチラシか分からないが 「お願いします」 と頭を下げながら配っていたと言う。
話しを聞きながらも 全く理解できなかった。仕事でチラシ配りなんてしないし
変な宗教にも入ってないはず。父はいったい何を配ってるんだろ?と気になった。
そして次の日 父が出てゆくのを見て コッソリ後をつけてみた。
父は 地下鉄駅まで来ると カバンからチラシを取り出した。数百枚もあるそれを
脇に抱え1枚1枚配ってる。道ゆく人は 少し怪訝そうな顔をしながら 受け取り
大した目も通さず 近くのコンビニのゴミ箱へ捨てていた。それでも父は気にせず
配り続けている。父に見つからないように 落ちたチラシを拾い 読んでみた。
お願いします!コンサドーレを助けてください!
極太の文字で そう書かれたチラシは コンサドーレの存続を訴えるものだった。
不器用な文面やデザインは決してカッコよくはなく 軽く捨てられるのも無理はない
“こんなの作ってたんだ…” ショックというか それは僕にとって衝撃だった。
父は決して見立つ事が好きな人じゃない。静かに 真面目に 生きて来た人だ
それは僕が一番知ってる。だが父は今 チームのためにチラシを作り 駅前に立ち
見知らぬ人に 「お願いします」 と頭を下げている。その姿に 僕は動揺した。
僕はその場から すぐに立ち去った。 なぜだか 恥ずかしかったのだ。
心では 「凄い事をしてる」 と分かっている。そんな父を尊敬したいと思っている。
だけど チラシ配りを同級生に見られた事や それがコンサドーレの存続について
だった事が なぜだかもの凄く恥ずかしかった。そのまま走って 学校へ行った。
それから数日が過ぎた日。父の事が新聞に載った。
「コンサドーレ存続の危機に 立ち上がるサポーター」 と題して 父のチラシ配りが
取り上げられたのだ。どうやらネットで噂になり 新聞社が取材に来たらしい。
母はチラシ配りの事を最初から知ってらしく 僕も分かっていたが それでも新聞に
取り上げられたのには驚いた。が 父は特に大きな反応もせず 自慢する事もなく
いつものように大量のチラシを持って家を出た。正直僕は 学校を休みたかった。
学校へ着くと 掲示板に父のチラシと 新聞の記事が貼られてあった。
僕は焦って 誰にも見つからないように剥がした。だが それ以外は誰にも何も
言われずいつもと変わらない。そんなものなのかな と少し残念に思っていると
昼休みに 1学年上の先輩に呼び出された。要件は おそらく新聞の記事だろう
恐る恐る先輩の所へ行くと やはり手には新聞がある。先輩は記事を指さして
「これ君のお父さんなの?」 と聞いた。多分 からかわれるんだろうなと思いつつ
「はい…」 と答えると 「そうなんだ! スゴいな!スゴいお父さんだな!」 と言って
僕の肩をグイグイ押した。よく分からないが 先輩は凄く感動したらしい。
先輩は2年ぐらい前からコンサドーレを応援し始めたそうだ。
いつもゴール裏で声を出すそうで いつもSB席にいる僕らとは 接点がなく
今までお互い知らなかったのも無理はない。ただ僕らの周りも 先輩のゴール裏も
どんどん人が減っている事だけは同じだった。そんな状況の中で ネットで見た
“自分で作ったチラシを配ってる人がいる” という話は素直に凄いと思ったらしい。
またそれが新聞に紹介されて感激し 更にその息子が同じ高校にいると聞いて
どうしても感謝を伝えたかった と興奮気味に先輩は話していた。
急に 父のチラシ配りを見て その場を逃げ出した自分が情けなく思えた。
同じ高校に こんなにも感激してくれる人がいるというのに 僕は違った。
先輩はそれからも熱くコンサドーレについて語っていたが 昼休みの終わりを
告げるチャイムが鳴った。すると帰り際に先輩が こう言った
「あの…な お父さんに伝えてほしいんだ 俺も一緒にチラシ 配っていいかって」
先輩は少し顔を赤くしながら チラシ配りを手伝いたいと申し出たのだ。
僕はビックリしながらも 「はい そう言っておきます」 と答えた。
急ぎ足で教室に戻りながら 何だか妙に嬉しかった とにかく 嬉しかった。
帰ったら父に どうやって話そうか そればかりを考えていた。
コンサドーレが直面している危機は
チラシ配りで解決するものではなかったが
たった1人の情熱から始まった小さな活動は
その後 思わぬ大きな力へと変貌するのであった。
【小説】 コンサドーレ復活の日 No1 終