最近 玉置浩二が凄い。 何が凄いって 私生活じゃなく 歌が凄い。
とにかく ”上手い” や ”巧い” を超えた次元で歌っている
体の底から 喉の奥から 迸(ほとばし)るとでも言うか 魂の歌声
それは凄まじいまでのパワーを放出していて テレビで歌っていると
何だか知らないが つい 引き込まれてしまう。
だからなのか 聴き終わった後はこっちまで疲れてる。それぐらい凄い。
デビュー当時の安全地帯では ただ上手いだけの人と思っていたが ここ数年
特に私生活がムチャクチャになってからは なぜか歌が凄くなった。
その理由不明だが 多分 何かを捨てた分 何かを得たのではないかと思う。
そうして玉置浩二は今 歌うモンスターと化し 聴く人の魂を揺さぶるのだ。
そんな玉置浩二の歌で 一番好きなのは 「メロディー」 である。
私には3歳上の姉がいる。 姉は “うたうひと” である。
姉が人前で歌い始めたのは 確か中学生ぐらいからだったと思うが
「今度 学校祭で歌うんだ」 と言ってたのを憶えてるし 高校の頃には
地元の仲間とバンドを組み 社会人になってからも音楽活動を続けていた
当時いくつかのコンテストに出場して いくつかの賞も貰っていたはずだが
正直 ほとんど聴いた事がなかった。 姉が出ているステージを見るのは
妙に照れくさく だから行くとしても 何かの “ついで” みたいな顔をした。
そんな姉の歌をちゃんと聴いたのはいつ頃だろうか。
特に上手いと思っていなかったが イトコの結婚式で歌った時 会場が
シーンとなるのを見て 凄いと思った。ザワザワしていた会場が引き込まれ
同卓のじいさんが ポツリと 「上手いな」 と言ったのを憶えている。
その後 カラオケに行って 間近で歌ってもらうと鳥肌が立つほど感動した。
我が姉ながら 「この人は うたうひと なんだな」 と 思った。
柔らかく 伸びやかな声と 確かな音程。それと表現力なのか 聴いていると
情景が浮かんで来る。 多分それが うたうひと 特有の力なのだろう。
普通の人は頑張っても自己満足するだけだが 歌う人は何かを伝えられる
例えばそれは 悲しみを乗り越える力だったり 例えばそれは思い出だったり
聴きながら 何かを与えられるのが うたうひとの歌 ではないかと思う。
遠くの県へ嫁いだ姉だが 数年に1度 北海道に来た時は 必ずカラオケに行く
去年の3月に 久しぶりに来た時は 姉の長男も一緒だった。
来る時に 飛行機に乗り遅れるという大惨事もあったが 翌日 無事 着き
ウチに着いて なんだかんだ喋った後 「カラオケ行こうか」 となった。
カミさんと姉と甥っ子の4人で 近くのカラオケに行き ひとしきりハシャぎ
3・4時間 経った頃 そろそろ帰る時間になり 姉が最後の一曲を入れた
玉置浩二の 「メロディー」 だった。 画面にその
歌詞 が映し出される。
あの頃は なにもなくて
それだって 楽しくやったよ
幼い頃 いつも姉の後をくっついてた。
姉の友達は自分の友達と思うほど いつも一緒に遊んだし 仲も良かった。
そんなある日 姉が 「明日 公園まで遠足に行くよ」 と言ってきた
姉には双子の友達がいて その姉妹と一緒に公園まで遠足すると言うのだ
もちろん オレも行く と言った。遠足と言っても すぐ近くの丘までだが
小学2年の姉と幼稚園の自分にとって それは大きな大きな冒険でもあった
ワクワクしながら その前夜 眠りについた。
「 あっ! 寝坊した!」
姉のその大きな声で 飛び起きた。玄関には もう姉の友達が待っていたのだ
姉とオレは すぐに支度を始めた だがふと手が止まる。 問題があった
弁当だ。
当時 ウチは両親が共働きで 朝起きると父も母も もう出勤していたのだ。
前日におやつは買っていたが 大事な弁当がない 遠足に弁当がないなんて
それはただのお散歩だ。だが 持たないわけにいかない どうしようかと悩む
当然 今のようにコンビニがあるはずもなく 焦りながら姉は冷蔵庫を開いた
厳しい表情だった。目ぼしいものが無かったのだろう。次に炊飯器を見た
ご飯はあるようだ。姉は悩みつつも 意を決したかのように行動を開始した
姉は冷蔵庫から何かを取り出した そしてそれをお椀の中にブチ込んだ
納豆!
なんと姉は納豆を搔き回し始めたのだ。これは危険だ なんせ 弁当に納豆だ
これ ご法度である。 だって匂いがある。 しかもネバネバだ。
学校で弁当を食う時 納豆が入っていたら その瞬間 フタを閉じるだろう。
そして 帰ってから かーちゃんに 「なに入れてんだよ!」 と怒るはずだ。
それくらい 禁断の一品なのだ。その禁断の扉が今 開かれようとしている。
何とか思い留まらせようとするも 姉の決意は固く もはや躊躇う事もなく
納豆を搔き回す そして次に手に取ったのは茶碗。そこにご飯をブチ込む
その中央に納豆を入れる。 また ごはんをかぶせる。
そして ギュギュギュっと 握り始めた。 いわゆる “納豆おにぎり” である。
今でこそ珍しくないが 当時は新鮮を越え 斬新なアイデアだった
あまりにもな その斬新さに オレは ”持ってくのヤダな” と思ってしまった
だが迷ってる時間も他の策もない。姉は懸命に納豆おにぎりを握っていた
と その時 姉はもう一つナイスアイデアが浮かんだらしい。オレに向かって
「 のりたま 取って!」 と言った
納豆おにぎりだけでも十分 斬新だったが さらに “のりたま” である。
納豆にのりたまに どんな相乗効果があるか知らないが 姉の指令に従った
すると姉は 握られた納豆おにぎりの表面に のりたまを一気にふりかけた
うすうす察しはついてたが 見た目が斬新 いやこれは斬新を越えた 発明だ
その見た事もない形状と 想像もできない未知の味に 内心 かなりビビった
正直 食うのが嫌だった。納豆おにぎりに のりたま。しかも遠足
姉の友達が一緒にいる。それが 恥ずかしかった。
おそらく姉もちょっと恥ずかしかったのだろう。
公園に着いて 弁当を食べようとした時 友達と離れた場所に
不自然じゃないよう そっと離れ リュックをおろした。
芝にシートを広げ リュックを探ると 少し歪(いびつ)な
でっかいおにぎりを出した。
銀紙を剥がしながら 表面にはのりたまがついた それをかぶりつく。
中からネバっと納豆が出てくる。
うまかった。
本当に 美味かった。 のりたまの甘さやしょっぱさと 納豆の匂いと味。
恥ずかしさと だけど 精一杯のおにぎり。
公園までの冒険。 芝の匂い。 青い空。
そんなものが 全部 混じり合って 最高に 美味かった。
姉が 「おいしいね」 と言う。 オレは 「うん」 と答えた。
すると姉の友達が 「どんなお弁当なの?」 と言って 見に来た。
一瞬 恥ずかしく 隠そうと思ったが 姉は堂々と見せた。
その不可思議なおにぎりに 双子の姉妹は「ちょっと食べいい?」と聞く
そして ひと口 食べると 「おいしい!」 と感激していた。
彼女たちの 多分 母親作ってくれたであろうそのお弁当は色あざやかで
たくさんおかずがあって フルーツも入っていて。
それをちょっと羨ましく思いつつも。
だけど オレたちのこのおにぎりには どんなものも敵わないだろう と。
姉ちゃんの作ったおにぎりは 最強無敵のおにぎりだった。
あの頃は なにもなくて
それだって 楽しくやったよ
今も 納豆とのりたまのおにぎりが 大好きだ。
それが思い出の味だからなのか それとも単に味が好きなのか分からない。
でも今も好きで よく食う。カミさんに作ってもらったり 自分で作ったり。
それは いつだって美味い。 遠い昔も 今も。 いつだって 最高に美味い。
姉が歌う その歌を聞きながら
あの時のおにぎりを思い出した。
貧しかったわけじゃなく 辛かったわけでもなく。
けれど 思い出すと切なく。 そして 暖かかった。
その歌を聴きながら ふと涙が零れそうになる。
だが 甥っ子の前で泣くわけにいかず
我慢しながら ジッと画面だけを見つめた。
姉の歌う その歌は オレの泣きうた になった。
玉置浩二
メロディー