1週間ぐらい前 外から子猫の鳴き声が聞こえた。
窓を開け 探してみると 下の方にグレーの子猫がいる。4階からだったから
ハッキリ分からないが おそらく生後2か月ぐらいだろうか。
小さな体が草の中でモソモソと動き ミャーミャーと か細い声で鳴いていた。
その数日後。朝 カミさんが出掛けて すぐに電話が鳴った。
何か忘れ物でもしたのかと思って出てみると 「子猫がいるの!ちょっと来て」 と
焦った声で言う。 どうやら車を動かした時に 車の真下に子猫がいたらしく
轢かなかったが 心配だから見に来い と言うのだ。
すぐに下に降りて行ったが カミさんの車も 子猫の姿も見当たらなかった。
“どっか逃げちゃったかな” と思いながら 見回すと 道路の向こう側に見つけた。
母猫と2匹の子猫。
3匹ともグレーで この前 窓の下で鳴いてたのは どちらかの子猫だろう。
母猫は警戒し ジッとこちらを見ていた が どうも子猫の様子が変だった。
子猫の1匹は 母猫のそばでチョロチョロ動き回っているのだが もう1匹の子猫は
歩道に蹲(うずくま)ったまま動いていない。心配になって近寄ってみると
子猫は生きていたが 目が開いていなかった。生後2か月ぐらいだから 普通なら
もうとっくに目が見えてるはずだが この子猫は先天的なものなのか 病気なのか
目が開いていなかった。可哀そうに思ったが 自分にはどうする事も出来ない。
連れては帰れなかった。
ウチにはルルという1歳9か月の愛猫がいる。こいつを溺愛してるし もう家族だ。
もし病気だったらルルにうつるかもしれない と思うと 連れて帰るわけにいかず
撫でてやる事さえ躊躇った。心配だが飼えない 病気を治してやる事も出来ない
でもこのままじゃ危険だし 何かしてやれる事はないかと考えた。
せめてと思い 缶詰を取りに行った。家には先代猫の残した缶詰がまだあったし
ルルのために買ったが食べない缶詰がいくつかあり その内の2つを持って来た。
下へ降りて子猫の所へ行くと やはり動かない。顔は上げるが目は閉じたままだ。
割り箸で缶詰の中身をすくって 子猫の口元に寄せた だが 食べなかった。
下に置いたら食べるかと思ったが やはり食べない。警戒心かと思い 離れてみた
母猫は まだこちらをジッと見てる。もう1匹の子猫は無邪気に動き回っていた。
動かない子猫の横を 何人もの人が過ぎる。 みんな無関心だった。
出勤を急ぐ人 自転車で走る人 犬を散歩させる人 いろんな人が近くを通った
だが すぐ横で 動かず 声も発しない子猫がいても 誰一人 足を止めなかった。
何かショックだった。自分の家にはたまたま猫がいて 猫を気にするからなのか
無関心でいられる人が分からなかった。そんなもんなのかな と。
とは言え 自分も保護できるわけじゃないし 同じようなものか と思った。
結局 子猫は缶詰を食べる事なく 代わりに母猫がガツガツと食べていた。
その2日後。日曜の朝 出掛けようとしたら 駐車場で子猫の声が聞こえた。
どこにいるんだろうと見回したが 姿は見当たらない ミャーミャーと声だけがする。
アチコチ探し回ってると 女の子の声が聞こえた。何かを探してるようだ。
「あっちに行ったのかな」 「そうかも」 少女 2人の声だった。
ちょうどその時 子猫を見つけた。ウチのマンションと隣のマンションの僅かな隙間
長い雑草の影に子猫はいた。 おそらく この前見た 元気な方の子猫だろう。
目の見えない子猫と母猫も探してみたが 姿は見えず この1匹だけだった。
「・・ どこにいるのー?」 また少女の声が聞こえた。この子猫を探してるのだろう。
「ここにいるよ」 と教えてあげた。すると 隙間の奥の方から 少女が出てきた。
小学1年生ぐらいだろうか。塀の上を伝って 目を輝かせながら女の子が出てきた
「子猫 どこにいるの?」 と聞く。 草をよけて 子猫の姿を見せてあげた。
「あーいた!」 少女は喜んでいた。子猫は少し怯えるように こちらを見上げた。
「グラン 大丈夫だよ グラン」 と少女が言う。 そして 続けて言った。
「グランって 名前 つけたの」
多分 グレーだからグランなのだろう。 何か妙に嬉しかった。
たくさんの人が無関心で過ぎるのを見たから こうして 気にしてくれてる子がいる
そんな事が妙に嬉しかった。何か救われたような気持になった。
「この子猫には お母さん猫と兄弟がいるんだよ」 そう教えてあげると
「この前 目 見えない猫いた」 と少女が言った。 この子は やっぱり知ってた。
そんな話しをしていると 奥からお姉ちゃんらしき女の子が出てきた
小学5年生ぐらいだろうか。お姉ちゃんはちょっと会釈して すぐ子猫を覗き込んだ
姉妹はしばらく子猫を見ていたので その内にと思い 急いで缶詰を取りに行った。
また2つの缶詰を持って降りたが 子猫の姿も 姉妹の姿も見当たらない。
探してみると 隙間の奥の方にいた。缶詰を開け 「これ あげて」 と妹に手渡した。
妹 「これなに?」
俺 「猫の缶詰だよ」
妹 「猫の缶詰って あるんだ」
俺 「うん あるよ」
妹 「なんで 持ってるの?」
俺 「ウチに猫 いるんだ」
妹 「えーほんと!」
そんな会話をした。小さな事 ひとつひとつに好奇心と驚きがある。無邪気だ。
そこにお姉ちゃんが来ると 妹は今知った事を1つ1つ報告していた。
この子猫には お母さんと目が見えない兄弟がいる事 猫の缶詰がある事
俺の家に猫がいる事さえ報告していた。「ありがとうございます」 と お姉ちゃんが
缶詰のお礼を言う。もう1つの缶詰をお姉ちゃんに 「これもあげて」 と渡した。
お姉ちゃんは もう一度 「ありがとうございます」 と元気な声で言った。
用事があるため 急がなければならなかったが 最後に一度 子猫の方を見ると
マンションとマンションの隙間 奥の方に 小さな一枚の皿が置かれていた。
多分 この姉妹が置いたのだろう。 この子猫たちのために。
あの子たちが飼ってくれたら と思いつつ その場を離れた。
命を全(まっと)うさせるのは 簡単じゃない。
2年前のちょうど今頃 16歳の先代猫が最期を迎えようとしていた。
食事と薬を交互に与えながら 毎日 格闘した。その時 ずっと心にあったのは
「命を全うさせたい」 ただそれだけだった。
何が良いか悪いか 猫にとって何が幸せか そんなのは分からない。
分からないから 全て尽くすだけだった。 そして尽くした。
寿命というものが決ってるかどうか知らないが 命を全うするのは簡単じゃない。
次のカーブで車が飛び出てくるかもしれないし 明日癌の告知されるかもしれない
動かぬ子猫はカラスの餌食になるかもしれないし 病気が悪化するかもしれない
毎日 起こりうる命の危険を回避しながら その生涯を全う出来たら 幸運なのだ。
そんな事を2年前の震災や 猫を亡くした時に 強く感じた。
だから簡単に 人に 「飼ってあげて」 とは言えない。
あの子猫も 姉妹が飼ってくれたら とは思うが おそらく難しいだろう とも思う。
ただ 子猫を可愛いと思った事 少しでも世話した事 は きっと忘れないと思う。
そして その想いは いつかきっと 彼女たちの何かに役立つだろう と思った。
命の尊さみたいなものが 残れば と。
そんな出来事があった事を カミさんに話した。
子猫の1匹は目が見えない事 缶詰を食べさせた事 みんな無関心だった事
少女の姉妹に会った事 グランって名前をつけてた事 皿が置いてあった事
何か救われた気持ちになった事 だけどウチでは飼えない それも大事な事だと
一連の出来事を話した。 すると全部を聞き終えて カミさんは言った。
トトロみたいだね と。
確かに。
サツキと メイと 小トトロと トトロ
ひと夏の物語かもしれない。