いやー いまだ引きずってます。
野洲高優勝。
ちょっとセンセーショナル過ぎました。
なんせ あの特異なサッカースタイルで優勝ですからね。
どうやってあのサッカースタイルが作られたのか?
なぜ優勝できたのか?その原動力は何なのか?
どうにも こうにも 気になったわけですよ。
何より 監督。いったい何ものなのか?と。
42歳という同世代の人物。これが一番 気になりましたね。
よく芸能人でも同い年だと 親近感とかライバル視とかあるじゃないですか
あんな感じだと思うのですが とにかく気になってアレコレ調べました。
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山本佳司
野洲高校サッカー部監督 42歳
滋賀県出身 水口高~日体大 共にレスリング部に所属
大学4年の時 ドイツへ留学 そこでサッカーと出会う
以降 滋賀県内の教員 サッカー部監督を経て 野洲高へ
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まずは その経歴に驚きました。
学生時代はレスリング一筋だったようです。それが なぜかサッカーへ。
競技の質も全く異なるもの。個人競技のレスリングと団体競技のサッカー
そこに何の共通点も見い出せないまま なぜサッカーに至ったのか?
なぜ全国優勝が出来たのか?あのサッカーはどうやって作られたのか?
あらゆる疑問が 更に興味を膨らませましたね。
まず 野洲のスタイルと言えば
ポゼッションが高く アイデアとコンビネーションで多彩な攻撃を仕掛ける
個人技の特化。特にドリブルの多さ 巧さは突出したチームカラーでした。
こういうスタイルの高校は 今までも静学を始め 多くあったのですが
欠点として ”組織力・ハードワーク・精神力” など不足するのが多々あって
魅力的ではあれど 勝負弱さもあったと思われます。ただ今回の野洲高には
コンビネーションや組織力が見えましたし 賢さもあった。
また激しさやハードワークもあり 従来のスタイルとは少し違ってました。
その辺は上手いだけじゃない 体の強さや内面の強さも持ってたんですね。
で 見てて思ったのは ”ユースを思わせるスタイル” という事でした。
小・中・高と一貫してチーム作りが出来るユースでは 長い時間を掛けて
戦術の浸透や組織力・コンビネーションなどを培う事が出来ます。
一方 高校の部活は最長で3年 多くの選手は1年半ほどのプレー期間だから
監督も結果を出しやすいシンプルな戦術を敷くのがスタンダードです。
ただ野洲高には 長時間掛けなければ作れないコンビネーションがあって
また選手の意思統一や戦術の浸透も 長い時間を感じさせるものがあった
そんな野洲特有のスタイルが ユースを思わせたんじゃないかと思います。
更に 滋賀県という地域。ぶっちゃけて言えば 決して有利な土地じゃない。
生徒数もそう多くないだろうし 地域として潤沢な資質があるわけじゃなく
その中で どうやってあれだけ優れた選手や魅力的なサッカー生まれたか?
その辺もまた謎であり 興味をそそりましたね。
で こうしたチームの作り方を見ても この山本佳司という監督
どこかでプロか もしくはユースの指導をしたのではないかと思ってました
ですが 経歴にはなかったですね。高校の監督が主なところでした。
で この辺りまで調べると やはり疑問は大きくなりましたね。
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■監督
サッカー経験者ではない指導者
キャリアのほぼ全てを滋賀県内の高校サッカー部監督で占める
■チーム
滋賀県という限られた資質
イマジネーション豊富なサッカー
ユースもしくはクラブチームを思わせるスタイル
その特異なサッカーで結果を出した
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こうして見ても 全国優勝するにはどれだけ困難な事かと思います。
それでも優勝した野洲サッカー。全力の鹿実と戦い 結果を残した。
その事実の裏側に何があるのか 更に調べてみました。
すると ひとつ出てきた答えがあります。
セゾンFCここが 野洲高の鍵を握っていたようです。
【セゾンFC】 滋賀県の地元クラブチーム。創立約20年。
出身のプロ選手は 倉貫(甲府) 坂本(湘南) 中井(水戸)などがいる。
このクラブチームの出身者が揃って 野洲高へ入学を果したのが3年前。
FWの青木君始め 今回優勝した主な選手は このセゾンFC出身者でした。
その辺はテレビでも言われてたことなので 多少分かってはいましたが
調べる内 野洲サッカーの原動力となる人物に突き当たりました。それが
セゾンFC代表 兼 監督
岩谷 篤人
HPから見る強面(こわもて)の風貌。ぶっきらぼうな言葉。
その独特なキャラクターは ある種 人を寄せ付けない所もあるようです。
この岩谷氏がコーチとして野洲高へ加わったのが 3年前。と同時に青木ら
セゾンの選手も野洲高へ入学した と。セゾンの下地と野洲高の積み上げ。
それが野洲高優勝の大きな原動力になっていました。
それまでは “セゾンFC→静学” というルートがあったそうで 倉貫・坂本が
その例になるようで 言われてみれば 当時の静学も個性的なチームだった
記憶があります。今となってみれば そういうことか と納得しますね。
そういった流れを 野洲へと移したのが この山本監督なんですね。
セゾンFCへ何度も足を運び 岩谷氏へお願いにあがったそうです
その熱心さに心を動かされ セゾンFC→野洲高というラインが出来た
それが中井らの時代かと思われます。そしてセゾンFCの体制の変化を機に
岩谷氏も野洲高へ加わったそうです。セゾンFCは現在も運営してますから
岩谷氏はセゾンを運営しつつ 山本監督のサポート役として 野洲高に
関わってるという事なのでしょう。
この辺りまで知ってくると いろんな謎が解けるようでした。
例えば 岩谷氏の招聘。監督のキャリアを補う意味での経験者がいる。
例えば セゾンの存在で 高校サッカーでありながら ユース色が強い事。
例えば 継続性。セゾンの方針・理念が そのまま野洲に受け継がれている。
と、こうして 「野洲高の影にセゾンあり」 というものが見えて来ました。
ただ 強さの秘訣はそれだけじゃなく”セゾンの理念にある” と思いました。
その理念は 岩谷氏の理念 そのものなのでしょう。
今 勝つに こしたことはないけど
負けてもいいから 魅力ある選手を育てようそれが この人の根底にあるもの。
セゾンへ入団した少年たちは この理念のもと 成長してゆく。
今 勝つ事を求めるか。将来 勝つ事を求めるか。
その選択によって 未来は変わって行く。
その事を重々理解した上で 指導にあたっている。
それがセゾンFCの理念。岩谷氏の理念。
なるほど。
こういう人が 後ろにいて 野洲高のサッカーがあった。優勝があった。
更に言えば 岩谷氏を動かした 山本監督。
この人もまた凄い。
岩谷氏が野洲高のサポートしたのには 色んな理由があったと思います
ただ その一番の理由は “山本監督の熱意だった” とありました。
例えば仕事で 自分が出来ない事がある場合
出来るよう努力する人 出来ないからと断る人 出来ないけど誤魔化す人
色々あるのでしょうけど 一番 手っ取り早く プロとしての選択は
”出来る人を引張って来る”
だと思ってます。山本佳司という監督は それをやったんでしょうね。
絶対に野洲高を強くしたいという思い その信念でセゾンFCに突撃した。
そこには既に 静学とのラインがあったにも関わらず その壁を突いた。
何度も。そして その熱意で人を引き込み 動かし 成し遂げた。
やっぱり この人に敬服します。
「高校サッカーを変える」
それは 言うは易く行うは難し。
ですが野洲高は その言葉通り 高校サッカーのあらゆる面に一石を投じた。
それは 単に高校の大会で優勝した というものじゃなく。
クラブチームと高校部活の融合。
それは新しいスタイルであり 選手たちの未来までも明るくするもの。
10年先 20年先を見据えた育成。
それは10代の選手にとって 大きな指針に成り得るのではないでしょうか。
どんな地域であっても その可能性は無限。
大都市ではない 強豪校でもない 野洲高が成し遂げたということ。
そして従来とは違う 新しい形の指導力も 野洲高が見せたものであります。
42歳 サッカー経験のない山本監督と 54歳 経験豊富な岩谷氏。
そこには やり辛さもあったと思います。それぞれの立場がありまから。
ですが 岩谷氏が下で支える側に徹したこと。
更に山本監督は 岩谷氏を含めたチーム全体を指揮し 全てを融合させた事
それが今回の野洲高というチームを作り上げたのだと思います。
野洲高の あの自由な発想力 それを具現化させる力は
山本氏・岩谷氏の絶妙なバランスの上に成り立っていたわけです。
色んな謎が解けたと同時に
この2人の成し遂げたことが どれほど大きな事だったか
改めて認識しました。
今回 野洲のサッカーを調べるにあたり 色んなサイトを見て回りましたが
その中で セゾンFC・野洲高に近しい方の文章がありました。
そのブログがこちら。生の言葉や その舞台裏を読み進めながら 山本氏 岩谷氏の2人が
何に挑戦していたのか 僅かながら 知ったような気がします。
そして 晴れて日本一となった後 岩谷氏が言った言葉が記されていました。
koojimcさんのブログより ------
祝勝会後に行われたあのメンバーでの
最後のミーティングでの最後の岩谷氏の言葉。
一言一句逃さず記す。
あのな俺な…お前ら好きやわ。
いい奴らやお前ら。 いいもん見せてもうたし。
お互い約束守れてよかったな。一年生の時に全国制覇する言うてな。
本当によかった……。これからもまた仲良くしよなみんなな。
これで終わりとちゃうで。俺らは……同じ絆の中で戦ってた。
俺も戦った。だから今フラフラ。お前らもそうや思うけど。
この絆はさ、一生……。俺はさ、早よ死ぬかもしれんけどな…。
俺が死ぬまで……友達でいような
1月10日 記載
友達いよう か。
まいった。まいりました。
遥か高く聳(そび)える壁へ挑戦した2人。
その理想を体現し 結果を出した野洲高選手たち。
その関係が 指導者と部員から ”友達” へと変わろうとしてる 今。
何だか 本当に 凄い としか言えませんね。
良かった。野洲高。
本当に 優勝おめでとう。
そして 次のフィールドを目指せ。