君は魂の歌声を聴いたことがあるか?
まるで地の底から湧き上がる マグマのような
隠しても 隠し切れない 魂の歌声を
私は聴いた
それは定山渓 温泉ホテルの スナックで。
音楽について知識も興味もない私だが それでも時々は音楽番組などを見る
新しいミュージシャンも 新しい曲も 何も入る事なく ただ眺めては
「最近の歌手は カラオケが上手いんだなぁ」 などと評論家調を吐く。
分からないながらも 「うたごころ」 みたいなものは感じ取れるわけで
今の人や曲に あまりそれを感じないのだ。
BGMに合わせて上手に歌えているだけの歌手
要するに「カラオケの上手い人」が氾濫していると感じている。
プロならば その根底には「うたごころ」を持っていなければならない。
その欠片(かけら)でも見えた時 聴こえた時
始めて「うたうたい」と呼べるのではないだろうか。
いや それはプロでなくても聴こえる時がある。
体の奥から湧きいで 喉をつたい 魂の欠片がボロリと出る。
浴衣姿の マイクを持ったオヤジから 本物の 魂の歌声を聴いた。
私と友人2人は 冷ややかだった目が 羨望に変わり
いつしかオヤジの造りだす世界に 引き込まれていた。
あれは5~6年ぐらい前だろうか。紅葉の季節だった。
友人が「温泉 行きましょうよ おれ オゴリますから」と言った
彼の仕事の関係で 定山渓温泉某ホテルの宿泊券が安く手に入るとのこと
男2人で温泉 それはちょっと気味の悪いものではあったが
せっかくの誘い 断る理由はなかった。だが仕事が多忙であったため
2人とも徹夜状態で行ったのを覚えている。
部屋は割りとゴージャスだった。
広めの洋室に 畳敷きの和室 眺めも良く 女性と来るなら最高の部屋だ。
だが今回は男2人。仲居の目が怪しんでいた。喜びは半減した。
一息つくとまずは寝た。温泉にも入らず ただただ疲れきった体を横にした。
薄れゆく意識の中で 「今 襲われたら抵抗できないな」とシャレにならないことを
考えながらも 睡魔には勝てず 気を失った。
目が覚めたのは3時間後。時計を見ると 間もなく食事の時間だった。
友人も隣のベッドで気を失っていた。慌てて起こす。
「おい 風呂 行くぞ」 1泊2日の温泉 楽しむ時間は限られている
ましてこの無駄にゴージャスな部屋も食事も堪能できないのなら来た甲斐がない。
一休みしたのだから これからは一気に温泉を楽しまなければならないのだ。
と気は焦ったが 頭はまだ覚めていない。2人とも朦朧とする意識のまま
フラフラと風呂場に向う。大浴場は地下に一つ 屋上に露天風呂が一つあった。
まずは地下の方から入り 3分で上がる。急いでいるのだ。間もなく食事の時間だ。
今頃 部屋に運ばれてるはずだ。急げ。次は屋上だ。急げエレベーター。
最上階に着くと 長い廊下を抜け 露天風呂の入り口が見えてきた
急ぎ足で廊下を歩いていると ふと目に留まった看板があった。
「カラオケスナック・飲み放題3千円!」 ホテルの中にあるスナックだった
夕方 すでに営業しているようで 店のドアの前に20代の女性が立っていた。
小走りで 肌蹴た浴衣 まだ朦朧とする意識 スナックの看板 ドアの女
一瞬の内にインプットした。慌てながらも そういう所は見逃さない。
それは男の性(さが)だ。悲しいほど性だ。
屋上露天風呂。爽快だった。遠くに山々 斜面には紅葉。暮れゆく陽。
ようやく「温泉に来た」気分になった。目を瞑り気を安らげる
と その時 露天風呂入り口ドアが騒がしい。何か?と目を移した。
するとそこには 女性の団体がいた。 年の頃なら70代だろうか
女性 いや ばあちゃん達はタオル1枚の姿で ドアの向うに立っていた。
焦った 気持ちがようやく穏やかになったのに またも心拍数が上がる。
「混浴だったか?」 咄嗟に友人に聞いた 返事はなかった 考える
いや違う 入り口には“男湯”とシッカリ書かれてあった。
この屋上露天風呂は時間帯で分けられているはずだ。今は間違いなく男湯だった。
だが ばあちゃん達は怯(ひる)む様子もなく 入ってこようとしている
笑いながらドアを開けようとしているのが ガラス越しに見えた
友人は恐怖に固まっている これは危機だ。いろんな意味で危機だ。
タオル1枚のばあちゃんたちが 代わる々覗き込んでいる。
いくらジェスチャーで「今は男湯 入ったらダメ」とやっても 気にしていない
なんとしても入ろうと ドアノブをガチャガチャやっている。
恐怖だった。全てが恐怖だった。
あのドアが破られたら… そう思うと2人は凍りついた。
疲れた体。朦朧とする意識。恐怖。紅葉。露天風呂。廊下の女。ばあちゃん。
様々なことが走馬灯のように過(よぎ)った。
身の危険とは ここまで人をパニックにさせるのか。恐怖は極限に達した。
と その時 先頭のばあちゃんが 突然 手を振り出した。
バイバイと言っている。どうやら諦めてくれたようだ。ホッとした。
だが 次のばあちゃんも その次のばあちゃんも 代わる々 覗き込んでは
バイバイをする。そしてクルリと背中を向ける。その度に後姿を見せるのだ。
タオル1枚 隠すべきは前 となると後ろは無防備だ。マッパなのだ。
ひとり ひとり 私と友人に その美しく無防備な背中を見せながら消えて行った。
遠くで ばあちゃん達の高笑いが聞こえた。
私 「そろそろメシ 用意できてるんじゃないか」
友 「なんか 食欲 ないっすね…」
軽くうなづいた。
疲れた。温泉に来てここまで疲れるとは思わなかった。
あまりにも精神的につらい出来事だった。2人はやっとの思いで浴衣を着た。
脱衣所を出て 部屋へと向かう また長い廊下を歩きながら スナックを見た。
ドアの前の女が替わっていた。
どんなショックを受けようとも 精神的にヘトヘトでも そういう所は見逃さない。
それも男の性(さが)だ。 そうさ男の性なんだ。
部屋に戻ると 食事の用意が出来ていた。和室側のテーブルに置かれた品々。
見るからに美味そうではあったが 食欲が問題だった
2人とも ただ黙って食った。美味いことは美味い。
だが 我々は傷つき過ぎた。さっきのショックが生々しく残っている。
温泉にも入った。露天風呂も行った。食事もした。だが堪能はしていなかった。
食い終わると また寝た。1時間ほどして ふと目が覚めた。
身も心も憔悴(しょうすい)している。だが これではいけない。
せっかく温泉に来たのに このまま楽しまず帰るわけにはいかない。
友人をまたも起こした。
「おい あのスナック 行くぞ」
最後の望みだった。温泉堪能のリーサルウェポン。温泉スナック。
これだ。これしかない。ここで爆発するしか 道は残されてないのだ。
祈るような気持ちで廊下を歩いた。ドアの前に女はいない。
だが営業はしているようだ。中から男女の笑い声 カラオケの歌が聞こえる。
ドアを開ける。店内はかなりの人が来ていた。
11月 北海道では「観楓会(かんぷうかい)」なるものが催される。
春に花見が盛んでない分 秋に紅葉を楽しむ風習があるのだ。
会社単位で行なわれることが主で 秋の社員旅行を観楓会とする事が多い。
温泉ホテルのスナックでは この観楓会で来たサラリーマンが溢れていた。
店内に入って行くと 女将のような女性が聞いてきた
「コンパニオンがいっぱいで 付かないけどいいですか?」
「いいですよ」と言いつつも また男2人か…と内心 折れ掛けた
だが ここで楽しむしかないのだ そう決めて来たのだ。
友人はビール 私は昭和の味がするジュースで乾杯した。
一口飲んで また落ち込んだ。
W杯の話しをするも 友人は86年メキシコ大会 私は98年フランス大会と
噛み合わない話題に 溜息が出た。ジュースを飲んだ。また深く溜息が出た。
最後の砦が崩れつつある。
リーサルウェポンは何の力も発揮できないまま 終焉が見えた。
その時 それまでガチャガチャとうるさかったカラオケから
突如 ムーディなイントロが流れて来た。
それまでの演歌調から一転した曲。
シャンソンだった。
普通のカラオケスナックでも おじさん方が好むのは演歌やバラードだ
だが この温泉スナック コンパニオンのおねいさん達と戯れながら
「キャー」だの「おー!」だの奇声が聞こえる一種異様な世界の中
突如 異世界が流れた。 シャンソン。
思わずステージ上 スポットライトを浴びる男に注目した。
そこには 浴衣がはだけ 髪は枯れ山 目は空ろな 50代の男がいた。
マイクを握り 目を瞑る。流れるイントロ 既に入り込んでいた。
だが 同僚・部下であろう仲間達は誰も注目してはいない。
全員が横のコンパニオンに心を奪われている。
オヤジはゆっくりと唄い出した。聞いたことはない曲。
だがシャンソンであることに間違いはない。唄い方が越路吹雪いていた。
この あまりにもな選曲に我々は噴き出した。しかも超本気のシャンソンだ。
出だしの5秒で噴き出した。ビールと昭和ジュースが越路吹雪いた。
オヤジが唄い終わると 仲間は儀式のように拍手する。
この無反応さにも驚いた。温泉スナックでシャンソンを歌い上げる。
そう簡単に経験できるものではない。こっちはそれだけで超ハイテンションになった。
だが 仲間達の反応は 「はいはい またシャンソンね」とでも言わんばかりだ。
そうかこのオヤジ いつもコレなんだな。そう読んだ。
新入社員なんかは驚くのだろうが それが毎回毎回だと クドくなる。
まして ピッカリオヤジのコッテリシャンソンだ。越路吹雪いている。
上手く対処する方法を見つけなければ 向こう側へ引き込まれるのだ。
おそらく あの淡白な反応は 自己防衛による精神的措置と言えよう。
だが 素人の我々には シャンソンオヤジのパワーは強烈過ぎた。
「もう1曲 聴いてみたい」 そう切望するようになってしまった。
シャンソンオヤジは その気配を感じ取ってか レパートリーを披露し始めた。
今度は素人にも分かりやすい曲を選んだ 「サン・トワ・マミー」
もちろんシャンソンだ。もうオヤジはノリノリだ。我の世界を暴走した。
こっちはもう堪らない。柿ピーが一気に噴出した。
がしかし 我々の顔から次第に冷笑が消える
このオヤジの超本気なシャンソンに 不思議な力を感じ始めたのだ。
なんだ?このオヤジの創り出す世界は?
おっさんが「カッコいいだろ?」と唄っているのではないのだ。
「マイウェイ」的であって「マイウェイ」ではない。
体の奥底から 湧き出でるような
表面上で形だけのモノではない 魂の声のような
まさに それはブルースだった。 本物のブルースが聴こえた。
我々は すでに引き込まれていた。
この シャンソンに 魂のブルースに
本物の 「うたうたい」 のオヤジに 引き込まれた。
2曲目が終わった時 同僚達から失笑が聞こえた。
「あー 入っちゃったよ」的な。確かにオヤジはオヤジワールドに入り込んだ。
だが その魂が お前らには届かないのか?うたごころは分からないのか?
オヤジに魅了されていた私には その失笑が腹立たしかった。
私と友人は小さな拍手を贈った。魂の欠片を放出したオヤジに届いただろうか。
友 「いや しかし 凄いオヤジがいるもんだね」
私 「いやー 何か来てよかったな いいもん聴いたよな」
そんな会話をしつつ オヤジの次の曲を待った。
がしかし オヤジは唄わなかった。たぶん あの失笑を感じたのだろう。
「また やっちまった」的な雰囲気が オヤジから醸し出ていた。
何か残念な気持ちになりつつも まさかリクエストするわけにもいかない。
いや もしリクエストしたならば 店中の人間を敵に回す事になる
オヤジのシャンソンは それ程 場違いな空気を放出していた。
そのまま テンションが下降するのを感じつつ 1時間ほど店にいた。
「そろそろ出るか」 どちらともなく言った。
そして席を立とうとした時 またイントロが流れた。オヤジだ。シャンソンだ。
座り直す。マイクを握るオヤジに注目した。
「愛の賛歌」 だった。
歌の出だし オヤジは明らかに遠慮していた。
さっきまでの 魂のブルースではなかった。
軽く 出来るだけ場を壊さないように唄っていた。
オヤジ 違うだろ。お前の魂は お前の叫びは。
魂の歌声を もう一度 聴かせておくれ。
そう願った。私も友人も オヤジだけを ただ一点を見つめていた。
魂の出る瞬間を見逃したくなかった。オヤジは少しづつ入ってゆく。
目を瞑り 世界を創り出してゆく。オヤジの後ろに枯葉舞う街路樹が見えた。
切なくも熱い愛の歌を だんだんと創り上げいてゆく
気持ちが入って行くのが分かる。オヤジのコブシが固く握られた。
隠そうとするも 湧き上がる魂は隠し切れない。オヤジの葛藤は続いた。
場の空気か? 我の魂か?
内なる己と戦いながらも 唄い続けるオヤジ。だが限界が近い。
と その時 客が口笛を吹いた。煽りを入れたのだ。
一瞬 オヤジはニヤリとした。だが その油断が 隙間を与えた。
支えていた心の箍(たが)が 外れた。魂が出る。
頭頂がキラリと光る。マイクを持つ方の手は 白くなるほど強く握られた。
もう誰にも止められない。
オヤジワールドは 開放された。
肩を震わせ 腕を何度も振り下ろす 髪は乱れ 浴衣は肌蹴る。
それでもオヤジは唄う。それはまさに魂の歌声だった。
隠そうとしたが 隠し切れなかった 魂のブルース。
♪固くいだき合い 燃える指に髪を
からませながら いとしみながら
口づけを交わすの 愛こそ燃える火よ
最後のフレーズは オヤジのありったけの 渾身の 魂の
全てを賭けた歌声。いや それは愛の叫びだった。
♪あたしを 燃やす火~
心とかす~
こ~~
い~~~
ぃよぉぉぉ~~~~~ ♪
オヤジは美輪を越えた 越路を越えた。
“ブラボー” 心の中でそう叫びながら 大きく拍手した。
オヤジは深々と頭を下げ こちらを見た。気持ちは届いていた。
席に戻るオヤジは だんだんと魂が抜けていくように見えた
オヤジが席に座ると同時に 私たちは席を立った
まだ 興奮が冷めやらぬまま 店を出ようとした
ドアの所で もう一度オヤジを見た。同僚とコンパニオンに挟まれ
水割りを口にするオヤジは 魂の抜け殻のように ただそこに座っていた。
だが 我々の心は熱く迸(ほとばし)っていた
オヤジの魂に共鳴したのだ。漲る力を分け与えられた気がした。
オヤジ その歌声は忘れない。
音楽の事はその時も今も まるで分からない。
その時からシャンソンが好きになったわけではないし
シャンソン自体 なにが良いのか分からない。
ただ 魂は感じ取れる。
オヤジが 心の底から好きであろうシャンソン
それを唄うことによって 解き放たれる魂が 私に響いた。
そういうことなのだ。
この「蹴馬鹿」は あの時の あのオヤジの魂を継承したものだ。
シャンソンがサッカーに代わっただけなのだ。
「好きなものに熱くなる」 その魂は尊敬したい。
オヤジは 場の空気が悪くなろうとも 仲間から失笑されようとも
魂の歌声を響かせた。熱く滾(たぎ)る想いを開放させた。
応援するチームの成績が悪かろうとも 失笑を買おうとも
サッカーを誇りに思いたい。
オヤジの唄を思い出すたび そう思う。
温泉ホテルで聴いたあの歌声は 魂の歌声は 今も響いている。
ああいう人間になりたいと思った。
好きなものに一途に そして熱く。
我の魂を優先させ その世界を築き上げてゆく。
それは いつか人を共鳴させ エネルギーを与える力を持つ。
あの時の 自分がそうだったように。
シャンソンオヤジの歌声は 私に響いた。
それは事実だ。
君は魂の歌声を聴いたことがあるか?
まるで地の底から湧き上がる マグマのような
隠しても 隠し切れない 魂の歌声を 私は聴いた。
それは いつしか私の財産になった。