勝ちましたね 水戸戦。
試合は見てないんですが
リポートを読む限り 「まぁまぁ」の試合だったようで。
ただ 中で気になったのは 水戸・アンデルソンについての文章
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監督は 「簡単にプレーをすることと周りを使うこと」 を話したという。
まじめなアンデルソンは監督の指示に従い以前に比べ球離れは数段早くなった
しかし、それによりドリブル突破の脅威はなくなったのも事実。
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こういった一文を読むと つくづく 「外国人は難しいな」 と思いますね。
勝負しなくては持ち味が出ない だが持ち過ぎるとチームサッカーにならない
特に外国人はサッカーのためだけに 異国へ来てるのだから
存在感を示さなければ意味がないわけです。
まして生まれ育った環境や サッカーに対する意識が根底から違うのですから
「お互い理解できない感覚」ってのは あるんじゃないでしょうか。
そんな中でも 日本人的感覚を身に付けようと努力し
長くJリーグでプレー出来る選手が 何人かいます。
例えば以前なら ビスマルクやアマラオがそうですし 現役ならドゥトラもそう
レッズのワシントンも「日本に合ったプレイヤー」と言えるのではないでしょうか。
こういった外国人選手の特長としてあるのが
バランス感覚に優れている
という所じゃないでしょうか。
例えば 「ここは個人技」 と 「ここはチームプレー」という使い分けが
見ていても違和感なく出来ている選手じゃないでしょうかね。
代表でも 三都主のプレーに「ちょっと違う」的な違和感があったのですが
先日のサウジ戦 早めのセンタリングが多く 非常に淡白なプレーに終始しました。
ポジションがトップ下に変わった事も理由でしょうが もうひとつ
オシム監督からの制約はあったかと思います。
その事が良いか悪いかは別問題として 個人的には 三都主のプレーに
物足りなさと言うか 「それもまた ちょっと違うな」と思いましたね。
要するに 昨日のアンデルソンにしても サウジ戦の三都主にしても
監督の指示と 個人能力を発揮する所のバランスを持つべきではないか?
その判断力の中に日本人的感覚が必要なのでは?と思いますね。
制約されれば淡白に 言わなければ持ち過ぎに と両極端では
チームとして使いづらい選手になってしまうんじゃないでしょうか。
見る側としても 「今のプレーは分かる」という感覚を持てれば
多少強引でも 持ち過ぎでも構わないんですよ
闘莉王のプレーでも 「オレが」 という強引さがあるんですが
感覚として分かるんで納得できるんですね。
その辺は 資質や感性のものなんで 努力して伸ばせる所じゃないですから
難しい部分ではありますけどね。
さて フッキ。
これを読むと 来季の残留はないようです。
先日の天皇杯・ジェフ戦では チームプレーの意識が見れました
ですが 次の愛媛戦では いつものように我侭なプレーが多かった。
出停も含め 扱いづらい選手である事は違いないかと思います。
ただ 同時に決定力の魅力は 他にそうないほどのものです
クラブとしては 代わる選手を探すのは難しいでしょうね
既に話しを進めてる選手もいるようですが 今年の問題を含めて
外国人選手 選択基準の第一は
バランス感覚を持った選手 であってほしいですね。
出来れば保有できる選手で。チームプレーが出来る選手を。
日本人とは違った感覚を持ちつつ 日本人に合わせられる選手。
一緒に 段階的に 強くなれる選手を選んで欲しいと思いますね。
見てて面白いサッカーをしてくれるなら
外国人がいなくても 全然 構わないんですけどね。