あなたは スタジアムで 1人で居ますか?
それとも 誰かと居ますか?
あれは02年の秋ごろ。
カミさんに向かって 突如 こんなことを言った
「オレ サッカー仲間 作るから」
今 思えば 何を決意してそう言ったのか 全く覚えてない
カミさんは不思議そうな顔をし 「仲間って?」と聞き返す
私は答えに困った。元々何となく口をついた言葉である
「仲間を作る」ことに何かメドがあったわけではないのだ。
カミさん 「じゃ ゴール裏に行くの?」
そう質問された時 そういう手があったか と思いつつも
「それもちょっと違うかな」 と答えた。
と言うのも サッカーは好きだが 応援にはさほど興味がなかったからだ
ゴール裏の輪の中に飛び込んでいけば それなりに知り合いはできるだろうが
根本的なところで質が違えば 長続きしないだろうと思えたのだ。
言ったはいいが さてどうやって仲間を作るか? そう思案した。
あれから4年。
今は仲間がいる。そう多くはないが サッカー仲間と言うより 友人である。
つい昨日も サッカーとは全く違う事で コヒカとしのかいに相談すると
すぐに力になってくれた。「サッカー」という枠組みはとっくにないのだ。
「仲間を作る」 あの時 何気なく言った言葉が
今 こうして形になっていることに 喜びを感じている。
「サッカー仲間」から 「友人」となった出来事がある。
あの時のことは 今も鮮明に残っている。
それは04年8月25日 厚別・福岡戦。
その日 埼玉から すがさんが帰省を兼ねて観戦に来ていた。
忙しさでお盆休みが取れず 少しずらした休暇になったらしい
午後5時 厚別競技場に着き すがさんを待った
その日は8月にもかかわらず 風が強く吹きつけ 秋を思わせる気温で
アウェイ側B自由に座っていた私は 身を縮まらせるような寒さを感じていた
20分ほどしてだろうか すがさんが到着した。
空が紅々と染まり 夕日が沈む。
試合開始を待ちながら いろんな話しをした。
04年の8月 新居の事件があった直後の試合
経営不振・成績不振 さらには飲酒事故までも起こり その先 どうなるのか
チームに対する不安は高まるばかりだった。
話すことは不満や愚痴ばかりで そんな思いの塊がひとつの質問になった
k「コンサドーレは大丈夫?」と。
チームは存続して行けるのか?特に経営面で大丈夫なのか?
その辺りに詳しいすがさんの言葉が 一番の頼りだった。
すが 「大丈夫ですよ」
きっぱりと そう言った。
私は なぜかこの人の言葉を全部 信用する。
サッカーの事については 大体の事に私見を持っているが 分からないことは
すがさんに質問する すると大抵の事は答えてくれるし 納得もできる
そんなすがさんの言う 「大丈夫ですよ」 とても心強かった。
スタジアムに吹く風は冷たかったが 少しだけ温かくなったような気がした。
陽は落ち 辺りが暗くなる。試合開始が近かった。
私らの周り アウェイ側B自由は座る人も少なく ポツポツと人がいるだけ
それも仕方がなかった。チームはあらゆる面でどん底と言える状態
更にその日はディゲーム それも盆休み直後の水曜開催だった。
いろんな意味で集客の望める試合ではなく 仲間内からも
「今回 行くのはちょっと無理そう」 という声がほとんどだった。
すがさんが来たにも 残念ながらタイミングが悪すぎた
無理に皆を誘うわけにもいかず 内心は申し訳ない気持ちで一杯だったが
「まぁ2人で楽しみましょうよ」と切り替えた。
試合開始直前になって カミさんが来た。
その日は仕事が遅くなるため どうするか迷っていたが 来れたようだ。
その僅か数分後 ルンバ氏が来た。道東出張で「来れない」と言っていたが
車を飛ばして来たらしい。ハードなドライブも まったく表情に出さなかった。
コヒカが来た。いつも「金 ないっす 仕事でむりっす」と言う男が
金狼のごとく 職場からバイクを飛ばして厚別まで来た。
CZ氏が弁当を抱え さり気なく座った。「腹 減った~」と言いつつ。
誰も来ないと思っていた。来れないのは仕方ないと思っていた。
家庭があり 仕事があり 様々な事情がある。
その日 スタジアムに来る事が簡単ではないのは分かっていた
それでも黙って 来てくれた。
あの時 一人 また一人と集まってくる仲間たちが 嬉しかった。
いい年して「友情」などと青臭いことを言うのは こっ恥ずかしいが
あの時 そう感じた。
あなたはスタジアムで 一人で居ますか?
それとも 誰かと居ますか?
友人を作るのは簡単なことじゃない。
それは 年を取れば取るほど 難しいことになる。
そして維持する事も 困難である。
「わずらわしい」と思う時もある。口論になる時もある。
それでも それは素敵なことではないだろうか。
あなたの思い出の中に あなたとあなたの友人がいれば
もっと もっと 深く刻まれるものになる。
04年8月の福岡戦。
試合は散々なものだったが それ以上に いや全く別の次元で
忘れられないものが出来た。
今でも あの時の嬉しさは 何度も 何度も 思い出す。