サッカーは人生を写した1つの鏡。
つまり サッカーは 人生トレーニングの場 修行の場 である。
1971・9・11 岸記念体育館 講演会にて
D・クラマー
「日本サッカーの父」 デットマール・クラマー氏が来日してるようだ。
もう82という高齢に拘らず 今回も精力的に そして熱く 魂の伝道をしている。
その熱さに その厳しさに 少しでも触れられた人は 幸せ者ではないだろうか。
その昔 日本サッカーが目標としていたのはW杯ではなく オリンピックだった。
「五輪・本大会に出場するのが目標」 「1つでも勝ち上がるのが目標」 と
今となっては小さな目標と思えるが 当時は 「それが日本代表の全て」 と言えた
その象徴と言える輝きが 1968年メキシコ五輪の銅メダルである。
釜本を擁した五輪代表が 開催国メキシコを破り 奇跡のメダルを獲得したのだ
この輝きの影で 忘れてはならないのが ドイツから来た 初の外国人指導者
デットマール・クラマー氏 まさにサッカーの伝道者 だった。
クラマー氏が来たのは 今から約半世紀前の1960年。
64年に行なわれる東京五輪 日本代表強化のためコーチとして招聘された
当時のメンバーには まだ10代の釜本氏や現キャプテンの川淵氏
他にも杉山隆一・宮本征勝・森孝慈と 今の重鎮達が犇(ひしめ)いている
ただ 当時は 「リフティングもまともに出来ない悲しい代表」 であったらしいが。
そして 4年後 サッカーの基礎をクラマー氏に叩き込まれた代表は
東京五輪でアルゼンチンを破り ベスト8という快挙を成し遂げた。
クラマー氏は 東京五輪を終えるとドイツへ帰ったのだが
その成果も 残した遺産も 計り知れないものがあり
それまでの日本を大きく変革させた4年間 と言える。
事実 東京の4年後がメキシコ五輪である。
ほぼ同じメンバーに松本育夫氏加えた代表が 銅メダルを獲得したのだ
クラマー魂の継承者たちが本当の成果を出した と言える大会となった。
と ここまではクラマー氏について調べながら書いたのですが
実のところ 私の世代でさえ 「デットマール・クラマー」と聞いてもピンときません
そりゃ 「日本サッカーの父」 とか 東京五輪に指導したとか
メキシコ・銅メダルの影にクラマーあり とか そういった事は知ってますけど
オフトやジーコのように 直接的な息吹を感じたものじゃないわけです。
60~64年と言えば 今60代の人じゃなきゃ そういう感覚にならないでしょうね。
ただ 約50年も前 日本のサッカーが まだ球を蹴るだけだった頃
クラマー氏が何を伝え 何を与えようとしたのか それが気になりますね。
で その伝えたものが 今 どう生きているのか?そういうことも。
そんな疑問に少し答えられるものが 我が家にありました。
「イレブン」 1971・11月号
この雑誌見て 「おおっ!」 とか 「懐かしー」 とか言う人は ヤバいです。
30~40年前と言えば 野球全盛時代 王・長嶋世代ですよ
そんな時代に サッカーに興味があったのは 生粋の静岡県民か
よっぽどヒネた少年で 今は たっぷりフクれた中年でしょう。 あ オレか。
で この雑誌に特集としてあったのが 「クラマー氏の講演会」
1971・9月11日 東京・岸記念会館で行なわれた 日本蹴球協会50周年行事の
1つとして この講演会が開かれたようです。記事にはその内容が記されてました
文章はクラマーの講演をそのまま訳したもので 第三者の観点が入ってないため
ダイレクトで伝わって来ます。しかもその言葉の端々が熱い。
こういった所は 今も昔も全く変わってないんじゃないでしょうかね。
で 講演会の中でクラマー氏が訴えていたのは
強い 「意志力」 を持つこと。
自分の目的を達成するために ハッキリとした意図をもつこと
目標のためにトレーニングすること とまずは意志が大事である と言ってます。
次に 「自己犠牲の精神」 を持つこと。
サッカーはチームゲームである。1人1人がチームのために自分を犠牲にできれば
成功を収めることができる。釜本には犠牲になる選手が必要で
犠牲になる選手がいるからこそ釜本が生きる。そういった相互の信頼関係が
あってこそ 「サッカーはチームゲーム」 と言える。
といった精神的な面の重要さを述べています。
また一方で 強靭な精神だけではなく サッカーは美しさも必要 と訴えています。
良い試合は 勝つだけではなく 見ている人に美的感覚をもたらすもの と。
サッカーにおける 「美しさ」 とは 「フェアプレー」である。
ルールブックに規則は書いてある だがその行間にある「フェアプレー精神」こそが
サッカーの 最も美しく 最も崇高なテーマである。
美しいサッカーをするためには 「技術が必要」
技術を磨くには とにかくボールに触れること。
1年中 常にボールを扱い 感覚を身に沁み込ませること。
と 延べています。技術向上の具体的な指導は語っていませんでしたが
高めるためには まずは何が必要か という所を強調していました。
こうして36年前のクラマー氏の言葉を読むと 当たり前のような事であり
それでも当時は新鮮で しかも日本に足りなかったわけですから
いかに初歩の初歩から始めたのが分かります。
また クラマー氏が何より伝えたかったのは
「目標を持って強くなれ」 と言うことだったんじゃないでしょうか。
ゲルマン魂という言葉がありますが 侍魂と言いましょうか 日本魂を持て!と。
そうして己を鍛えて 己に打ち勝つことが出来れば 必ず強くなる と。
今回の来日でも 色々語ってると思いますが おそらく言っていることは
変わってないでしょうね。 「熱く!もっと熱く!」 と言っている気がします。
また そう言える人生を歩んで来た人だけに説得力がありますよ。
来日してすぐに福岡の練習を視察したようですが
その時の
感想にも厳しい言葉が飛んだようです。どこまでも厳しい爺さんですよ。
と言うか その熱さは衰えないのか?と怖くなりますよ。
クラマー その熱き魂で アジアの小国に 大いなる足跡を残した伝道師。
36年前の言葉も 1週間前の言葉も 全く揺るぐ事のない意志力。
雑誌「イレブン」に書かれていた指針は 今も日本のあるゆる所で生きている
「強い勝利への意志力」 「サッカーはチームゲームである」 「自己犠牲精神」
これらの事は 今のコンサドーレにも脈々と流れているのだ。
それは偶然ではなく 三浦監督の根底に その教えがあるのではないだろうか
ドイツで学んだ事と同調する クラマーの教えが。
日本サッカー 育ての親 デットマール・クラマー
あなたの息吹が 今 Jリーグに 代表に流れています。
その教え子の教え子 さらに教え子達が 今 ピッチに立っています。
サッカーは人生を写した1つの鏡。
その言葉を 「教え」 に日々鍛えた曾孫たちが 今 プロとしてプレーしています。
この素晴らしき現実を どうかお喜び下さい。
では 感謝の意を込めて ひと言
じいさん 長生きしろよ。
PS.今回 長々と書きましたが 言いたかったのは
「オレ 36年前のイレブン 持ってるよ」 という 自慢である。