リーガでは R・マドリーが優勝したようで。
海外リーグにさほど興味がなく レアルに 好きも嫌いもないのだが
一昨日 「GOAL!2」 という映画を観に行って ハッキリと思った
オレは このチームを応援する事はないな と。
【GOAL!2】
前作の「GOAL!」では メキシコの貧しい町で育った青年が
ある日 イギリスの元スカウトに見い出され ニューカッスルへ渡る
その活躍するまでの弊害と苦悩を描いた 一般映画としても秀作だった。
その続編となる 「GOAL!2」 は ニューカッスルでの活躍を認められ
スペインのレアル・マドリーへ移籍 スターへの階段を駆け登る様を描いた。
前作は期待もせず 試写会で観たのだが 思いのほか良い映画だった
そのため この続編を待ち望んでいたが… 正直に言う
ダメ映画だ。
ダメすぎる映画だ。何がダメかと言うと この映画
レアルは 世界中の サッカー選手 と サッカーファンの 憧れ である。
と言うのが大前提なのだ。
チームで活躍し どこからかオファーがくる それは選手にとって名誉であり
ファンにとっても 「仕方のないこと」 と ある程度の免疫はあるのだが
「レアル移籍=成功」 を 堂々と 臆面もなく 2時間たっぷりと見せられては
いい加減 うんざりと来た。
だいたいにしてサッカーファン全てがレアルに憧れるか と言えば とんでもない。
「おらが町のチームが一番」 というのが 正しい土壌なのだ。
「レアル=憧れ」 この勘違いも甚(はなは)だしい前提が
ダメ映画を ダメ映画とした 所以(ゆえん)である。
と 非常に憤(いきどお)りを感じながら帰ってきたのだが
歩きながら ふと考えた。
いや まてよ。
もしかすると一般観としては レアル=憧れ なのか? と。
それが普通の感覚なのか と。
確かに レアルと聞けば サッカーに興味の無い人でも
多少は知ってる名前や 見たことのある選手がいるだろう。
まして今回の場合 映画という ある種 象徴した世界の中で
一般の人も楽しませるには 誰もが知っている世界観で表現しなければならない
であれば レアルをサッカーの象徴として題材にするのは間違っていないわけだ。
そういった意味では レアル=サクセス というのは映画としても正しいと言える。
更に言うと 一般観とすれば こういった映画しても 実際の試合にしても
スターや有名人が出ている方が楽しみやすい。
金を払って見るものなのだから 対価に見合ったものを求めるのも当然なのだ。
そういった ごく普通の感覚を置き去りにしてしまっては
興行としての本意を欠いた考えになってしまうのだ。
そう考えると サッカーを興行とする=レアルを題材 は自然な成り行きと言える。
だが この映画は ダメ映画である。
アジアの小国の 雪に埋もれる北国の 国内 下部リーグの
金のない スターもいない そんなチームを応援する者にとって
「レアルは凄い」 と思えるが 憧れてはいない。応援もしていない。
どんな時も 「おらが町のチームが一番」 なのだ。
その大事なことを この映画は知らない。
サッカーが商業になるのは構わないが
商業に飲み込まれたサッカーは 見たくもない。
世界中 数えられないほどのサッカーチームがあり サポーターがいる
その膨大な数も 一束の感情ではない。
その根底には サッカーを愛するか チームを愛するか 選手を愛するか
それぞれの思いの中で 応援しているのだ。
レアルというだけで 飛びつくほどサッカーファンは馬鹿じゃない。
まして 一般客にも 「根底」 のないものが受け入れられるはずもない。
札幌市内 1館だけ 1回だけの上映。
興行としての失敗 映画としての失敗は
サッカーを軽く見た罰である。