あなたは誰とクリスマスを過ごしましたか?
オレは りょうぼ。さんと 過ごしました。
?…はぁ? こいつ とうとう 頭 やられたんじゃね?
「クリスマスを りょうぼ。さんと過ごした」 なんて あるわけねぇじゃん
蹴馬鹿の妄想癖もとうとう ここまで来たか?
と お思いのあなた 分かります。
確かに そうかもしれません。ですが
これ マジな話しです。
りょうぼ。さんから そのメールを貰ったのは 5日前。
「札幌を離れる最後の晩に 蛯沢家と食事をするので ご一緒にいかがですか?」
と書かれてあって 正直 ビックリしましたよ。そんな大事な日に何 誘ってんの?と
ご一緒にいかが って そりゃ 一大事じゃねーか!と。
で 行きましたよ。
30分も 遅刻して。
札幌市内 某焼肉店 座敷席の奥には あの鬼寮監が座っておられました。
鬼寮監は鬼でありますが それはそれは純粋な心を持った鬼でした。
今回 このお誘いは嬉しくあり怖くもあったのですが それでも行こうと思ったのは
この鬼寮監こと 村野晋さんという人に会ってみたかったからでした。
この人の根底には何があるのか 札幌に何を齎したかったのか
それを知りたかったから。そんな好奇心を持って 決心できたんですよ。
で お話して。村野さんは本当に良いですね。4時間ずっと話して そう感じました。
べらんめぇな所があって 誤解を受けたり 苦手な人もいるかもしれませんが
根っこは情熱の塊りで それも純心な 馬鹿がつくほど純粋な炎が宿ってました。
また仕事に対して 任された職務を全うしよう とする気持ちが強く
そこに生じる 「責任」 も 人一倍 背負っていたように思います。
ただ 寮生には本当に厳しかったらしく それは元寮生であり 新寮監になる
蛯沢君との会話でも見えましたよ。例えば 2人の会話でこんなのがありました
村 「おい 蝦 髪 切ってこい! 」 蝦 「えっ…」 村 「スポーツ刈りにしてこい!」
蝦 「えぇ~ スポーツ刈りは…」 村 「じゃ 坊主だ!坊主にしてこい!」 と。
こういうムチャクチャな事 言う人ではあるんですけども 加えて こうも言ってました
村 「お前はもう選手じゃないんだ これからは責任ある立場なんだ」 と。
分かりますね その気持ち。これからの しまふく寮は 寮監と寮生に年の差がなく
だけど立場は全然 違う。そうした証として 髪を切るってあるんじゃないですかね。
「責任」 というものを表す1つの形として 坊主頭。村野さんならではの発想です。
でまた この村野さん自身が 「俺も 坊主にした事あるんだ」 と言ってました
どんな些細な事にでも 責任があって 例えば寮生に対して厳しくするにしても
誰かを叱るにしても 言うなら言うなりの責任を持つ事。そして 言ったなら
言った後にも 責任がある事を 村野さんは その身を以って証明していました。
だから あの日。10月の柏戦の後 言った言葉が 繋がるのです。
これが 「村野氏なりの けじめ」 なのだな と。
そして 「髪 切れ!」 と言われた新寮監・蛯沢氏。
この人もまた純真な心の持ち主であります。最後の晩餐になってまで
厳しい村野氏の言葉も 真顔で聞き 時には 村野氏のド寒いオヤジギャグに
小声で 聞こえないぐらいの小さーな声で 「ヒドい…ヒドすぎる…」 と反撃しながら
全てを受け止めようと 真剣でした。
まだ若いこの新寮監に 重務とは知りつつ バトンを渡そうとする者
責任の重さを感じつつ やるしかないと覚悟を決め 全てを受け止めようとする者
焼肉屋の片隅で 笑いながら ふざけながら それでも真剣に。
焼肉屋の片隅で その神聖なる儀式が行われていました。
その様子を 穏やかに微笑みながら見守る新寮母さん。
前任者の偉大な功績に きっとプレッシャーはあるでしょう
だけどこの新寮母さんは きっとやれます。
失敗しながら 困りながら それでもやれる
そう確信できるほど 真っ直ぐで 力強い瞳をしていました。
まだ若い新寮監・寮母の2人は 決して起用じゃないけど みんなが助けてくれる
そういう人徳を持ってるように思います。また これから起こりうる様々な困難にも
体を張って立ち向かうようにも思いました。きっと2人なら乗り越えられるでしょう。
りょうぼ。さんが特別に思い入れのある 寮の一期生。その時の寮生である蛯沢。
決して 優等生ではなかった彼と ぶつかり合って 背中を押して 手を引っ張って
そうして掴んだ信頼関係は お互いに大きく 今に至ってんだなと思いましたね。
またこの蛯沢夫妻を選んだ事 それが村野さん流の 「責任」 でもあるのかな と。
「しまふく寮通信は 引き継ぐの?」
新寮母さんに そんな質問をぶつけてみました。
すると 少し困った顔で 「まだ 分からないんですよ…」 と言ってました。
あのブログの大きさは誰もが知る所で 書くと同時に 様々な難しさもあります
選手の事をどこまで書いていいか難しいでしょうし 注目される事で様々な問題も
生れるわけです。 また 「文章を書くのが苦手」 という事もあるでしょうし。
寮母の仕事は引き継げても 「しまふく寮通信」 を引き継ぐのは
僕らが思うより ずっと 難しいのかもしれませんね。
また新寮監・蛯沢氏にも聞いてみましたが 「パソコンとか よくわかんないっす」
と 言ってました。まぁ ならしょうがないよな と。
それでも もし始めたなら それはもの凄い勇気を持って踏み出したわけですから
その時は皆で暖かく迎え入れてましょう。それまでは 暖かく見守りましょう。
ただ 思うのは 前任者 りょうぼ。さんの功績は あまりにも大きかったこと。
この人の残したものを 全て引き継ぐのは 不可能に近いと思います。
「でもね 札幌の6年間は 本当に幸せだった」
りょうぼ。さんは そう言ってました。
「本当に?」 と何度 聞いても 「うん」 と淀みのない目で 真っ直ぐ答えました。
6年前の3月 千歳に降り立った時 何も知らず カーディガン1枚で来て
その寒さや不安に 悲しくなったと。そんな始まりから 今は 離れるのが悲しい
と思えるほど ここが好きになった と。そう言い切ってました。
そして その言葉の全てに 「感謝」 がありました。
場の空気は かなりぶっちゃけたものがあって それでも りょうぼ。さんの言葉は
「楽しかった」 「幸せだった」 「頑張れた」 そんな感謝しか出てきませんでした。
本当に 心からそう思ってくれたようです。それも これもみんなのおかげ だと。
なら 良かったのかもしれない と そう思うようにもなりましたね。
今回 村野夫妻が北海道を離れる事も 2人にとって正しい決断だったんだな と。
だけど オレには 全部が納得できるはずもなく この寂しさや痛手や
コンサドーレにある大きな損失は 拭いようもないわけで だから言いましたよ
「そんなに好きだったなら ずっと居ればよかったじゃないか」 と。
「捨てるんじゃねーよ!」 と。
その時ばかりは あの鬼寮監も りょうぼ。さんも しゅんとして申し訳ない顔でした。
そういう所を見ても 本当に 気持ちのある人たちなんだな と思います。
それから りょうぼ。さんには次の夢があって そこに向って頑張るとも言ってました
それは夢と言うより 計画に近くて この人たちなら叶えるだろうなと思いましたね。
そして いつか北海道に “帰って” きてくれる事を願います。
翌日に引越しがあるとは思えないほど 飲んで喋ってた村野氏でしたが
この人がベロンベロンになる前に どうしても聞き出したかった言葉があって
「コンサドーレは 今後 どうしたら良いんですかね?」 と質問しました
きっとその答えに コンサドーレの足りないものがある と思ったのです
すると村野さんは 出て行く人間だから 何も言えないさ としつつも
Let It Be!
と答えてました。「Let It Be」 それは 「なすがままに」 ということ。
北海道はすごく良い所だし 素質のある選手もたくさんいる サポーターも暖かい
無理に力まずとも コンサドーレは 必ず良いチームになるから と。
だから 心配はいらないよ と。
そう言ってました。
だけどオレは やっぱり不安があるから もう一度 聞きましたね
「じゃ 置き土産として 何か言ってくださいよ」 って。そして 言ったのが
サッカーを愛してください
でした。オレはきっと この言葉を聞き出したくて 質問したのかも知れません。
何が大事なのか 何が足りないのか たくさんある中でも 1番必要なのは何か?
何年もずっと自問していて そうじゃないかと思いつつも自信のなかった答えが
村野さんから出て。それは やっぱり嬉しかったですね。
サッカーを愛して もっともっと愛して そして 愛してる事を自覚すれば
そこから生れるポジティブな気持ちは きっと良い未来を近づけてくれる と
そう言ってました。村野さんが あの降格の日 居残るサポーターの前で言った
「コンサドーレは みなさんのチームなんですよ」
と言う言葉も そこに生じる責任も 自らがとった責任も 全てが繋がって行きます。
愛すればこそ 生れるものがある ということ。そしてそこには正しさがある と。
村野さんの言葉を聞きながら そう感じました。
「ラストオーダーの時間です」
熱く濃密な時間はあっという間に過ぎ 気づけば店の人がそう言ってくる時間に。
楽しかったんだけど 楽し過ぎて その倍 悲しすぎて。これが普通の時だったら
「また 次があるさ」 と思えるけど 「今度が いつか分からない次」 だから。
帰り際には りょうぼ。さんからカミさんへお土産まで貰って 本当に恐縮しました。
で 帰り道 蛯沢新寮監の車を新寮母さんが運転して 地下鉄駅まで送ってくれて
車の中でも まだ 喋るんですよ 村野さんや りょうぼ。さんと 僅か数分の道のりも
「ずっと着かなきゃいいのにな」 と思いつつ 地下鉄駅に到着して。握手して。
それまでは 楽しくて 別れの寂しさはあるものの まだ大丈夫でしたね。
ただ その時 運転席の新寮母さんが 降りてきました。
どうしたのかな と思ってたら オレの前へ来て 真っ直ぐ立って
これから よろしく お願いします
と言って
深々と頭を下げました。
それは 彼女なりの決意。
それが分かった瞬間 オレ 涙が出ました。不意を突かれました。
それまでは大丈夫だったんだけど 彼女の気持ちがね ・・・感動したんですよ。
オレはちゃんとしたサポーターじゃないし スポンサーでもない。
何かを与えられる力なんて持ってない。そんなどこの馬の骨か分からないヤツで
だけど 彼女なりの決意があって その気持ちを伝えたくて
「よろしくお願いします」 って言ったわけですよ。だけど それは
オレにだけ向けたわけじゃなく オレの後ろに見える多くの人たちへ
コンサドーレサポーターみんなに向けた 「よろしくお願いします」 でした。
それを感じた瞬間 この人は凄いな と思って。 ボロボロっと零れ落ちました。
だから どうかこれを読んだ皆さん 彼女の気持ちを受け取って下さい。
彼女は彼女なりの一生懸命で頑張るはずです。オレからもよろしくお願いします。
本当に 良い子でしたよ。おじさんを泣かせるほどの純真です。
村野夫妻が 蛯沢夫妻を選んだ理由が 分かる気がします。
最後の最後 新寮母さんに 思いがけず泣かされて。
後ろの窓からは 村野さんと りょうぼ。さんが笑いながら手を振ってて
多分2人とも オレの泣き顔を見て 「ね 良い子でしょ」 と言いたかったに違いなく
蛯沢新寮監も笑って手を振って だけどオレは 涙が出て。
ほんと参りましたよ。あの時は。いい歳したおっさんが 人も車も往来する街中で
泣いちゃうなんてね。恥ずかしいと思いつつ ほんと コンサドーレってやつは…。
憔悴したまま家に帰ったのですが カミさんが実家に行ってたから 1人でね。
さっきまでの事が現実かどうかあやふやで だけど手に持ったお土産は事実で。
お土産の下には封筒が入ってて 便箋5枚にも渡った りょうぼ。さんからの
手紙が入ってました。読みながら 本当に嬉しくて だけど悲しくて。
村野さん りょうぼ。さんが北海道を離れた事は 損失感が大きく痛みもあります
ですが 寮の事は大丈夫でしょう。村野夫妻が自ら選んで託した2人は
不器用ながらも 真っ直ぐに 力強く やってくれる と思います。
また コンサドーレの核を失った事も 村野氏曰く
「しばらくは不具合があるだろうけど 大丈夫 コンサドーレはきっと乗越えらる」
と力強く言ってました。だから 大丈夫です。ただ 乗越えるのは
クラブの力だけじゃなく 俺らが一緒にやらなきゃならないのです。
その 「覚悟」 が 村野さんの残したものなのです。
そして りょうぼ。さん。
村野明子 と言う人は スーパーウーマンでも 童話に出てくる架空の人物でもなく
実在する 一人の女性なのです。旦那を愛するひとりの妻であり
2人の子供たちを愛する母であり 仕事として依頼された 「選手の食事」 を
懸命に全うした 一人の仕事人だっただけなのです。
ただ あらゆる依頼を受け 楽しくも頑張り続けた結果が
こうした有名人のようになってしまったわけです。
多くの人に顔を知られ 声を掛けられ 期待され
それは 嬉しさと共に 彼女に圧し掛かる重さは計り知れなく
結局 押し潰されてしまったように思います。
それを彼女は 「自分のせい」 と責めていましたが
きっとそうじゃなく。
気づかなかった周りの人間や 気づきながら依頼したズルい人間や
見ない振りしていた人間や 知らずに期待した人も 全て含めての責任かな と。
だからこそ 残念です。
もっと気づかってやれば もっとコントロールしてやれば と 残念に思います。
でも 村野さんは 言ってましたよ
「この仕事をやってて 6年間も居たのは 初めてだ」 って。
日本代表の仕事をやっても長くて4年だし 加茂さんの時のように
監督の更迭と共に職を失う ってのもあるわけだし そう考えると
「思った以上に 長く居たんですよ」 と。
きっと りょうぼ。さんも結婚する時に その覚悟を決めたのでしょう。
一つの場所に長く居れない宿命だからこそ そこで全力を尽くす
そうした覚悟が彼女にあって 「りょうぼ。」 というマドンナを作り上げたのです。
その事に 今一度 敬意を表します。 あんたは凄いな と。
りょうぼ。さんは 今ごろ きっとフェリーの中でしょう。
たぶん 昨夜 船が港を出た時には 切なくなったと思います。
だけど 目的地が近づくにつれ 「頑張る気持ち」 が湧いて来てるのだと思います
そして神戸に着いた頃には 「神戸の りょうぼ。さん」 になっているのだろう と。
それは悲しくもあり だけど それが 村野明子という人なのです。
そうして 新しい何かに向って また力を注いで行く人なのです。
だから 頑張れと。 頑張り過ぎずに でも頑張れと。
神戸の皆さんへ。
村野晋という人は 厳しくてゴツくて 少し無茶もやる 情熱の人です。
だけど その根底は 暖かく 何事にも体を張って取り組む人であります。
その人柄に影響を受けた未来の選手が きっと たくさん出てくるでしょう。
育成は グラウンドだけじゃなく いやそれ以上に 私生活が大きいかもしれません
その事を よく知っている村野さんは 信頼できる人です。
この人の持つ 信念と芯念を 信じてください。
そして その奥さん 村野明子さんは 明るくてバイタリティのある人です。
だけど 普通の奥さんです。オレらが気づかずに背負わせてしまったものを
どうか軽くしてあげてください。でも 少しは期待してください。
この人が もたらすものは 「愛情」 という とてつもなく大きなものです。
どうか2人を よろしくお願いします。
昨日 お礼のメールを送ったら 返事がきました。
その返事は 短く だけど 全てが詰っていました。
これから船です
勉強してきます
akiko
これは 皆さんに向けたメッセージでもあります。
ありがとう りょうぼ。さん。