あれからぼくたちは
何かを信じてこれたかなぁ
昨日の他試合の結果をもって 今季の昇格がなくなった様で。
その事自体は 残念に思いますが 今年は昇格争いもしなかったわけですから
特別な感情は起りませんね。ただ 「そう言えば 去年 降格したの 今頃だったなぁ」
と思って調べたら 去年の10月19日。まさに今日 なんですね。 ちょうど 1年で。
「このチームは みなさんのチームなんですよ」
降格が決定し 居残るサポーターの前で言った この言葉。
その言葉の意味を その言葉を言った理由を この1年 自分なりに考えてきました
ただ僅か1年で その答えなど出るはずもなく。それでも 投げ掛けられたこの大きな
テーマは 考えて 考えて 考え抜くに 値する言葉だと 思っています。
08年10月19日。柏との試合が終わり 降格が決定して。あの時も 怒りとか悲しさ
とか そういった感情が湧いたわけでもなく ただ淡々と受け止めた感じでしたね。
アウェイ側の後ろの木から 落ち葉が舞って それが風に流されて スタンドの座席に
ハラハラと舞い落ちるのを ただぼんやりと眺めてました。
気持ちの表面は平静でしたが 次の所では 深い溜息をついていた様に思います。
気持ちが切り替ったのは その翌日。YouTubeで見た その言葉を聞いてから。
言ったのは 当時 GMだった村野氏。言った場所は 試合後 居残るサポータの前。
その状況で その立場の人が 真っ先に言った という事が 凄いなと思いましたね
何人のサポーターが居残ったのかは分かりませんが そこには少なからず
怒りが渦巻いてたわけで その場所に出て行く事に どれほど勇気が必要か と
思います。それでも 村野さんを出て行かせたのは 「責任感」 なのかな と。
GMという立場ですから 責任は当然 背負っています。また 社長が就任したばかり
という状況でしたから GMが責任者 という事も不自然ではないのでしょう。
それでも 回避しようとすれば出来たはずの状況も 村野さんは出て行った
そこには 色んな覚悟と責任があった様に思います。
「あの時 腹が立ってたんですよ」
村野さんは そう言ってました。降格が決定して 「責任者を出せ」 と詰め寄る
サポーターに 腹が立ったと。村野さんの感情を全て説明する事は出来ないですし
それが正確かどうかも分からないのですが 自分が聞いて 自分が解釈した事は
責任者を出せ という人たちに 「責任」 を感じなかったから
と思いました。たまたま試合を見に来ていた普通の客なら いくら試合が不甲斐
なかろうと シーズンが散々であろうと 「責任者を出せ」 などと言うはずもなく
また 言えるはずもないものでしょう。それは サポーターだからこそ言えるのですが
ただ 責任者を出せと要求するなら そこに責任が生じる事も当然なんですね。
何のリスクも何の責任感もなく ただ文句を言うだけなら それはサポーターじゃなく
様々な苦楽を共にして来たからこそ 言える権利を持つものだと思いますから。
ただ 「本当に そうなのか」 と問われれば 大事な事が足りてない とも思えます。
村野さんは ずっと それを感じていたんじゃないでしょうか。
それは あの時 詰め寄った人たちだけに じゃなく コンサドーレのサポーターや
コンサドーレに関わる 全ての人たちに 思っていた事じゃないかと思います。
だから 怒りと責任感の入り混じった感情で あの場に出て行ったのかな と。
自分を含め コンサドーレを応援する人たちには どこか客観性があって
常に チームと自分に距離を置いていた様に思います。応援はしているんだけど
責任までを意識する事はない と言うか。そりやそうですよ だって客ですから。
ただ 違うんですね サポーターは。サポートをしてこそのサポーターだから。
チケットを買って スタジアムに行く ただそれだけの人なら 「客」 なのでしょう。
ですが そこに 「応援する」 または 「サポートをする」 という意識があるなら
立場は違ってくる様に思います。自分はサポーターだ という自覚があるなら
立ち位置は正反対なんですね。その決定的な差は 「責任」 にあると思います
その事を薄々感じてながらも ハッキリとしてなかったんですよ 我々はずっと。
村野さんは在籍していた6年という時間 その足りなさを感じていた と思います。
どこか客観性のある ともすれば 評論家然とする我々に 大事な事が足りてないと
感じていて だからこそ あの日 真っ先に出た言葉が
「自分たちのチームだろ」
という事だったのかな と。
ただ それを言うには やはりそこにも責任が生じるわけです。
本来なら クラブ側の人間が言うべき言葉じゃなくて 少し 離れた立場の人で
それでいて説得力のある人が 言うべき言葉かと思います。
だけど いつか誰かが 言わなくちゃならなくて 気づいて貰わなくちゃならなくて
それを身を以って伝えたのだと 思います。その引き換えが 辞任というものでした。
どうしても言わなくっちゃならない事への 引き換えが 自分の職と 家族の生活と
そして 「りょうぼ。さん」 という存在も。その代償の大きさも十分に知った上での覚悟
だったかと思います。幸いその後に神戸からの誘いがあって 全てを犠牲にする事は
なかったのですが そこまで背負ったものがあったからこそ あの時の村野さんには
説得力があったのだと思います。
「このチームは みなさんのチームなんですよ」
この言葉は 始まりの言葉に思えます。
北海道にコンサドーレが誕生して 14年。その間にも様々な事がありましたが
まだまだスタートラインの様な気がします。これから50年 100年と続く歴史の中で
ここまでは 「始まったばかり」 という時代じゃないかと。もっと言えば 個人的には
04年がスタートだったと思っています。それまでは サッカーチームではなく
サッカーチームらしきもの が存在していただけに過ぎなく 03年末に発表された
「五段階計画」 がその第一歩だったと思ってますね。ただ それはクラブとしての
姿勢であって 我々サポーターは 「自分のチーム」 と思った時が 始まりなんですね
村野さんの言った言葉には その想いがあった様な気がします。
サッカーの根付いてなかったこの北海道に サッカーを根付かせる事は簡単じゃない
それでも こうして手探りながら 少しずつ 根付いて行くのでしょう。
あの日から 1年。
何となく 何かが変わりつつある気がします。
スタジアムでは 相変わらず野次が酷いですけど 少しずつ変わってる気がします
ネットでも 相変わらず評論家然とした言葉も見ますが 何か変わって来た気がします
友人と会ったり スタジアムの行き交う人を感じながら 雰囲気が少し変わったかなと
思います。上手くは言えないですが 例えるなら 表面上じゃなくて もっと奥底で
コンサドーレに愛着を持っている と言いますか。 そういう人が増えたのかな と。
その全てが 「村野さんの言葉で」 というわけじゃないでしょうけど 少なからず
影響はあったと思います。ぼんやりとしていたものをハッキリさせた言葉でしたから。
それでも まだまだですね。まだ サポートというものを意識し始めたばかりですから
僕らは そのスタートに立ち会っただけに過ぎないんじゃないでしょうか。
それでも。そういう時代に立ち会えて 良かったなと思います。
これから続く歴史の中で 「自分たちのチーム」 と意識付けられた事は 大きな事と
思えます。サポーターとして 全ての始まりですから。
分かってた様で 分かってなかった事。当たり前の様で 当たり前じゃなかった事。
それに気づいてほしくて 村野さんは あの日 サポーターの前へ出て行ったのでしょう
大きな代償を覚悟しながら。
あれから1年が過ぎて 札幌は 今 変わりつつ あります。
あのころの未来に
僕らは立っているのかなぁ
すべてが思うほど
うまくはいかないみたいだ
あれから僕たちは
何かを信じてこれたかなぁ
夜空の向こうには
明日がもう待っている