泣けたなー いやー 泣けた。
スタジアムであんなに泣いたのは初めてですよ。曽田のプレーをひとつ残さず見よう
とするんだけど 涙腺が崩壊しちゃってるもんだから 止めどなく溢れると来たもんだ。
マイった。ほんとマイった。この試合 11月29日の横浜FC戦は まさに涙戦でした。
自分の涙腺がヤバいって分かったのは 曽田が練習に出てきた時からで。
双眼鏡で その姿を追うんだけど 涙で滲むだね。万感の想いって言うのか 抑えても
抑えきれないものが込み上げて来ましたね。それでも その時は こらえましたよ。
何も試合前から泣くこたぁないと。ただ横浜FCにはカズの姿もあって 42歳のカズが
今もなお現役でいる事と 31歳の曽田が怪我で引退を余儀なくされた事が対照的で
それもまた感情を刺激したのは確かでしたね。双眼鏡で2人を交互に見てましたよ。
それで 試合が始まって。そこからは一応 平常心に戻りました。
キリノ・ダニルソン・ハファエルの3人が好調で 彼らはモチベーションが違いますから
この試合を51分の1にするつもりもなく 持てる力の全てを出していました。
ただ 3人で良いプレーをすればするほど う~ん…と思わなくもないわけで
特にその日は 生え抜き選手の引退・退団があるわけですから なお感情的に
納得行かないものがありましたね。これでいいんだろうか みたいな。
で 試合は進んで 2-1のリードで迎えた後半35分 まずは中山元気が出て来て。
この中山も ほんとに好きでした。札幌に来た当初は これといった長所も見当たらず
なんだかなーと思ってた選手だったんですが 三浦監督になってからは まさに
獅子奮迅の働きで FWの新しい形を見た様に思います。あの懸命さは貴重でした。
そして次に 三浦カズが出て来て。もちろん大好きですね。その生き様や サッカーに
対する情熱・執念は たくさんの人に影響を与えてますし オレも与えられてます。
ゴンちゃんが引退しないのも カズの背中を追ってるからじゃないでしょうかね。
そして ここまで来ると 後は曽田雄志の登場を待つだけ。注目は その一点でした。
いつからか 曽田雄志にコンサドーレを重ねてた 気がします。
思い出すのは 曽田が入団した年のこと。交代で入ろうとする背番号23を見て
「誰だ?」 と思いましたね。で すぐに選手名鑑を取り出してプロフィールを見ましたよ
で 驚いたのが そこに書かれてあった 「札幌南高」 という経歴。カミさんもオレも
超ボンクラ高校出身なもんで 南高卒業からプロサッカー選手になる ってのが
信じられないと言うかスポーツも勉強もダメな俺らの立場は?って思いましたよ。
それが 曽田に対する最初の印象で。インパクトがありました。
ただ そこからの印象はヒドいもので。FWで入ってるけど 得点の匂いが全くしない。
背が高いから じゃポストは?というと 落下点が違う。当っても変な方向に行く。
それをまた自分でキョロキョロと探す。トラップできない パスもダメ。シュート打たない
まぁあらゆる面で ダメなオンパレードでしたね。あの頃は 野次も飛ばしたなぁ。
そういう声が周りにも段々多くなって 翌年には皆 ヒステリックになってましたね。
中でも強烈だったのは 吉原と交代で入ろうとする時 「曽田だけはヤメてー!」 って
叫ぶ
おばさ いや女性がいましてね。もう 悲鳴ですよ悲鳴。事件か!ってぐらいの。
オレも結構 野次飛ばしてたから ほんと申し訳ない事したなって思います。
今思えば あの頃 曽田はサッカーやるのが怖かっただろうなぁ…。
自分が入ろうとすれば悲鳴を浴びて ボールを持てば野次が飛んで
ただサッカーをやってるだけなのに なぜここまで批難されるのかと思ったでしょうね
だけど 入団当初 01・02年の曽田は それだけ言われる選手でもあったわけです。
そんな曽田の印象を変えたのは 03年の夏。
その年 ジョアンカルロスが監督に就任して チームもJ2では反則級の補強をして
曽田の居場所はなかったですね。その前年の最終戦では途中出場でハットトリック
という離れ業をやってのけたのですが FWの能力としては 余りにも乏しく また曽田
自身もその才能に限界を感じ取ってか DFに転向する意向を示してました。
ひとつのポジションから逃げ出して 成功するわけがない
当時 そう思ってました。確かに批難の声は 余りにもヒドかったけれど そこから逃げ
出す様じゃプロじゃないし 大成もしない と。けども その夏 練習を見に行った時に
その考えが変わりましたね。当時 ジョアンカルロス監督が 臨時の守備コーチに
トーレスを招いてて 練習が終わった後 数人のDF陣を前に トーレスの講習が
行われてましたね。で その中には 当然 曽田もいたのですが。
曽田は 微動だにせず 真剣にトーレスの話を聞いていました。
他の選手も 勿論 真剣に聞いていましたよ。ただ なぜだか 曽田の後姿だけが
他の選手と違って見えて。懸けてる気持ちが もの凄く伝わって来たんですね。
講習は1時間近く続くも その間 曽田の真剣な様子は ひとつも変わらなく その時
から 曽田に対する印象が変わりましたね。色んなイメージを改めたと言うか。
何か新しい事にチャレンジする時 人は怖さを持つものだと思います。
今までと違う環境に戸惑うでしょうし 自信もなくするものだと思います。
ただそこに真剣さや 意気込みや 懸けるものがあれば それは乗り越えられるもので
あの時の曽田の背中には そうした気持ちが表れていました。
「不易流行」
変わる事を恐れず 変わらないものを守り。
まさに 曽田の信条とする その言葉が そこにありました。
今思えば あの時 曽田雄志の生き様みたいものを見たわけです。
その日から 曽田に対する見方を変えましたね。
それからは曽田に対する悪評を 事あるごとに跳ね除けました
「いや 曽田はいいよ」 「曽田は きっとミスターコンサドーレになるよ」 そう言いつつ。
最初は そりゃ変な目で見られましたよ。あんたサッカー知らねぇんじゃないのって。
ただ 曽田がヘタだったからからこそ プロサッカー選手の底辺にいたからこそ
コンサドーレに重ね合わせましたね 曽田雄志という選手を。
決して恵まれた才能を持ち合わせたわけでなく。見てくれが良かったわけでなく。
プレーする姿はお世辞にも華麗とは言い難く。曽田には みっともなさ がありました
コンサドーレというチームも 決して見てくれが良いわけじゃないし 華麗でもない。
才能に溢れた選手がたくさん来るチームでもなく。強くもない。
特に04年なんかは J2最下位という成績で 本当にプロチームの一番下で。
そんなコンサと曽田が そこから どう這い上がるかを 重ね合わせてた様に思います
だから 曽田の みっともなさが 好きでした。
本人は みっともないのが嫌で 努力して そう見られない様にしてたんでしょうけど
けども色んなものが足りないから どうしても みっともなくなる。だから 開き直って
自分の出来る精一杯でプレーするしかなかったのだと思います。
その姿が可笑しくて 愛おしく思えました。
コンサドーレも同じ。みっともなさがあるから愛着も湧く。
着飾ったものじゃなく 他人行儀でもない。手の届く存在だからこそ 自分達のチーム
と思えるんじゃないでしょうか。そうして ここ数年は 曽田とコンサを重ねてましたね。
そして87分。曽田が 登場する。
スタジアムの歓声がとてつもなく大きく それがまた感情を高まらせた。
それでも 泣きたくはなかった。涙が出れば 視界が見えづらくなるし 邪魔だから。
だけど ダメだった。曽田が入ってすぐ 左サイドにボールが出て そこに居たのは
中山元気。感情の糸は 精一杯に張り詰めていた。元気がクロスを上げる。
「行けー!!!」
そう叫んだ瞬間 ボロボロボロっと。
その時 全ての糸は切れた。感情も 涙腺も。
何年もの想いがあるから。凄くツラかった時を知っているから。
曽田とコンサドーレを重ね合わせていたから。大好きだったから。
もう歯止めをするものは 何もなくなっていた。
PKを得た事も それを一度 止められた事も 曽田らしいっちゃらしい不恰好さで
だけども それすら愛おしく見えるのが 曽田で。最後まで 曽田は曽田らしく。
引退のセレモニーでも また涙 涙で。双眼鏡で 覗くんだけども 涙で曇るから
何回も 拭っては覗いて 拭っては覗いて。まるで安いドラマみたいでしたね。
だけど ほんと 良い瞬間に立ち会えました。
思うに。こうして またチームへの愛着が深くなるのだと思います。
色んな悲しさや切なさや喜びは ひとつひとつの層になっていて
それは 雪が積もる時と同じ様に 時には融けて 時には踏み固められて
そうやって 少しずつ高く積み上げられて行くのだと思います。
雪は 春になれば融けてしまうのですが この感情に積み上げられたものは
チームへの愛着となって 決して消えてしまわないものに思います。
曽田の引退に 失ったものが大きいですが 得たものは もっと大きい
と そう思います。いや そう思わなくっちゃやりきれないものがあります。
毎年 味わうこの切なさも きっとプラスに働いてくれてるのだろう と。
とにかく 泣くに泣いた試合。
オレの涙腺を崩壊させた11月29日のホーム最終戦は まさに涙戦でした。
スタジアムで年甲斐もなくボロボロ泣きました。でも 泣けてよかった。
ありがとな 曽田雄志。
■ 札幌 3-1 横浜FC (89分:曽田 PK1)